シリア人難民キャンプ

今日は、国境を越えてヨルダンに入りました。

 そして向かったのはザアタリ難民キャンプです。これはシリア国境に近い「ザアタリ」の街の近くにできた実に16万人(推定)の難民キャンプです。入るなり物々しい警戒と共に、「難民キャンプに入った」という感じがします。
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 現代の難民キャンプは昔ながらのテントタイプもありますが、実はコテージタイプのものも増えてきました。これは、同じアラブ諸国がこぞって支援を競い合う中で見られる「張り合い」でもあります。特に目だったのは、サウジアラビアから送られてきたコテージ型住居でした。
 それにしても驚くのはシリア人の生活力です。もう既に一つの街と化し、ありとあらゆるものが売られ、お店も至る所に開店。支援物資もごっそり売られていますが正直国連も国際支援機関も文句を言う雰囲気ではなく、ひたすら黙っている感じです。
 それほどにシリア人の商魂たくましさと生活力は、こちらを圧倒していました。
 しかし一般の生活はそんなに楽ではありません。
 そんな難民キャンプの外れ、18街区で出逢ったのがインティサラさんでした。
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 たくましき8人の子どもの母である彼女はシリアの街、ダーラから歩いて6時間、その後トラックに潜り込んでこのザアタリ難民キャンプに逃げてきました。道で会うなりものすごい勢いで話しかけてくるのですが、決して怒っているのではなく、訴えてきているのです。そして時にはユーモアも交えて伝えてくる姿勢にとても共感を覚えたのです。そして、
「よし、お茶でも飲みに来るか?」
 と誘ってくれるので、
「ぜひ!」
 といってついて行ったのがテントの中でした。そこでインティサラさんはいろんな事を話してくれました。
 「アブ・リール(夜の父)」という愛称で呼ばれる夫は今もシリアに残り政府軍と戦っています。彼女は夫が活動しやすいようにと、故郷を離れてこの地に逃げてきました。しかし、生活環境は劣悪です。例えば「水」。飲んだだけで下痢をし、場合によっては血が混じるという。一体どんな不純物の混じった水が配給されているのか。加えて学校です。キャンプの中ではなく、周辺のヨルダンの子どもたちが通う学校に行くことになっているため距離が遠く、子どもたちが歩いて行くにはあまりに厳しい道のり。そのため学校に行かせていません。だから子どもたちの心が心配。日に日に自信をなくし荒れてきているのがわかります。だから、心のケアにはとても期待しているけれど、やはりまずは生活が安定しないといろんな事がうまく回らないと訴えてきます。
 そんなインティサラさんに聞きました。
「シリアに還りたいですか?」
 すると彼女は答えました。
「それは質問にはなっていないよ。なぜなら還るのは当たり前のことだから。私の故郷の国、シリアに戻り、故郷の街で平和に暮らす。そのことを祈らなかった日は一日だってないよ。」
 彼女の娘、アミーナがいいました。
「お母さんは強い人。信念を通す人。お父さんはもっと信念を通す人。そんな二人を見て、私はいつも誇りを感じる。だから私ができることはいつも笑顔でいること。それが2人の気持ちを支えることだから。」
 アミーナの美しい笑顔が一層光りました。
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(向かって左端がアミーナです)
 シリアの人はいろいろと悪口を言われています。ずるがしこいとか、冷酷だとか・・・。でも僕たちが会ったシリア人は全く違っていました。どこにでもいるアラブの人たちの優しさや思いやりに満ちていました。
 やはりここでも人の気持ちは生きているのです。
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 「シリア篇」として、制作できそうなのでがんばって創ります。
桑山紀彦

シリア人難民キャンプ」への3件のフィードバック

  1. シリア篇、ステージ6のCD楽しみにしてます(o^∀^o)
    お身体に気をつけて帰って着てくださいo(^-^)o

  2. 満ち足りすぎて笑顔の価値など、改まって考えることを気づかなくなっている我が国にあって、笑顔が大切なものと信じている人がいる。
    幸せってなんだろう?考えさせられます。

  3. 報道ではなかなか伝わらないシリアの人々の暮らしや気持ち。
    こうして現地の様子を伝えることがとても大切だと改めて思いました。
    ステージでのシリア篇、期待しています。

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