今日は岐阜市内のNPOや「コープぎふ」が集まって主催された「つながろう企画実行委員会」のステージでした。
武野さんという我がステージの会員の方が実に熱心に働きかけてようやく実現したステージでした。
4月に入ってから、映像を見直し、語りを見直し、細部を煮詰めた「震災篇」と「復興篇」が始まりました。2年目に入って語るべきこと、省くべきことが見えてきた気がしました。
そして同時に思うことは、「被災地が忘れ去られていっている」と嘆くのではなく、被災地自らがちゃんとした「発信」をすることが求められているということです。
忘れてしまう人たちのことを非難する前に、被災地としてきちんと非被災地に伝わるような「形」を提示しなければ、あっという間に忘れ去られてしまう現実を見つめなければならないと感じたステージでした。
それはすなわち、被災地が果たすべき責任や役割が1年目よりも増大しているということです。1年目は「大変ですね」「応援していますよ」で、過ごして来れました。でも2年目は私たち自身がきちんと責任を持って発信し、その発信にもわかりやすさやクオリティの高さが求められていることを自覚して行く必要があると思うのです。
それが、「地球のステージ」の内容をいつも更新していき、その曲や語りのレベルを上げていくべきであること。「閖上あみーず」がこれからもいい品物をつくって展開していくこと。「スカイルーム」の子どもたちの作品が高いクオリティを持って、人にインパクトを伝えられるようなものにすること。そして日曜日に開業する「閖上の記憶」が人々に受け入れられて、全国から「そこへ行ってみたい」と思ってもらうようなものにしていくことが求められていると思います。
更地になって、何も変わらなくなってしまった現状を、誰か人のせいにするのではなく、被災地からの発信をきちんとしていくことで、「何かが動き出す」ことを信じていっていいと思います。
その意味で今日の岐阜のステージも、皆さんがまだまだ高い興味と関心を持って下さっており、被災地からの発信を心から待って下さっていることを知るのに良い機会となりました。
「つながろう」の皆さんも頑張ってお客様を集めて下さいました。
そして嬉しいことがありました。
今から7年ほど前、まだ岐阜の学校では流行っていなかった時代に、青年海外協力隊のOGで現役教師でいらっしゃる加納貴美子先生が鵜沼第二小学校で呼んで下さいました。その小学生たちのあまりにすばらしい聴く姿勢に感動したことを、いろんな学校でよく語っていました。
その時5年生だった林君は、今高校3年生になり、今日ステージに現れてくれたのです。あの時のステージに感動は今も忘れていないという林君。そんなふうに時を経てまた逢える幸せをかみしめられることこそ感動です。
そんな林君はもう「世界」を見て、この8月からアイスランドに留学します。
「地熱発電について学びたいんです。」
そんな高校生が岐阜にはいます。
そして今日も大垣北高等学校の高木先生や、元北高教諭の翠(みす)先生も来てくださいました。熱い高校教師も集ってくれます。
いよいよ日曜日は「閖上の記憶」のオープンです。
そこに常駐する人を、求めています。
桑山紀彦
桑山さん、明ちゃん、コープ岐阜の皆さん今日はありがとうございました
やっぱり涙が止まりませんでした
桑山さんが、自分達が被災地から発信していかなければ…と話してみえましたが、私達も被災地のことを忘れていないよってもっと伝えていかなきゃいけないんだなと改めて思いました
今日、笠松の子ども達は少しでも桑山さんの近くに行って私達忘れていないよ!ずっと応援しているよっていう想いで一番前の座席に座っていましたよ
私達も自分達のできることを頑張っています
忘れていません
これからも周りの人々に伝えつつ、応援していきます
有言実行の桑山さんを見習い、頑張っていきます
故郷でのステージ、よかったですね。
ステージの少ない4月が充電の月になってよかったなぁと感じられる爽やかな今日のブログ、嬉しくておもわずコメントしました。
