今日、岐阜市の済美高等学校の公演をもって4000回目の公演を終えることができました。
ひとえに多くの人に支えられてここまでやってこられた思いでいっぱいです。
そう書くとありきたりかも知れないし、「本当にそう思っている?」「自分の頑張りをほめたくならない?」と思う人もいるかもしれませんが、全くそういう思いになりません。素直に、
「みんなのおかげだなぁ」
と思います。それくらい「独りではここまで絶対に無理だった」と思えたことが、とっても幸せなんだと思います。4000回まで26年かかりました。コロナがなければ毎年150回~200回公演だったので、3500回を記録した5年前から約2年半で4000回のはずでしたが、実にその2倍の5年かかってしまいました。この3年ほどは年間50公演が限界でした。
4000回は一つの通過点だと思っています。これからも少しでも多くの学校を回りながら、この日本の子どもたちのためにできることを「公演」としてやっていきたい。その想いでいっぱいです。
済美高等学校は翠先生が3年連続で呼んで下さいました。座談会は4人と少なかったけれど、とっても有意義な会話になりました。その中にいた1年生が言いました。
「私は小学校から3回ほど大きないじめに遭い、小さいものを併せるとかなりの回数いじめられてきました。でもそれで心折れることなくここまで来ているのは、一つに”親がいつも話し相手になってくれてきた”こと。もう一つはいじめてくる側にも”それなりの理由“ってのがあって、それがわかると、余りカリカリしないしない自分になれてきたことです。」
涙でそうでした。
そんな大事なことを交流会で、目の前で語ってくれる女子高校生(16歳)に感動したし、これこそがこうして全国の学校を回らせていただいている一番の目的なのだ、と思いました。
記念すべき4000回公演でした。
翠先生、ありがとう。
そして今まで4000回のほとんどのステージを1997年から支えてくれている明ちゃん、2000年からずっと支えてくれている優子ちゃん、ありがとう。
その足で故郷飛騨高山に帰り、90歳になる母と兄に会いました。この4000回の記念を家族みんなで祝えたことがまた幸せでした。
今明日のつくば公演に備えるべく、海老名への中央道を走っています。
明日は4001回、つくばの親父連の主催するこれまた大事な大事なステージです。
桑山紀彦