パレスチナに出かけてきます

今成田空港です。

 今日から来週木曜日までパレスチナ自治州ガザ地区に入ります。
 前回2月は、実は許可が下りているのに現場に伝達が行っておらず、入域できなかったのですが、今回はその許可がつづいているので全く問題なく入域できると思います。
 ダルウィーッシュやアーベッド、マジディ、そしてモハマッドに逢ってきます。
 今回も心のケアの活動ですが、久しぶりに「貝殻のワークショップ」を行えればと思っています。これは2004年7月。みんなで海を見に行ったとき、みんなで集めた貝殻の内側に、
「自分にとって大切な5つの言葉」
 を書き込んでもらい、日本の皆さんに送りました。今でも、その時の貝殻をもっている方もいらっしゃると思います。
 今のガザ地区において5つの大切な言葉とは何か、そんな事がわかるといいし、子どもたちがそれを確認することで一層これからの日々に目標が確認出来るといいように思います。
 さて、「スカイルーム」はつづいています。
 現在6月は「写真撮影ワークショップ」です。今週は「顔」「表情」ですが月曜日の下増田チームはなかなかいい表情を撮ってきてくれました。何より「写真」が時と空間を越えていろんな事を伝えることが出来るのだということが、少しずつ伝わっている気がします。
 詳しいところは明日、リンリンかケンケンが報告してくれることと思います。
 そしていよいよ7月に入ると「映画撮影ワークショップ」です。
 子どもたちとオリジナルの映画つくりです。内容や詳細は、子どもたちと話し合って決めていくものなので今の時点では何とも言えないですが、機材はプロ仕様(ステージで使ってきましたので)。音声、照明も完璧です。
 いよいよ閖上、そして下増田(仙台空港周辺)を舞台にした子どもたちのオリジナル映画づくりが始まります。
 それに先だって、桑山と優子ちゃんが主演し、りんりん、けんけんが撮影、録音し、明ちゃんがカチンコを打った作品「不思議な夢」をここで紹介できると思います。
 原作&脚本は桑山紀彦です。
オリジナル短編映画「不思議な夢」は→ こちら
では、行ってきます!
桑山紀彦

パレスチナに出かけてきます」への7件のフィードバック

  1. 人の心は共通、ガザの5つの言葉も宮城の子供たちの想いも一本の糸でつながっていることでしょう。
    多くの企画が同時進行で息つく暇がないでしょうが、スタッフの皆さん!疲れないように頑張ってください。

  2. 今回はしっかり活動出来そうで何より!
    2004年から8年の月日が経って何か変化があるでしょうか?中学校でステージを開催するにあたって、ステージ1からと決めたけど、2の海に行った女の子達を子供達に見せたくてステージ1はとばして2にしたいよぉ!と願ったことを思い出します。副校長に1にしましょう!と押し切られました。
    映画、携帯では見にくかったので、パソコンで見ます。どんどん進行して行きますね。写真がみたい!

  3. 桑山さんパレスチナへ・・・いってらっしゃ~い
    ガザのみなさん、首を長くして待っていることでしょうね。
    不思議な夢のプロローグを観て
    『つづき』を早くみたいと思いました。
    こどもたちの映画制作、仲間に入れてもらいたいくらいです。
    楽しみにしてます!!

  4. ここで紹介して戴いたのは『不思議な夢』のプロローグなのですね。
    さっそく拝見したのですが、この難聴の耳には、最後までほとんど何も聴こえません。だいたいどういった内容なのか、大まかなあらすじのような辺りだけでも伝えて戴けると嬉しいのですが。
    もちろんパレスチナからお帰りになってからでも結構です。
    どうぞお身体に気をつけて☆

  5. 映画、見ちゃいました。口元がほころんでいます。桑山さんや優子さんの演技はともかく、早く子供たちの姿を見たいものですね。
    ガザでしっかり、やってきんさい!

