ジオラマの目指すところ

 今日は文化会館でのスカイルーム(心理社会的ケア)です。

 3カ所の仮設住居におけるスカイルームや、我が「地球のステージ」の50畳ホールの会場に来られない子どもたちは文化会館に集まります。
 かつて最大の避難所であったこの文化会館も今は通常のホールに戻り、大ホールの修理ももう少しで完了です。
 近くに散らばって住んでいる子どもたちがこの文化会館に果たしてちゃんと集まってきてくれるのか、最初は不安でしたがちゃんとみんな来てくれて常時6~7人の子どもたちの笑い声に包まれています。
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 閖上ジオラマもいよいよ佳境に入ってきており、今日を加えてあと2回で完成させなければなりません。この文化会館チームは閖上小学校がそのエリアの中に入っているのです。子どもたちは一生懸命自分たちの学校を表現してくれました。
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 こうしてみると閖上小学校は多角形を形成する道に囲まれたなんとも存在感のある小学校です。
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 校庭にはあづさちゃんがつくった女の子が遊んでいます。上の方には校庭のモニュメント「ちびこ丸」。津波にも耐えて築山の上に鎮座しています。プールも校舎も立派に完成していきました。
 なぜこの「以前の閖上を再現するジオラマ」を創る必要があるのでしょうか。
1)自分のルーツ(根っこ)や歴史を再確認するため(時を取り戻す)
 失われてしまったからといって、「そのまま忘れればよい」ものではありません。自分たちの街がどうであったのかをみんなで再確認し、そこに確かに自分が生まれ生きてきた証を確認することで「自分には土台がある」という気持ちを持ってもらえます。
 この「土台がある」という気持ちが揺らいでいると、その上にどれだけ新しいことを積み上げてもぐらぐらと揺れて不安定な精神になってしまいます。だから、このジオラマが必要なのです。
 これは言い換えると「時間の再獲得」のためと言えます。
2)自分にとって大切なものを再確認するため(感情を取り戻す)
 自由に制作していいというルールにより、子どもたちは自分が実は何を大切にしていたのかを知ります。ある子は閖上小学校であったり、ある子は自宅であったり、またある子は「浜一番の味噌ラーメン」だったりします。
 それを創ることで、自分が何を希望し、何を願ってきたのかという「感情」を再確認します。その情緒的な部分をしっかり表現することで、突然失われてしまったものに対する不安感や喪失感を埋めていきます。でないとちょっとしたことにびくびくしたり、自信のない性格になったりします。だから、このジオラマが必要なのです。
 これは言い換えると「感情の再獲得」のためと言えます。
3)自分がこれからどうしたいのかを再確認するため(意志を取り戻す)
 ジオラマの上に表現したものは現状では失われています。しかし、あえて街の復元に取り組むことで自分の生きてきた「時」と「土台」を取り戻し、自分が何を大切にしてきたかの「感情」を取り返すことができます。それにより不安や喪失感を払いのけ、その先に「では自分はどんな街に住みたいのか」の意志を持つことができます。それが再建や復興の原動力となり、例え今の閖上の街に家が再建されなくても「自分の人生は復活できる」ということを全身で感じで「再び創り出すことへの意欲」を刺激します。
 これは言い換えると「意志の再獲得」のためと言えます。
 そしてこれは12月から市役所で、2月からエアリモールで展示することにより、「心のケア」の第三段階、「再結合」=「人間の共世界(Human Commonality)」へ突入します。それは、いわば
「自分たちの存在は世の中に確かに知られている。僕たちがこの世に生き残ったことを多くの人が知ってくれている。」
 という自負心や自尊心を取り返すため。
 そしてそれを見に来た人たちが、
「良かったよ~」
 と言ってくれることで、
「自分はこの世の役になっている。役に立つ人間だったんだ!」
 と感じることができます。
 こうして、本当の心のケアが完了していきます。
 するとなんとジオラマのキットを通信販売している光栄堂(千葉年船橋市)の岡本節夫会長からお電話を頂きました。
「ラジオを聞いて、このジオラマ制作が子どもたちの心のケアに大変役に立っていることを知った。ついては、ジオラマの製作の支援をするためにうちのキットを無償で提供したいと思う。」
 とのこと。嬉しいなあ、こんなふうに日本はつながっていくんですね。そして子どもたちも、そんなふうに千葉の偉い社長さんがみんなのやっていることに感動して、高価なジオラマのキットを無償で提供してくれるといってくれている、と知ることでまた自信に変えていけると思います。
 手芸教室、遺族会、1月の閖中卒業生ワークキャンプ第2回、着実に確実に「心理社会的ケア」は日々粛々と続いていっています。
 
 いよいよ手芸教室の皆さんが自分たちのブランド名を決めて販売に立ち上がります。その名とは?
 明日発表です!
桑山紀彦

ジオラマの目指すところ」への7件のフィードバック

  1. おはようございます。やっぱりラジオって良いなぁ。(しょっちゅう聞いてるわけじゃないけど)
    私の大好きな省吾はテレビには出演しませんが、ラジオには出演します。自分の言葉で伝えられるから。子供達、嬉しかったでしょうね。製作が終わって、展示された後の子供達の様子や活動がどう展開するのか興味深いです。 昨日、関わっている外国の子供達の一人が、恐る恐る日本の子供達に自分から関わりを持とうとした姿にちょっと感動しました。その反面、何気なく差別的な態度を取る大人に傷つきます。

