今日は山形県新庄市でのステージ。
実に10年ぶりくらいになるでしょうか。子どもたちのための「場づくり」をがんばっている皆さんに呼んでいただけました。
オリーブさんは20歳の時、フィリピンのカビテ市から山形県大蔵村の農家に嫁いできたフィリピン人女性です。
当時僕がやっていた日本語教室の生徒さんでその明るさはピカイチでした。
でも、嫁ぎ先の姑(義母)と合わず、夫も全くかばうようなそぶりもなく、その対立は目に見えてひどくなっていきました。
オリーブさんが一番腹を立てていたのは、
「人間として扱ってもらってない」
ということでした。
日本人側からの言葉の暴力はひどく、彼女はよく日本語教室が終わると涙を流して、
「家に帰りたくない」
と繰り返していました。
「自分は、子どもを産まされるためにここへ来たのか?」
そうも叫んでいました。中々子どもができなかった彼女は、それを理由に義父母や親戚から役立たずのようにいわれることが心底哀しく、そして傷ついていたのです。
しかし、ある時双子を出産しました。
けれど喜びもつかの間、孫ができるとより一層義母は彼女に辛く当たり、夫たる日本人男性はまるで感心などないようにパチンコに明け暮れていました。
煮詰まったオリーブさんは何度も家出を繰り返しては、そのたび僕が迎えに行くという感じでしたが、ある時これはあまりにひどいと思い、新庄市内にアパートを借りて住んでもらったこともあります。
その頃、NHK山形局に新任できた荒川紀子さんというディレクターがこの問題を番組にしましたが、荒川ディレクターが義母に取材に行った時に追い返される様は、テレビで視聴するにはあまりに前時代的な暴言で、あきれ果てたものです。
その後オリーブさんはこの恐ろしい家を出て、子どもたちとも離れて新庄市内で一人で暮らし始めました。僕たちは彼女への日本語指導を強化し、何とか定住できるようにがんばった覚えがあります。
そしてやがて、ある男性と恋愛関係となり、同居するようになっていきました。
その頃、「地球のステージ」が始まり、この定住外国人支援の活動から離れていくことになったのです。それ以来、オリーブさんとは会っていませんでした。
ところが、今日の会場に彼女は「スタッフ」としていてくれたんです。
「いや~、センセ、逢いたかったわ~!」
勢いよく抱きついてきます。全く変わっていないオリーブさん。あの時と同じように明るく、そして賢く、けなげです。
「あれからよ、今の旦那さんと結婚したんだ。子どもが生まれてよ、その子は今年の春高高1年になるんだ。前の旦那との子どもは向こうに預けた。もう上の双子は26歳になるよ。その下が24歳かな。なんとお双子のお姉ちゃんの方には子どもがいてよ。私もうおばあちゃんなんだっちゃ~!」
日本語は完璧、しかも新庄弁が板についています。
「センセ、変わんないね~。あの時のまんまだあ。」
「そうかな、結構太ったよ。」
「でも相変わらず歌、うんまいね~ほれぼれするよ。」
「そうかい、ありがと。ところで、オリーブさんはいくつになるんだ?」
「何だ、センセ、そったらことはレディには聴かねえことだよ!」
「んだな。」
「でも特別教えてあげるヨ。実はもう49歳なんだっちゃ~!」
「ええ!?49歳!?全然見えないんだけど~!」
「でもホントだよ。20歳で嫁に来てよ。24歳で双子産んでよ。26歳でもう一人産んでよ。28歳で離婚してよ。35歳で再婚してよ。37歳で子ども産んでよ。もうめちゃくちゃだっちゃぁ~~!」
全然めちゃくちゃじゃない。立派な人生だと思いました。そしてオリーブさんは今この新庄の街で、引きこもりや不登校に悩む子どもたちのための「たまり場」作りの活動に専従して5年。
自分の苦労を元に、ちゃんと人のためになろうとがんばっているのです。
「センセ、いつまでも元気でいてな!センセのおかげで、フィリピンの嫁さんたちみんな救われたんだよ。」
「地球のステージ」が始まる前夜。僕はこうして地域の外国人支援をしていました。そこで出逢った多くのフィリピン人女性たちの向こう側に「国際協力」を見据えることができたのです。
だからまさにこの地は「原点」。「見て見ぬふりはしない」と思い始めた「原点」の風景に今日また出逢いました。
オリーブさんに幸多からんことを!
桑山紀彦
ずっと以前からかわらない桑山さんの思いも凄いことですが、因習のハンデを乗り越えたオリーブさんの前を向く精神力の強さには感心させられるのみです。
先生に会えて本当に嬉しいです!先生に感謝の気持ちいぱいです。本当にARIGATOO( ^∀^)ございます。いろいろお世話になりました。今の私は先生のおかげです希望失った私にはげましてくれました、やがで私は希望と言う言葉を目ばいた。頑張るといつも言ってくれました。先生ありがとうございます。MAY GOD BLESS YOU ALWAYS。Give my regards to your family。