来年度のステージの依頼が、正直減っています。
自主企画がほとんどなくなり、毎年開催しようとされていた方も、隔年開催になったり・・・。
せっかく自主企画を立てようとされても、会場が取れなかったり・・・。
大きいところでは生協広島がなくなってしまったことは痛かったですね。人事が動くとガラリと変わるところもあります。
そして盟友福島の依頼も激減したままです。それどころではないですよね。
地元宮城県の依頼もやはり伸び悩んでいます。
岩手はもともと沿岸部からの依頼が少なかったのでなんとも言えませんが、代わりに内陸部の皆さんが頑張ってくださっています。
じわじわと被災3県のど真ん中にあって、その被災3県の公演回数に支えられてきた「地球のステージ」は体力を失っています。
思えば、昨年被災して「もうステージはやれないのか」という思いがよぎる一方で、
「今、被災地にいる“地球のステージ”だからこそ伝えるべきことがある。」
と思い直し、「震災篇」を「この国へ」という曲に乗せて創り、全国公演を再開しました。被災直後の痛手も癒えない中で、どうしても、
「”地球のステージ”は何があっても公演をし続ける。」
という意志を表明することが大切と思い、無理をして出かけた愛知県大口町も、今年は依頼が来ませんでした。「復興篇」の公演を大口町の人に届けることが叶いませんでした。
あの時全国の皆さんにお願いしたのが、
「今だからこそ、ステージを呼んでください。私たちは被災地でありながらもちゃんとステージを続けたいと思っています。そして「地球のステージ」として、被災地のことを伝えたいです。」
という言葉でした。
それに呼応して、全国の皆さんが呼んでくださり、今年度は被災直後から2ヶ月間はほとんどステージが出来なかったのに、210回くらいの回数になりそうです。本当に救われた1年でした。
ところが来年度は講演依頼が激減しました。
もちろん秋はもう入れるところがないほどですが、4,5,6月はガラガラ。8月もほとんど入っていません。
秋も通常は2公演が毎日ですが、そんな公演も確実に数が少ないです。
正直、どうしていくといいのかわからなくなりました。
一生懸命やってきたつもりですが、どうして依頼が減り続けていくのか。やはり「飽き」られて来ているのでしょうか。
「震災篇」に続いて「復興篇」やJICAとの協働で「復興国際協力篇」をつくり全国を回ってきました。内容的に厳しい津波そのものが襲ってくる瞬間の映像などを出したのが、よくなかったのだろうか・・・。いろいろと考えています。
もしも皆さんの中で「地球のステージ」を開いてみたいと思いつつも、迷っている方がいるとしたら、私たちはこうお伝えしたいと思います。
「2年目の復興期、被災地を支える一つの方法として“地球のステージを開催する”ということも考えて頂けませんか。
2年目だからこそ伝えられることがあると思っています。
被災地は被災地なりの“復興”を伝えたく、“復興篇”と、その後の新作“未来篇”(4月中旬以降の公開を予定しております)を公演できます。
地球のステージを開くことも、復興期の被災地を支える一つの方法だと思って、ぜひ一つでも多くの公演をさせて頂けませんでしょうか。」
ステージには1番から6番までがあり、震災と津波のことを演目から外して世界の出来事のみを伝える本来のバージョンもあります。
あるいは「震災篇」「復興篇」「未来篇」を自在に組み合わせて、震災と津波について深く触れるバージョンも出来ます。
近くで同じ「地球のステージ」が開催されるとしても、「震災篇」を公演したその4ヶ月後に「復興篇」を受け持って公演することで、同じ地域で近い日程で「地球のステージ」が開催されるとしても、「続きが見られます」と広報することでかえって集客できる場合もあります。
是非とも、もう一回公演をお考え頂けませんでしょうか。
それでも、心通わせた全国各地の皆さんが来年度も依頼を下さっています。変わらず、そうして接して頂けることが心を暖かくしてくれます。
2年目は「復興」をテーマに、皆さんにとって被災地が忘れ去られることのないように、復興までちゃんと見届けて頂けるように、インパクトのある公演を展開していきたいと思っておりますので、今年以上にご期待下さい!
桑山紀彦
わたしは高校の時に1回、大学生になり1回。
そしてまた5月に桑山さんのステージを
見させていただけます☆
いつも、いつも感動して涙し、
そして様々な思いをして、
とても考えさせられます。
わたしはそんなたくさんのことを考えられる
地球のステージが大好きです。
また5月京都でお会いできるのを
楽しみにしております。
えらそうなことは言えませんが、震災編・復興編も「こども」をキーワードにしたら如何なものでしょうか。
夏に九州に…呼びたいなぁ…。4月中には決定できると思いますので、その時はぜひ来てください。大震災の二年目は、非被災地が被災地の皆さんの声を聞くときだと思います。「光は西へ!」九州へ!!!
