閖上すごろくが終わり、僕はふと考えました。
このまま1泊2日が終わってもいいのだろうか。みんな素直で優しい高校1年生。携帯をいじることは確かにあるけどちゃんとこっちの気持ちを理解して取り組んでくれる。でも、このまま普通のワークショップに終わっていいのだろうか、とふと思いました。そしていつもそうであるように、自分に照らし合わせてみました。
今自分が津波に関して最も負担に思っていることは何か…。
それはやはり「3月11日をどう過ごすか。」
それがすべての不安であり恐怖であり重荷であり哀しみです。「その日」は刻一刻と近づいてきています。だからこの高校生たちと、「その日をどう過ごすか」について気持ちを確かめ合えれば、きっとお互いが支え合えると思い、急遽ワークショップを入れてもらうことにしました。題して、
「3月11日をどう過ごしますか?」
4つのグループにわかれ、それぞれにファシリテーターが入り、グループ・ディスカッションを基本にワークショップを進めました。以下の5つの質問をみんなに考えてもらいました。
1)3月11日をどこで過ごしたいですか?
2)誰と過ごしたいですか?
3)どうやって過ごしたいですか?
4)それはどうしてですか?
5)そのための必要なものは何ですか?
つらい質問かも知れません。でも大切な質問だと思うのです。
多くのみんなが「閖上で過ごしたい」「閖上中のみんなと過ごしたい」と答えていました。やはりそうだ。みんなつらくてもそれを乗り越えようとしている。ちゃんとその現場に行こうとしているのです。もちろん「家で過ごしたい」「家族と一緒にいたい」という人もいました。それでいい。自分がどう過ごしたいかをきちんと決めることができることが大切だと思うからです。現在閖上小中学校遺族会(会長は丹野祐子さん)が進める慰霊碑の建設もそれまでに終わって、立派な慰霊碑が閖上中学校にあるはずです。だからみんなと連絡を取り合って、「閖上中で仲間と一緒に過ごしたい」と思っている人に、その機会が提供できたらと思うのです。もちろん僕たちもそこにいます。
そんな中、お母さんと妹を失い、今は遠野のおばあちゃんのところに暮らす浜ちゃんがこの問いに答えてくれました。
浜ちゃんの誕生日は3月11日。お母さんと妹さんは浜ちゃんのバースディ・ケーキを買いにいっていました。そして津波で亡くなりました。
浜ちゃんが書いてくれました。
「どこで過ごしたいですか?」
ー 家
「誰と過ごしたいですか?」
ー 一人
「どうやって過ごしたいですか?」
ー 何もなく、誕生日を祝いたい
「それはどうしてですか?」
ー 自分の誕生日にまた嫌なことが起こらないでほしいから
「そのための必要なものは何ですか?」
ー 平和な一日
ある生徒は書いてくれました。
「それはどうしてですか?」
ー 悲しむだけじゃ心が折れるから。これからを考えるため。
「そのために必要なものは何ですか?」
ー 強い心
僕は思います。
すべての被災した人々は、今年の3月11日、自分の被災した場所に戻ろう!と。それは辛いかもしれないけれど、とても大切なことだと思う。あえてそこにいたくないという気持ちも当然あるに違いないでしょう。でも、そこを乗り越えていきたい。そのためには3月11日、あえて僕たちは自分たちが被災した「その場所」に戻り、そのとき一緒にいた人と再会し、天に昇っていった人たちのことを「その同じ場所」で想い、祈り、そして生き残ったことを「その場所」でもう一回噛み締めて先に進んでいきたいと、そう思うのです。
この世界に行きたくない場所なんてあっていいはずがない。
この世の中に触れられたくない話があっていいわけがないのです。
僕と明ちゃんは埼玉県長瀞中学校にいました。でも9時間かけて必死に戻りました。優子ちゃんは津波の迫る下増田にいました。だから3月11日はみんなで閖上にいたい。おそらく閖上中学校にいるでしょう。慰霊碑も大切。それはこの1年間、ともにワンワン泣いてきた閖上の人たちと一緒にいたいと心から願うからです。
高校生たちも同じ気持ちでいてくれました。
本当に、嬉しかった。
3月11日が迫ってくる。でも、僕たちはほぼ同じ気持ちを持っていました。「その日は閖上にいたい」と。だから一緒にその日を乗り越えていきたいと思える、そんな1泊2日のワークキャンプになったと思います。
3月11日をそれぞれの方法で乗り越えていく。被災していない人間が簡単に言えることではないですが・・・前を向いて次の一歩を踏み出していってくれることを祈っております!
「あんなにつらい目に遭ったのに、そのつらかった場所で一人で過ごす~平穏な1日であってほしい」「これからを考える強い心を持ちたい」・・・なんと素朴できれいな気持ちでしょうか。
彼らは、強く立ちあげれそうですね。
おっしゃる通り、行きたくない場所や触れたくない話が有ってよい訳ないです。しかし、結局は本人が挫けない心を持って乗り越えるしかないんですね。
今更ながら、それをサポートする桑山さんの存在意義の大きいと思いました。
彼らは必ずや強く立ち上がれそうですね。
2日間のキャンプは成果があがってよかったです。
NHKスペシャル「震災失業・12万人」では、挫けそうになる人と、それに即対応できない行政の遅さが気になりました。
桑山 紀彦 様
おはようございます。
5 つの質問、辛いものですが大変重いものに違いないことでしょう。 この難題に真正面から・・・全国の人々も一年前を思い起こしてくれることでしょう。 私自身もその日をどのように過ごすのかを今改めて考えています。
昨年の3月11日の午後、ボクは自宅にいました。
入学試験の採点や合格判定の会議が午前中で終わり、午後は自宅で待機していました。
電車通勤のボクは、これまでも台風や大雨のためなんども電車が遅れたり不通になった経験があります。列車不通になり、普及するのを待って午前四時に帰ったこともあります。そんな経験から、用がなければすぐに帰宅する習慣がボクにはついていました。
2時46分に和歌山県でも揺れを感じました。テレビをすぐつけると大変な様子が映し出されています。そして太平洋側一帯には大津波警報がでているではないですか。ボクは「大津波?」と疑問を感じました。これまでのボクの経験では津波警報しか知らなかったからです。
その後、きのくに線は不通となってしまいました。早く帰宅してよかったと安堵したものですが、その後の報道は皆さんご存知のような大変な状況です。
あの日、あの時、あの場所へ戻ることは大変苦しいかと思いますが、そこへ戻らないと、前へは進めないとボクも思います。しかしそれを指導していく桑山先生は大変だとおもいます。しかし、どうか、どうか、子どもたちの力になってあげてください。お願いします。
切に、切に、それを願います。
和歌山 なかお
あの日を迎えることが どんなに大変なことなのかー 私は遠く離れたこの地で 思い知らされています。
少しでも その気持ちに寄り添う事が出来ればと思います。
その日をどう過ごすか?
桑山さんは決して逃げないですね。
いつでも寄り添ってみんなで乗り越えようとしています。
閖上中学校の卒業生のみんなもきっとホッとしているのかな、と思います。
ワークショップ、やって良かったですね。