今日は、久しぶりの山形公演でした。
2009年10月末まで山形に拠点を置いていた私たちは、その後津波に遭い、一時山形に事務所を数日間戻したこともありました。
山形は常に隣人であり、補給の基地でした。
そんな山形の生協連のみなさんが年に1回の大会で呼んでくださいました。場所は山形市の山形テルサ。そう、300回記念公演を2001年にやったところです。なつかしいな~。
来年はもう3000回記念公演の時期になります。
暖かい笑い、強い拍手・・・。
どれもが大好きな山形そのものでした。離れてわかる故郷のありがたみ、のような感覚。特に山形生まれの山形育ちの明ちゃんはしきりに、
「山形いいな~」
と言っています。津波で緑も何もかもなくなった名取の沿岸部。家を失った人たちが、地元の復興計画に愛想を尽かして、家を立て始めているために、ステージ事務局のまわりは工事だらけです。
それはそれで一つの「復興の形」なのだとは思いますが、ある日風景が激変し、その後もどんどん変わっていく姿を見つづけてそこに暮らすと言うことは、とても悲しみのある事だと初めて知りました。それが、被災地に暮らすといううこと。
「いつもの風景がずっと変わらずそこにある」
ことのありがたみを改めて感じるものです。
ステージの1番も今ではすっかり新しくなり、「フィリピン篇」はすべてがフルハイビジョンになって、なんとロエナスが還っていったサンボアンガが出て来るバージョンです。
「ソマリア篇」もアップ・コンバートを掛けてフルハイビジョンとなり色のノリも格段に良くなりました。
「東ティモール篇3」もすべてEOS 5D Mark IIIによる映像で、最後の海に沈んでいく太陽は圧巻です。
そこに震災を伝え、最後は映画「ふしぎな石」の番宣を入れました。みなさんが涙していらっしゃる。素直に生きていらっしゃる山形の生協連の会員の皆様に感謝感謝でした。
土曜日の夜からJICAの仕事でタンザニアに入ります。また新しい作品を創るべく出かけますので、こうご期待!!
桑山紀彦
復興計画が議事堂の中で議論だけが繰り返され、だんだんと被災地から離れ遠くなって行くのがきになります。地元中心に見える行政を願ってやみません。
山形公演だと音響は須藤さんだったでしょうか?
久しくお会いしていないのでお元気だとうれしいです。
明ちゃんも故郷に帰れてよかったですね。
タンザニアとはまた、遠出ですね。
どうぞお気をつけて行ってらしてください。