<みかん箱の意見>
■簡単に自己紹介
自分と「地球のステージ」との出会いは、自分が山形西高在学時(たしか2年生だったときで、早生まれなので、16歳くらいだったと記憶している)。
それから、大学時代の映像お手伝い時期を経て、それを機会に名前を覚えてもらい、3年次→4年次に上がる際の春休みに、カンボジアのスタディーツアーに参加させていただいた。あのときの様々な経験が、その後の自分の人生に、幅広く影響したことは言うまでもない。今でも、人生の糧となっている。その後、大学院修士号を取得。社会に出て、様々な仕事を経験し、様々な人に出会う。現在、30歳。
■意見
私が初期の桑山さんのステージと出会ってから、早いもので、もう15年になります。桑山さんが学生時代から、レストランで歌っていた頃から計算しても、「地球のステージ」は、とても大きいものになったと思いますし、今は、円熟期にあるのではないか、と勝手に推測しています。(日本経済自体が円熟期であり、人口減少社会であります。また、直近の経済史においても、ITバブルの後は、好景気はなく、リーマンショックがあり、サブプライムローンのこげつき問題があり、ギリシャ危機があり、戦後最大級といわれる円高があり、そして、あの震災もあったのです。無理もないです。逆に、よく持ちこたえてると驚くばかりです。)
若輩の自分が上から物を言うようで、たいへん恐縮ですが、今は、選択と集中の時期ではないですかね…。4月~6月あたりは、とくに。
抱えるものが増えれば増えるほど、責任感ばかりが大きくなってしまい、途方に暮れることもあるかとも思いますが、ここはひとつ、“今の桑山さんにしかできないこと”。“今、目の前で、桑山さんでなければできないお仕事”に集中されてみてはいかがでしょう?
だれに置き換えても言えることかもしれないですが、私自身は、最近このことをとても大切に過ごしています。
みかん箱さんの意見に賛成です。
人間はとかくうまくいかないとき、自分になにか落ち度があるのではないかと考えてしまいます。(そういうときも多々あります)が、自分という存在が社会のなかにいるということを忘れがちなのです。それは自分を取り巻く社会は自分の専門分野の外にあることが多いからです。
冷静に社会状況(とくにこれは生き物で日々刻々と変化しています)、政治・経済、国際社会、円高、様々なトレンド等々を忘れがちになってしまいます。もちろんこの中には、自分自身のマンネリが原因でうまくいかないことも含まれますが、自分が斬新であることはとても難しいことなのです。斬新であることが何かさえ忘れてしまっていることもあります。ですから、常に新鮮で、画期的で革新的であることはとっても難しいことだと思います。
ですから、作家を始めとする芸術家は、常に「生みの苦しみ」というものが付きまといます。そして「生みの苦しみ」がなければクリエイティブな物とは成りえないからです。
いつも革新的なものを提供できるひとは、やはり才能がただものではないのでしょう。それと自分を比較してもしょうがないと思います。ただ自分ができる範囲内で精一杯やればそれでいいのではないでしょうか。
「そのように、あれこれ偉そうなことを言うなら、5月や6月や7月でもいい。お前が「地球のステージ」を和歌山に呼んだらどうだ」、という声が聞こえてきそうですが、悲しいかな、ボクにはそんな力はまったくないのです。まったくもって情けない奴です。ゴメンナサイ。
それでも、なんだかんだいいましたが、基本的にはみかん箱さんの意見に賛成なのです。以上、雑談です。
和歌山 なかお
NPO地球のステージにとって、活動の中心となるステージがないということは大変なことなのです!
復興支援という観点から、ステージをやれるように皆さんから呼びかけできないでしょうか。
被災地を忘れないために、被災地の今を伝えてもらおう、という気持ちでステージを開催したいです。
NPO地球のステージ自体も被災者なのだ、ということをもう一度思い出してください。
全国の皆さん、よろしくお願いします。
昨年 子供の小学校に 是非 来ていただきたくて お願い致しましたが
スケジュールが合わす 叶いませんでした。
「予算の問題もあるし…
難しいのだなぁ。」
と 諦めかけていたところでした。
皆さんは どんな行動をとられて 実現したのでしょうか?
