今日は朝一番、6時にラファの事務所を出て、マジディの運転とアーベッドの付き添いでエレズを目指しました。
朝のガザ市はあまりラッシュもなく、約1時間でエレズに着きました。南の端のラファの街から、北の外れのエレズまでクルマで1時間・・・。
それほど狭い地域に160万人以上が暮らしているガザ地区。やはり厳しい封鎖環境だと思います。
しばらく待ってエレズの検問所のイスラエルサイドが開いたので一番乗りしたのですが、途中の地獄の2キロ回廊で、後から来たパレスチナの人々に追い越されること追い越されること・・・。みんな労働にでかるのです。厳しい労働に。
とにかく持ち物が少ないほど早く抜けられるので、ほとんど手ぶらです。だから重い荷物の僕たちは抜かれる。
どうか今日も無事で働いてきて下さい、と手を振りました。
(エレズ名物2キロ回廊)
今アーベッドの息子が大変です。3歳ですが生まれた時から緑内障に罹っており、一度エジプトサイドが開いている時にカイロで手術を受けたのですが、術後の経過は良くなくて特に左目がどんどん腫れてきており、このままでは眼球破裂してしまいそうです。
これを直すにはエルサレムの病院でしかできません。アーベッドはその病院の受け入れ状と、パレスチナ自治州政府の招へい状、治療経費全額負担の許可証のすべてをそろえたのに、イスラエル当局がアーベッドの入国を拒否してきました。
このままでは息子のムスタファは左目を失明してしまいます。
エレズの検問所で、この件を打開しようといろんな人に問いかけました。そして入域を管理する軍の部署につながり、
「とにかく検討したいから書類を送れ。」
「この人物に連絡を取れ。」
という返事をもらいました。
イスラエルにもちゃんと心ある兵士がいて、一人一人の人間はみんな善良なのです。
組織や体制、国家という枠になるといろんな良くないことが生じる。しかし人間は組織や体制、国家という枠がないとこれまたばらばらになってしまう。
なんと因果な生き物でしょうか。
我がエルサレムスタッフの西郷さんがまたまた頑張ってくれて、いろんなところへ働きかけが始まりました。
どうなるかは全くわかりません。でもこんなところでも、一人一人の人間はみんな「いい人」なのだと感じるに十分でした。
アーベッドも西郷さんや私たちに感謝しています。
「日本の団体と一緒に働けて、本当に良かった。」
アーベッドが言います。もちろんまだ許可が出たわけではありません。でもみんなで頑張ることが大事ですよね。
そのまま西郷さんの運転でエルサレムに入り、タクシーに乗り換えてヨルダン国境、アーレンビーへ。意外なほどスムースに抜けて12時過ぎにはヨルダンに入ることができました。ラファをでて実に6時間で検問を通過し、イスラエルを抜けて、隣国へ入れる。
世界はこうして少しずつ良くなっているのかも知れません。
もちろんイラク情勢のように、急激な悪化もあります。でも、イスラエルとパレスチナは少しずつ良くなっているように肌で感じることができました。
アンマンでは仲の良いNICCO(日本国際民間協力会)の現地スタッフ対象のセミナーを開催。
心理社会的ケアについて知見を深めました。
深夜アンマンを発ち、夜通し飛んでフランクフルトに降り立ち、6時間乗り継いで夜通し飛んで朝の6時に日本に着きます。
そしてそのまま羽田空港から青森空港に飛んで、金曜日は青森の2公演ですね。
大好きな南澤先生という熱い高校教師が今年も高校で呼んでくださり、夜はその地域でのステージにつながりました。
自分の役割とは何か、それをこうして日々模索する毎日です。
桑山紀彦
相変わらずの強行軍ですね。二人ともどうぞ身体に気をつけてくださいね。
アーベッドの息子さんが病院に掛かれますように。
出国間際に切迫した状況を打開しようとする行動が出来る~桑山さんの使命感はすごいですね。
今更ながらに感じ入っています。