みなさま、はじめまして。
スカイルーム専任スタッフの林由美・はやしよしみ(りんりん)と申します。
愛知県出身で、昨年5月から名取市民です。スカイルームで毎日子どもたちとのワークショップを進める傍ら、閖上中学校卒業生の集いや閖上中学校遺族会の方を担当させていただいております。
今日は、第5回となる遺族会が開かれました。
話し合いの前に、今日は慰霊碑建立場所の清掃を皆さんで行いました。
震災後の中学校は、正門入って正面の松の木付近をはじめ、津波をかぶって枯れ草となり、そのままの状態です。今日は天気にも恵まれ、一日のうちほとんど陽が当たらない慰霊碑建立場所も、唯一陽が当たる午前の時間に皆さんで一斉に作業を行いました。
頑固に生えている固い枯れ草を鎌を使って取り除いて行きます。
「やっぱりここに来るときついよね。。」という会話。
そして作業中、草を抜いたりするせいか土のにおいと一緒に「津波のにおい」がしてきます。頻回に通っている人には感じませんが、そうでない人には敏感に感じるようです。それも皆さんにとっては苦しいことです。
なかなか閖上の地に、そして中学校に来ることができない人も、今日は我が子のための慰霊碑建立にむけて、様々な想いを持ちながらの清掃作業でした。
そして1時間後。
これまで会長の丹野さんが時々手入れをしていても、きりがなく途方に暮れていた状態が、今日皆さんで一斉に清掃したら驚くぐらいにすっきりときれいになりました!
清掃後、皆さんで校舎の中に入りました。
震災後に中学校は訪れていても校舎の中に入るのは初めてという方もいます。
「こんなふうになっちゃってねぇ。。」教室から窓の外を眺めながら話されます。
今日の清掃作業、校舎の中、皆さんにとって苦しいことだったかもしれません。
でも少しずつ少しずつ、こうして向き合っていくことで心の整理につながっていくのだと思います。
清掃作業が終わり、場所を移動して第5回遺族会です。
除幕式当日まで今日が最後の会となるため、除幕式についての詳細事項を決めていきます。
有意義な話し合いがされ、細かい部分も決まりました。
一人のご遺族の強い想いから遺族会が立ち上がり、11月の第1回遺族会から協議を重ね、慰霊碑建立に向けて進めてきました。
来たる3月11日、犠牲となった閖上中学校の子どもたちを追悼するとともに、あの日多くの人々が目指して逃げた閖上中学校という場所で、その途中で津波に飲まれた大勢の人々を追悼します。
ご遺族の方々の想いが天に届くように。
11日が終わるとき、少しでも気持ちが落ち着いていられますように。
何よりもご遺族の想いを一番に考え、私たちは最大限の準備をしたいと思います。
林 由美
慰霊碑の周りを清められたのですね。
準備が進んでいる様子がわかりました。
遺族の皆様のお気持ちを思うと居た堪れない思いです。
3月11日に静かな慰霊の時間を持てますように。
それぞれの方が、それぞれの感慨を持って建立する慰霊碑と追悼式。
その日が来るまで皆さんの心を一つにまとめて、滞りなく3月11日が迎えられますように・・・・。
「慰霊をする」という純粋な気持ちで臨むことが大切だと感じています。
お亡くなりになられた方々は
彼の地から きっと
残された遺族の方々を
見守られていることと思います。
亡くなられた方々を偲び慰める慰霊碑ですが
ご遺族の方々の
生きる元気を取り戻される
心の拠りどころともなりますように。
3月11日は離れた場所からですが
「慰霊」の心で
追悼させていただきたいと思います。
清掃されたんですね、お疲れ様でした。
そして間もなくやってくる3月11日、この日はボランティアのお手伝いに行かせていただきたかったんですが、どうしても都合がつかず、娘をおいていくことは出来なかったので、離れてはいますが繋がっている心と、繋がっている空を見上げて 犠牲になった方のご冥福と 今現実と向き合っている方のご健康、未来を祈ってすごしたいと思います。
そしてそう遠くない時期に 何らかの形で東北に足を運ばせていただきたいと思います。
昨年の九月、紀伊半島を襲った台風十二号は甚大な被害をもたらした。
和歌山県下でも水道施設が崩壊し、三万四千戸、七万二千人の飲料水が途絶えるなど過去の例をみないような被害状況であった。あれからそろそろ六カ月になろうとしているが、少しずつ復旧に向かってきているようだ。
ボクが通勤に使う紀伊U駅は夜は無人駅となる各駅停車専門の駅である。駅前にはこの付近に唯一といっていいコンビニがあるのであるが、こんな田舎の辺鄙なところにあるコンビニであるから、普段は買物客も多くはない。それが近ごろは様相が一変してきたのである。
寝ぼすけのボクはいつも昼食を食べる時間が作れずコンビニで弁当を買って慌てて電車に掛け込むのであるが、最近はこのコンビニに車を停められない状況なのである。駐車場が土木関係者の車で満杯となっているのである。土木作業員風のおにいちゃん達が弁当を買いに来ていたり、また車の中で弁当を食べたりしているため、ボクの軽四などはどこへ車を置いていいやらウロウロするばかりなのである。
「日高川も9月はズタズタに崩れておったが、やっとここへきてまともな川らしくなってきた」というような声が作業服のおにいちゃん達から聞こえてくるのである。
一方、東日本大震災の瓦礫処理については、2月17日付毎日新聞によると、瓦礫受け入れの要請に対して、受け入れを表明したのはわずか十都府県に限られている。ひどいのは要請の検討さえしていないという県が十三県もあるという。困ったときはお互い様ではないのであろうか。自分さえよければいいという考えはかつての日本人にはなかったはずである。
いにしえに曰く、聖徳太子は「和をもって貴しとす」と説いた。ところが、現代は「我(が)をもって争うべし」というふうに変節したのであろうか。
紀伊半島が復興に向かうなか、東北の早期復旧を願うばかりなのである。
和歌山 なかお
3月11日、閖上に行けないけど、心の中で祈っています。
閖上で車で逃げる途中で津波をかぶって亡くなった仲間がいます。
受け止められるようになったのは、最近です。
それまでひょっこり帰ってくる気がして仕方なかった。
先生、スタッフの皆さんありがとう。
あいつの家も津波に飲まれてしまったから、慰霊碑があいつの供養と祈れる場所になればと思います。
あいつと出会えて嬉しかった。
ずっと、仲間だよ、ずっと忘れない。
あいつの笑顔しか今は、浮かばない。