地球のステージに来ていただきたい、そう思いながら、実現できず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
地球のステージを私のように待ってる人間が、日本中にいるはずです。
私は、医師としての桑山ドクターに出会い、それがきっかけで見に行った、地球のステージで救われました。
もう一度、やってみよう。
そう思えました。
桑山先生、あきちゃんが頑張っている姿や様子をブログで読むと、自分は一体何をやっているのかと反省したり、元気をもらえたりしています。
日本中に、待っている人は、沢山いるはずです。
私も、京都で今できることを、頑張ろうと思います。
心より応援しております。
お身体にお気をつけください。
地球のステージの講演依頼が減っている理由を自分なりに考えてみますと「非常時である今、桑山さんやスタッフが忙しくなりすぎ負担をかけたくない」とゆう思いやりのような気がします。
桑山さんの思いが解れば増えていくように思います。
かくゆう自分は知り合いの保育園の園長夫妻にdvdやテレビ出演で活動を知らせる程度で開けるちからなど無くここ一番力になれない自分が情けないのです。 桑山さんが紅白に出場する前までにはお願いしたいなぁ と考えています・・・
えちごのかつ
私が地球のステージと桑山先生に出会ったのは3年前です。これまでに神戸と広島とで7回は見に行ったでしょうか。生協ひろしまからの依頼が無くなったというのは私もショックです。初めて観たステージで、今までにないくらい心揺さぶられる経験をしたのが、生協ひろしま主催のステージ3でした。
私は阪神淡路大震災を経験している身ながら、正直17年も経つとあの時の恐怖や悲しみ、様々に交錯した思いが、街の復興とともに薄れてきているのです。その時の教訓と多くの犠牲者への冥福を忘れないでいようと思う気持ちと、平穏な日々の連続から危機感や教訓さえも薄らいでいる自分との狭間にいます。
そんな薄っぺらになってしまった自分の記憶にも嫌気がさし、東日本大震災だけは周りの皆が忘れても、私だけは覚えていよう!心を寄せ続けていよう!と思えるのです。
先日の3月11日前後には再び各局で震災の特集が組まれ、東北から遠く離れて暮らす私自身も、桑山先生のおっしゃる記念日反応(かなり軽度ですが)のような状態になりました。家事がまともに手につかず、布団に入ると昨年の震災後に同じように温かい布団に入り、申し訳ない思いをした時の感情が甦り、胸が締め付けられるほど辛くなりました。
被災地に心を寄せ続けること、本当の復興と呼べる日まで決して見放さず、最後まで見届けることが同じ日本に住む私たちの責務だと思います。その為に地球のステージが果たす役割は大きいはずです。
大地が甦り、人々の笑顔が満開になる日まで、皆で見届けたいものですね。
地球のステージ、また講演の依頼が来ると思いますよ。
リクエストではありますが、復興の糸口が見つかる内容が見たいです。
まだまだやり切れないですし、復興が遠くに感じますが。
震災は、衝撃の体験でした。
一年とはいえ、忘れることはありません。
ここから先、どう生きたらいいのかよく分からなくなることがあります。
例えば、名取の皆さんのその後、国際協力で出会った皆さんがもう一度、歩こうとする姿…などなど、知りたいと思うことがあります。
何らかの手掛かりがある気がします。
一年が過ぎて、他府県の人が震災、地球のステージを忘れることはありません。
宮城出身の者として、地球のステージを応援しております。
講演依頼が減ったということで、飽きられている?激しい津波の映像がよくなかった?と桑山さんは考えられているようですが、私はそうではないと思います。
常に進化しているステージは飽きることはないし、3・11をずっと忘れないためにも津波の映像は必要だと思います。
旅先のフランスでも津波の映像と福島の今は毎日ニュースに登場していました。遠く離れた外国の人たちがこの大災害を忘れず応援してくれています。当事国の日本人がこれから何十年もずっと3・11を忘れることなく、自分ができることをしつづけることが日本人としての誇りだと思います。そのためにもあの津波の映像は必要だと思います。
3・11の後、観光地軽井沢も八ヶ岳もお客様が激減。この1年をどうやって乗り越えたらいいのか?被災地から離れた長野県でさえ影響は多大でした。世界的な不況の上の大災害。企業も家庭も体力が落ちているのが講演依頼減の大きな原因ではないでしょうか?
そうは言っても体力のある人たちはいます。
被災した年なのに思いのほか講演回数が少なくなかったことで私も全国の応援団の皆様も安心してしまったかもしれませんね。
桑山さん、親戚のような全国の応援団にはこのブログを通して、このような状況を教えてください。そうすれば、私たちはまた原点に帰って、地球のステージを周りの方々に伝えていきます。
私のこれからに大切な「夢はあきらめなければ叶う」を体得させていただいた地球のステージですから。
大丈夫ですよ。夢に向かってまた一歩前進しましょう。
”やはり「飽き」られて来ているのでしょうか・・・・”
なにを弱気なこといってるんだ!