進化していくステージはわくわくして楽しみです。
非難は非難を呼び寄せ、意欲はさらなる意欲を生む。
マイナスはマイナスを呼び寄せ、プラスはプラスを生む。
そんなことをあらためて自覚させていただき、見方を変えて嬉しい楽しい毎日にするようにまた頑張ろうという気持ちになりました。
桑山さんはじめ被災地の皆さんの謙虚で感謝を忘れず前向きにな姿に、もっともっとできることを応援したいという気持ちが湧いてきます。
被災地を忘れることはありません。10年20年、ずっとずっと応援させてください。
昨日のステージ本当に良かったです。コープ岐阜の皆さん本当に地球のステージを呼んくださってありがとうございます。今回も涙が止まりませんでした。桑山君の震災から一年たったからといって決して立ち止まらない、いつも前に前に、さらに負荷を自分に課しながら進んでいく様子に驚きと感動を覚えました。映像も益々きれいな画面に修正され、基本の語りは同じでありながらも、その開催される時期や場所によって、目の前の方々に最大限に伝わるように気持ちが乗った言葉で語られていますね。これからも、微力で何ができるか分かりませんが、傍らでエールを送り続けたいです。桑山君の活動が波紋のように広がって、世の中の人々の意識が良い方に変化して行くことを見届けたいと思います。『人』という種類の生き物がずっと地球の上で、他の生き物や美しい水や空気や風景と共にずっと生き続けていけることをやはり、自分は願っています。また、震災を機に日本の中で、より良く生きようと、日本を良い方に向かわせたいと声を上げるの発言がたくさん届くようになりました。そして、政治家や企業、誰かのせいにするだけでなく、自分たち一人一人が夢を持って変わっていくこと、行動を起こすことが大切だと思います。自分もそのことが、今回の震災で亡くなられた方々へのお返しであり、祈りだと信じています。
小学生の時に見たステージから夢をつかんで将来に向かって
飛び立とうとしている高校生の存在がうれしいですね。
桑山さんの言葉はこうして受け継がれて行きます。
東日本大震災の被災地のこともずっと伝え続けてくださいね。
私たちもずっと応援して行きます。
遠隔地にいると3・11当時の映像が強烈過ぎて、おかしな言い方ですが、その後のことがすべからく刺激が薄らいでいる~という側面があるかもしれません。
昨日、所用で仙台東部自動車道を走っていました。車中から見た閖上をはじめとした田園地帯は、雑草もなく整備された畑が多く見られます。
しかし、「震災編」をたびたび見ていた私は、その裏に隠れた実態は「塩害で数年間はお米が作れない荒廃田」だと直感しました。同乗者は「意外ときれいになっているなあ」という感想を漏らしています。
圧倒的に多いと思われるこういった人々に、被害の裏側やその後をどう知ってもらうか・・・。桑山さんの言われる「被災地からの発信」がまさしく効果的な手段の一つだと思いました。
同時に、自分自身も、あの時の熱い思いを忘れずに気を引き締め
た一夜でした。
桑山さん、
岐阜市文化センターでのステージ、ありがとうございました。
500席は埋まりませんでしたが、会場にいた人々には、桑山さんの語りや歌で、
「3.11を忘れない!in ぎふ~つなげよう・ひろげよう!よりそう心~」の
催しが目指したものが伝わったのではないでしょうか?
林君、
しっかり前を見つめて座る姿は、その向こうにある「未来」と
自ら決めた「自分の使命」を見つめる姿だったのですね。
あなたと同席出来た事を、誇らしく嬉しく思います。
☆ noriko ☆様
岐阜に桑山先生を呼んで下さりありがとうございました。
私も進化していく「地球のステージ 震災復興編」を
観させていただいて感動したひとりです。
東北物産販売のもコープ商品も買って家族にお料理でふるまいました。
ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
全国の皆さん、今年も桑山先生のステージは素晴らしいですよ。
ご期待くださいね。