今年が暮れていきます

 東ティモールより戻りました。

 現在故郷、飛騨高山の実家におります。今朝成田に戻り小松空港に飛んで砺波の柳瀬恵子さん(おけいちゃん)をご自宅にお送りしてお袋の元に還りました。
 去年の12月31日は同じように東ティモールから戻ってくる飛行機の中でした。1日遅れで戻ってきたので1月1日に関西国際空港に降り立ち飛騨高山に戻りました。
 あの日、1年を考える時、3月11日が巡ってこようとは誰にも予想ができず、今にして思えば本当に哀しい1年でした。こうして今年最後の日を迎えるにあたって、頭の中を占めるのは大切な人を亡くして哀しみと途方に暮れている数多くの友人たちです。去年の暮れの自分と比べてどれほどのものを失い、どれほどのことが違ってしまったのか・・・。
 年末年始が来るとそれが痛いほど心と身体に染みこみます。去年と同じように紅白がきらびやかであればあるほど、変わってしまった自分や失ってしまった自分のことを思い知らされて、ひどく落ち込む。それがこの年末年始。
 だから僕は紅白が見られませんでした。ちょっと見ただけで辛い。「いつものように」出てくる歌手や司会者。どれだけ閖上中学校のみんなが映像で出てきても、決して心にすとんと落ちることなく違和感があります。
 本当だったら、自分のあの家で、本当はいるはずの家族とともに見たかったであろう「紅白」。でもその家は今はもうそこにないし、その人もそばにはいないのです。
 「1年の計は元旦にあり」
 そういって昨年の初詣に行ったはずの僕たちが3月11日に最悪の事態に曝されて、この世に希望なんてものはないのだと思い知らされたあの日がある限り、今回の1月1日に気持ち新たにお祈りなんてできないと思えてしまう。それが現実です。
 どれほどの哀しみと、どれほどの後悔と、どれほどの悔しさを抱えてきたかわからないこの1年が終わっていくには余りに苦しすぎる年末。そして年が明けても、一度大きく裏切られた経験を持つわたしたち被災地の人間は、1年の始まりに願いを託したり、希望を持つことがまだまだ苦しくて辛い。
 だから心のケアが必要なんでしょう。こんなふうに年末年始を下向きにしか考えられない僕にも心のケアが必要なのだと思います。
「来年はいい年になりますように。」
 とはとても願えない自分がいて、
「今年こそ、普通の日々が普通に続いていきますように。」
 と願うのがやっとな気がします。
 これからまだまだ「節目」というものが続きます。
 この年末年始の節目。3月11日という節目。時間の流れに乗ってその日はどうしてもやってきますが、その節目に何を感じるのか、被災地も声にして行かなければならないと思います。
 今日は弱音であり、本音でした。
 なんだか苦笑いの自分です。でも、そういつも張り切ってばかりもいられないのも本当なのでお許しください。
 こんなふうに新しい年に願いをかけ辛い時も、人生にはあるんですね。
12/31-1
 東ティモール最終日、レストランにて
桑山紀彦

今年が暮れていきます」への4件のフィードバック

  1. 先生無事帰ってきたかなぁ…大晦日の夜呟いて寝ていきました。
    無事に高山に戻られて良かったです。
    今年も夢を見させてください。
    先生の背中を追って、少しずつ歩いています。

  2. 去年のお正月は、母さんのお雑煮 食べてたのに…、
    「 今年は 食べられないな。どのお母さんのより、ずっとすっごくおいしかったの。」
    そう話す 被災し母親を無くした娘さん。
    聞いていて胸が痛かったです。お正月は ご家族を亡くした方が 特に苦しくなる時期だと思います。
    私も お正月が辛くて 重い心を抱えて じっと 正月が通り過ぎるのを 目を閉じてやり過ごしたものでした。
    いつか、少しずつ
    辛くなくなってきます。それまでずっと寄り添っていかせて貰いたいです。
    桑山先生の笑顔は ほんとに 温かくて 素敵ですね。今日 見た紅白の色白の芸能人なんて 飛んで行ってしまいました。
    陽に焼けた爽やかな笑顔に すっかりまいりました。
    ほんとにかっこいい男性 ってこんなひとだと思いました。

  3. 桑山さん、そこまで自分を追い込まないでください。桑山サポーターは世界中に沢山います。
    年賀状の形容詞化した「いい年」を祈るのではなく、一つでも普通を取り戻す「佳い年」にするよう心がけたいです。
    仲の良い親兄弟の居られる故郷は心のオアシスです。せめて3ケ日くらいは癒しの時間に遣ってください。
    紅白も普通にやるのが被災地への思いやりということでやったのでしょう。しかし、やたらと「ふるさと」を強調していたのが鼻につきました・・・もっとさらっとやればよかったのに・・・。

  4. 桑山先生お帰りなさい。
    2012年になりました。穏やかな朝です。
    年が変わり何もかもが新しくなるわけではありませんが、確実に時間は新しくなります。
    人の体の細胞も日々生まれ変わるのに、心は取り残されたままに感じてしまいます。水の流れのように感情は流れないです。  ではどうすれば心を循環できるか?今年もこのテーマが課題です。
    人それぞれの感覚ですが、私は紅白ありがたく見られました。
    歌詞の意味をこんなに考えて聞いた紅白歌合戦はありませんでした。恋愛の詩と思って聞いていた詩が、寂しさを抱えてる心に共感できました。心を寄せて頂き、ありがたいなと思いました。
    昨年と同じことができることは、今の東北にとってやりたくてもできないことです。
    たくさんの人の思いに支えられ、今年も元気のエネルギー蓄えて、お返しできたらいいなと思います。

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