村での巡回診療

今日はノレマ村に出かけました。

 クルマでは約3時間。途中大きな川を渡りますが、実は3日前からぴたりと雨が止んで、どうやら乾期に入ったみたいなのです。それでも結構な流量がある川を渡りました。なんともエキサイティング。
 まるで遊園地に来たみたいだとみんな結構喜んでいました。
 それほど大変なところへ出かけていくのだということがわかってもらえてよかったと思います。
 ノレマ村では200人以上の村人が待ち受けていました。早速保健衛生教育を行い、妊産婦の計測、新生児の発達チェックを行って、いよいよ診察に入りました。いつものように僕が大人を、アイダが子どもを担当しますが、お互い約100人ずつで計200人弱の診察でしたが、やはり暑い・・・。
 結構疲労がたまります。
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 それでも医学部5年生の鳥山さんが薬剤部分に入ってくれて助かりました。医学生時代にこんな経験ができるなんて・・・。放浪の旅に明け暮れていた自分から見れば、隔世の感がありますね。
 一方逸併君はどんどん子どもたちの中に入っていきます。
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 すごい才能ですね。まずテトゥン語の基本を一生懸命覚える。そして恐れず使って行く。すると覚えられるし、子どもたちと会話ができるので楽しくなってもっともっと単語が頭に入っていくんですね。
 テトゥン語は実に単純な語いによって構成されている言語です。例えば逸併君は
「名前は何?」
 という問いかけを大切にしています。それは、
「Naran Sa Ida?」
 となりますが、Naranは「名前」、「Sa」は「なに?」、「Ida」はBe動詞です。
 だから実に単純なことに、
「名前、何、ですか?」
 と聞いているわけです。
 いくつかの単語と、それを単純に並べることで通じてしまう、それがテトゥン語なのです。だからこそ、使い慣れていくととってもわくわくできるわけです。
 逸併君は、どんどんボキャブラリーを増やしていきました。
 ペンシル・バルーンは僕が持っていったものはみな使い果たし、その後は逸併君オリジナルの折り紙コマで子どもたちを虜にしていました。
 現代ニッポンにもこんなに心開けた若者がいるんですね。嬉しくなりました。これはきっと青年海外協力隊の村落開発や青少年教育にぴったりな人材です。消防士になってしばらく経験積んだら是非、協力隊を考えて欲しいなあ、と思いました。
 夕陽の中、一路ディリを目指して帰路につきました。
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 リキサまであと30分くらいのところで夕陽が沈んでいきました。雨期ではぜったいに見られない、美しい夕陽が沈んでいきます。沈む瞬間に雲がかからず、まん丸な夕陽が海に沈んでいきました。
 岐阜育ちの逸併君が言いました。
「オレが見てきたのはいつも山に沈んでいく夕陽だったなあ。こんなふうに海に沈んでいく夕陽が見られて、オレ本当に幸せだなあ・・・。」
 海に沈んでいく夕陽に、幸せを感じることのできるその感性こそが宝ものなんだよ、逸併君。
 日本の若者に、幸多からんことを。
 明日、木曜日はこの東ティモールで活動している青年海外協力隊の皆さんの現場を訪問し、夜は会食です。
 協力隊の皆さんはみんな訓練所で「地球のステージ」を見てから出国されているので、みんな知り合い、友だちです。どんな日々を過ごされているのか、どきどきですね。
桑山紀彦

村での巡回診療」への2件のフィードバック

  1. がんばる若者を見て嬉しがる…齢を感じますねぇ、50代ですからねぇ、ご同輩!
    放浪の旅に明け暮れていたからこそ今の桑山さんがあって、桑山さんがあってこそ東チモールで頑張る鳥山さんがあるのですよ。

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