あの日の曽慶(そげい)小学校

2002年9月28日、今から11年前、岩手県曽慶は雨に濡れていました。
 大東町(だいとうちょう)の真ん中に位置する曽慶地区は風光明媚な山里が、雨に濡れて真緑に光り、この世の楽園のようでした。
 そして僕たちは曽慶小学校の子どもたちと出逢うのです。
 今でこそ、素晴らしく素直な子どもたちを、理事の青山先生の言葉を借りて、
「神様みたいな子どもたちだ」
 と呼ぶようになりましたが、当時はまだ青山先生とも出逢っておらず、僕たちはこの緑の雨に濡れる曽慶小学校の体育館で、神様のような子どもたちと出逢いました。
 ステージが終わった後の「質問コーナー」で、一番最初に手を上げたのは何と小学校1年生の女の子でした。
「あの、その胸にあるバッチは何のためですか?」
 と聞いてくれたのです。
 それまでは、活動した国でもらったものを「初心を忘れない」と言うことで胸につけ続けてきましたが、
「小学校の1,2年生の子どもたちの気持ちを惹きつけるため」
 という意味が加わったのは、この日以来でした。
 そんな忘れられない曽慶小学校のステージから11年。その時の保護者のお一人、佐藤さんが近くの公民館の館長になっていらっしゃり、今回11年の時を経て呼ばれることになったのです。
 早速曽慶小学校に行きました。
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 実は今年の3月で曽慶小学校は統廃合になり、今そこに子どもたちは通っていません。
 そして近々校舎が取り壊しになると聞きました。本当に残念です。あの時一番最初に質問してくれた小学校1年生は17歳の高校生になっているはずです。
 逢いたいですね。
 どうか、日本の地方が人々の生きる誇りを支えて、楽しく活発でありますように。今回のステージには実にたくさんの町の方が来てくださいました。
 そんなふうにイベントをやれば、人が集まる。そんな生き甲斐のある町がもっともっと増えますように。
 そんなふうに願いながら曽慶を後にしました。
 岩手県の豊かな農村よ、永遠なれ!
桑山紀彦

あの日の曽慶(そげい)小学校」への4件のフィードバック

  1. 15日にはたいへんお世話になりました。
    来場者から口々に「とても感動した」「涙が止まらなかった」などの声が多数寄せられており、主催者側としても、嬉しく思っています。スタッフの石橋さん、音響の須藤さんもお疲れさまでした。素晴らしいスタッフの皆さんのお力もあって、あのような感動のステージが出来上がるのかと改めて思いました。
    また、私の母校、曽慶小学校のこともご紹介いただき、重ねて御礼申し上げます。…嬉しいお知らせです。11年前の公演でバッチの事を聞いた女の子が分かりました。現在、大東高校に通う3年生だそうです。後で近況をお知らせできると思います。

  2. 佐藤さん、その人に会いたいんですが~。
    大学受験中でしょうか。もしもそうであれば、受験が終わってからでもいいので、お会いしたいです。
    何卒よろしくお願いいたします。
    桑山紀彦

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