  6.      原稿料って?
     退職した記念に県内の研究誌に雑感を寄せてくれという依頼があった。どうせボクの考えていることである。たいしたことはない。そんなもんでもいいか、それでもいいなら書くけどというと、
     「先生には、永年教育に携わってきた実績があります。そんな経験から、それを元にした思いのたけを述べていただけたらいい文章ができるとと思うのですが・・・」と、編集者は猫なで声でいうのである。
     「でもね、ボクの考えなんてたいしたことないよ。それに『地球のステージ』だって毎年開催するというようなことは出来なかったし。俺ってたいしたことないよ。実績もなにもないし、そんなボクが書いてもいいの?」
     「大丈夫です。先生ならできます。ぜひ、お願いします。それに先生、文章、うまいじゃあないですか。少額ですが原稿料も出しますから」
     「えっなに、?。原稿料って!」
     ボクの心は動いた。ボクはイヤシイのである。年金生活の身にとって原稿料は嬉しい。先日のジャンボ宝くじは買ったが掠りもしない。そんなこんなで生活は苦しい。イヤシイ心で訊いてみた。
     「げげげげッ、げん稿料って、それでいくらなの?」
     「県内研究誌の規定の稿料がありますので、それに従いまして・・・・」
     いくらとは言わないのである。まあいいか。貧乏の県教育予算である。頭で計算してみると、原稿用紙十枚書いたとして、安くても千円は下らないかもしれない。上手くいけば五千円くらいはもらえるかも知れない。以前、県内の研究会でレポート発表したときには資料代という名目で五千円もらったことがある。予想として千円から五千円の原稿料と考えていいだろう。ボクは胸算用を終わらすと、
     「分かりました。下手な文章になると思いますが、それでもよければ、書かせていただきます。よろしいでしょうか」
     「有難うございます。よろしくお願いいたします」そういって電話は切れた。
     三か月後である。
     印刷された研究誌とともに原稿料が送られてきた。ボクは研究誌などどうでもよく、原稿料の入った封筒を息急き切って切った。入っていたのは七百五十円であった。思わず、肩の力が抜けてしまった。思惑が外れたとはこのことか。
     最近読んだ本にこんなのがあった。
     サンデー毎日の元記者、徳岡孝夫が書いた「五衰の人」である。これは三島由紀夫と、当時担当の記者であった徳岡が、作家三島由紀夫の人間像について書いたエッセイであるが、この中に三島由紀夫の原稿料についての記述があった。以下「五衰の人」より抜粋。
     --------
     当時の三島さんは雑誌「新潮」に『豊饒の海』を連載中だった。
     三島さんはいきなり反問した。
     「ぼくの連載小説の文芸誌の原稿料、いくらだと思いますか」
     「さあ・・・・・・ちょっと分かりません」
     「一枚三千円ですよ」「・・・・・・・・・」二の句がつげなかった。
     「それに、誰もろくな批評をしてくれない」(中略)
     私は三千円(四百字詰め原稿用紙一枚)のショックを、それを聞いたときのプールサイドに真っ赤なハイビスカスが咲いていたことと一緒に、はっきり覚えている。
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     これを読んで、ボクもショックであった。ノーベル賞の候補とまでいわれ、当時の日本文学の最高峰川端康成(1968年ノーベル賞受賞)と並ぶ文壇の大家である。」
     作家の原稿料ってこんなに安いの??。ビックリしてしまう。まあ、四十年ほど前のことではあるが・・・・。
     ボクが藤本儀一の学校へ通っていたころは、十年ほど前のことではあるが、直木賞作家の原稿料がおよそ一枚三万円ぐらいだということを藤本儀一は言っていた。さらに、作品の価値は、原稿料の過多で決まるものでもないとも言っていた。ただ、大事なのは三百円でも自分の書いたものが金で評価されるようになれば「それがプロ」であると。そんなものかなあ、とそのときは思ったものである。
     吉本若手芸人の一回の舞台出演料が五百円だということを聞いたことがある。舞台に出るために電車を使ってご飯を食べたら赤字だそうだ。そのため売れない芸人はアルバイトをしなければ生活ができないそうだ。
     三島由紀夫が、三千円かあ。
     吉本若手芸人が五百円かあ。そう考えると、七百五十円は、貰いすぎかもしれない・・・・・・。
          わかやま なかお(関係ない話でごめんなさい)

  7. ガザに入れそうで安心しました。懐かしい皆さんとの再会ですね。
    タハニは元気でしょうか?報告を楽しみにしています。
    映画、見ました♪ 続きは子どもたちと一緒に作るんですね。
    写真のワークショップも順調に進んでいるようですね。
    閖上の財産が増えていくようでうれしいです。

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