  2.     こんなこともある三日間
     先週の金曜、土曜、日曜のことである。
     金曜日は「ふるさと再発見」という研修に参加した。場所は紀の川市。午前中は「粉河ふるさとセンター」にて郷土史家による紀の川にまつわる歴史の講演を聞く。午後になり「青洲の里」でのフィールドワークである。青洲とは医聖と讃えられる華岡青洲のことである。有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」で有名で世間的に有名になった。
     華岡青洲は1760年、紀伊の国那賀郡名手に生まれる。曼荼羅華という薬草を主成分とした麻酔薬を完成し、世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した。偉業は記念館として青洲の里となって観光客を呼んでいる。ここで研修である。 「春林軒」という治療所と医学学問所も併設されていて、園内を巡りながら先人の偉業に頭を垂れるだけである。
     翌土曜日は奈良へ向かった。松伯美術館へ上村松園の鑑賞である。宮尾登美子の小説「序の舞」を読んでいるうちに、上村松園の本物の絵画が見たくなったのである。この美術館は上村松園と松皇親子二人の美術館。(二人とも文化勲章授章)。二人とも素晴らしい日本画家であるがボクは松園の方が気に入った。松園の数奇な生涯が悲哀とともに美人画に描かれているように思えたのである。凛として、それでいて儚く、かつ強く生きようとした女性が美しく描かれているように思えたのである。
     美術館を出ると庭に向かう。休憩を兼ね茶店でお茶を飲んでいると、庭の松の樹木の向こうに桧皮葺の屋根を葺き替えているのが見えた。茶店の主人に尋ねた。
     「このお屋敷は誰も住んでいないようなのですが、どうして屋根の葺き替えなんかしているのですか」
     「このお屋敷は佐伯会長のご自宅だったのです」
     「佐伯会長といいますと?」
     「近鉄グループの佐伯会長です」
     「えっ、」、思わず絶句した。近鉄グループの佐伯といえば、かつて近鉄バッファローズのオーナーであり、近鉄グループの総帥ではないか。
     「佐伯勇氏のお宅なのですか」
     「そうです。会長は、このお屋敷から大阪の近鉄本社に通っておられたのですよ。ここは、敷地が3000坪あります」
     ボクは改めて周囲を見回した。茶店を含めたお屋敷は総檜の数寄屋造りである。緑に覆われた庭園は隅々まで手入れが行き届いていて、庭園は大沢池を借景として取りこんでいる。瀟洒な佇まい。
     「佐伯会長は、この大沢池の景観が気に入り、ここにお屋敷を建てたそうです。静かで綺麗なところでしょう」
     「景色も素晴らしいですが、お屋敷も落ち着いた雰囲気があっていいものですね」
     ボクは日本の財界人の、本物の凄さを実感したのである。
     日曜日は和歌山大学でのスポーツコンベンション。メインはスポーツジャーナリストの二宮清純氏の講演となっている。
     冒頭「和歌山のアスリートとしてまず思い浮かぶのは大リーグに行った吉井理人。元西武の監督の東尾修、現在では体操の田中三兄弟です」。二宮清純氏はそう切り出して話し始めた。1時間半の講演で、こころに残ったのは「政治や経済は手段です。スポーツ等の文化は私たちのこころを満たすもの。私たちはこのような手段に捉われてはいけません」。なるほどなと思いながら、ボクにとっては怒とうのような三日間を過ごした。 普段、腹を突き出し、ヘソのゴマを取りながら昼寝をするグウタラ人間のボクにとっては考えられないような三日間であったが、こんな三日間もいいかなと思ったのである。
        和歌山   なかお

  3. ジオラマ楽しみにしています!市役所は平日しか見られないかもしれないので、2月からの、イオンモールエアリでの展示を楽しみにしています!勿論子供達も楽しみでしょうけど、大人の方々も楽しみだと思います!私は主人からは、昔から「チビッコ丸」のお話しをよく聞かされていたので、主人と見に行きたいと思います!主人は子供の頃からの思い出が奪われてしまった事にも絶望していましたので、泣き崩れていた時に、「チビッコ丸」が残っている!と言って、少しは安心していました。あの日は、主人は、ここにはあれがあって、ここには誰々のお家があってなど、普段は無口な主人が色々と思い出しながら語っていました。きっと、一生懸命に子供達が、ゆりあげの街を再現してくれた事を喜んでくれると思います!それでは楽しみに展示される日を待ち望んでおります!

  4. ジオラマ制作に協力してくださる方も出てきて良かったです。
    桑山さんの「社会的心理ケア」はちゃんと理解されて、
    その想いは確実に伝わっているんですね。
    とってもうれしいです。

  5. 報道の内容が経時変化しており、心の傷問題は置き去りにされているような感じがする中で、一つの地域の地道な[心の活動」が理解されて、少しずつ拡がりが出てきたことをうれしく思います。
    素晴らしい完成が待ち遠しい思いでいます。

  6. 行動力があって、リーダーシップの取れる桑山さんのような人が、
    色々なところにいてくれるといいな~と、
    ちょっと、閖上地区の人たちを羨ましく思ってしまいます。
    新聞に載っていたのですが
    「悲しみを知る者にしか見えない希望がある」
    (娘さんを交通事故で失った前田敏章さんという方の言葉)
    きっと、そうなんだろうな~と、
    ジオラマのブログを読んで、何故かこの言葉が浮かびました。

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