桑山さん自身はどうなの?「飽き」なんてないでしょ?
だったら、そんなこと言わないでやりましょう!
復興には時間がかかるでしょ?こんなことで弱気になってどうするの!
悩むな!桑山!
ごぶさたしております。
1月に来ていただいて、来年度もゼヒ!と思っておりますが、なにせ来年度の学校の年間予定がやっとわかったと思ったら、年度末の事務処理、学校の見守りがいそがしく、校長先生も今年はもしかして異動かもと思い、なかなか学校側と話ができない状態です。
でも学校も、PTAも、そして子どもたちも、来年度も桑山さんにまた来てほしいと思っています。
近くご連絡させてください。
6日,そして今日と,わざわざ北海道まで足を運んでいただきありがとうございました。
今日もお話をさせていただきましたが,人のつながりが新たな出会いのきっかけになると思います。
私と桑山さん,そして地球のステージとの出会いがまさにそうでした。
ぜひ,またお世話になりたいと考えています。
”未来篇”期待しています。ありがとうございました。
今年も10月に「もりの会」で3回目の公演をお待ちしています。宜しくお願いします。
今回のブログを拝見して、どうしてもコメントさせて頂きたい気持ちを抑えきれず、数日考えましたがコメントさせて頂きます。
私たちは、1円のお金もなく、ただ「ここ(もりの幼稚園・たいよう幼稚園)で子ども達に地球のステージを観せたい!」の想いで母親たちが集まり、どうやって公演資金を作り出すか色々と知恵を出し合い、提出可能な限りの助成金・補助金の申請・・・結果は厳しかった!
それでも想いを伝え続け、知恵を出し続け、たくさんの方からのご理解とご協力のもとに成り得たことでした。
桑山さんの伝えたい気持ちを、小さな子ども達がしっかりと受け止めるように、私たちが地球のステージを開催したい想いは、何かの形で少しずつ実を結んでいったように思います。
そして、これは、私が余計な口出しをすべきことではないと知りつつ・・・。
桑山さん、大口町も町の事情により今年は今のところ公演の予定がないそうですが、震災直後の開催に携わられた方々も、公演できないことにとても心を痛めています。そして、何とか大口町で開催できないかと、想いを伝え続け、一生懸命模索されている方もいらっしゃいます。
全国各地、様々な事情で開催できないことに心を痛めながらも、あきらめず頑張っている想いはきっと時間はかかっても実現すると信じています。
だから、待っていていくださいね。きっと想いは実を結びます。
みんなあきらめていませんよ!
もりさん ありがとう (ノ_・。)
長久手の皆さんのされてきた、実現へ向けて一致団結した熱くぶれない具体的な歩き方。私たちの旅支度が不十分なことも理解できました。
桑山さん ごめんなさい
大口での公演は、ぜんっぜん諦めていません!復興篇を伝えていただくべき場所との想いは強いままです。
『地球のステージ』を真ん中にしてつながっている大切な仲間があちこちから集まり、七夕のように会える江南公演の3月18日をとても楽しみにしています。
来年はそれがまた大口町であること願い、ステージでPOWERを充電し、仲間と知恵を出し合い前へ進みたいと思っています。
ハートブローチ(EAST-LOOP)とともに聴きます。
今年の夏も久留米にきていただけるのでしょうか?
待っています!
ちゃこさん
残念ですが久留米からの依頼は来ていないです。
3年目は難しいのでしょうか。
ステージが激減と書いて、事務局が「訂正するべき」と言っているのは、
「ステージが入っていないのは8月です。それ以外の月は結構例年通り入っています。もちろん1月~3月はまだ空欄が多いですが、それは年度あけから来る依頼で埋まることを願います。」
とのことでした。
ご心配かけて申し訳ありません。
桑山紀彦
23日の小山での「地球のステージ」に参加できないと伝えたくて、ブログを開いたら、「激減」などと弱気なことを。小山は確か2年前白鴎大で。そして今回文化センターで…。去年は栃木でしたね。私の周りでは確実に増えてます。でも私が参加できません。20日から25日まで、文化センターすぐ近くの「まちかど美術館」で、太田康介写真展「のこされた動物たち」を開催します。会場に詰めている毎日ですが、なんと23日だけはどうしても仕事が休めません! 近くですからお時間ありましたら、ちょっとだけでも観にきてください。
来年も栃木のどこかで「ステージ」開催されますように。私が主催しちゃう?
曲を聴いてて、すぐ涙する57歳のおばさんでした。