いつも北釜のかあさんに逢うと、涙が自然とこぼれてきます。
不思議な優しさと悲哀を持った北釜のかあさんからは、大切な言葉をいつももらいます。
「私は、娘の死から逃げない。だからいつも仕事に行くとA滑走路に向かって手を合わせるの。そこに娘がいたから。だから本当は見るのもそこにいるのも辛いけど、そこから逃げないの。
そうすることで娘がいつも私の心の中にいることを感じられる気がするからね。
娘の魂は決してさまよってはいない。私の心の中にちゃんといると信じようと思う。」
「おかあさん、娘さんがこの世にいた時よりも、逆に近くにいる感じがしますか?」
「そうだね、姿や形は見えないけどね。私の心の中にいて、私と同じものを見ていると思うんだ。だから前は“距離”があったけど、今はない気がするのね。」
かあさんは、そうして娘さんの死を受け入れようとしています。
それは決して忘れることでもないし、乗り越えることでもない。「受け入れる」ことだと思います。心の中に、娘さんの居場所を確保し、そこに娘さんへの思いを注ぎ込むことで、一体感を得ようとされているのだと思います。
「私はいつもね、仕事の帰りに自分の家があったはずのところにクルマで立ち寄るの。そしてそこでしばらく過ごすようにしている。そうすると、辛いけどでもやっぱり娘と過ごした記憶が蘇るからね。そこでちゃんと娘に話しかけてから今のアパートに戻るの。」
かあさんの家はもう土台もないくらいに更地です。でもそこに確かに家族が生きて暮らしていた記憶があるのです。だから変に忘れてしまわないように、想い出せなくなったりしないようにしていらっしゃいます。
「そしたらびっくり、うちのお父さん(夫)や息子も時々そうやって家のあった場所に立ち寄ってるんだって。やっぱりみんな想うことは同じなんだね・・・。」
僕は北釜のかあさんの言葉でいくつもの忘れられない言葉を学んだと同時に、大切な人をなくしてしまった人が、どうやってその哀しみと絶望から立ち上がっていこうとするのか、目の前で見せてもらっています。
それでも、かあさんの言葉。
「娘の死を知って、私はもう“死”が怖くなくなりました。これで私が死ぬ時“ああ、これでようやく娘に逢える”と思えるようになったからね。だから私はもう死を恐れない。」
真実の言葉。
重すぎて受け止められない時もあるけれど、北釜のかあさんは僕と一緒にいる時だけ涙を流してくれます。
「せめてその気持ちに添うことしかできないけれど・・・。」
そう思いながら在りし日の北釜集落や津波が来る前の仙台空港への思いをはせていたりします。僕もこれからずっと仙台空港A滑走路には手を合わせ、こうべを垂れてお祈りします。
「かあさんは、いつもあなたと一緒にいようと日々真剣です。どうか、笑顔で仙台空港を見守ってください。」
1週間に多い時で4,5回飛び立ち降り立つ仙台空港には人々の魂が見守る場所があるのです。
桑山紀彦
人は、こんなにも素になれるのでしょうか。
お母さんの内に無限に広がる心の世界。
まさに、死に直面した人しか到達しえない悟りの境地と思います。
必ずや心の安らぎを得られることでしょう。
感じ入るばかりです。
我が子を供養し、辛さに耐えながら生きていかなければならない多くの方々の苦しさがつたわります。
ご自分が死ぬことは娘のそばにいけるから怖くない。と言い切れる母の愛。私も子供の供養して思いました。
その日まで精一杯、与えられた命を生きたい。生きることがかなわなかった子のためにも。
「受け入れて」生きていこうという北釜かあさんの気持ちを思うと涙が出ます。
いつもいつも思っているお母さんを、娘さんもずっと見守っていることでしょう。
皆さん、どんな思いを抱えて日々を送っていらっしゃるんだろうと胸が痛くなります。
身近な人の突然の訃報は、こころが張り裂けてしまいそうです。また、そういう人の話を聞いてあげることは、とっても大事なことですが、聞いているあげる人もこころが潰れそうになります。
臨床心理士や心療内科医もも治療の過程で自らもこころが病んでしまうということもよく聞くはなしです。
桑山先生、被災した人々の治療は本当に御苦労さまです。
しかし、どうかこころが病むことのないようにお願いいたします。
和歌山 なかお
桑山先生いつもご苦労様です。私も、なかおさんの意見に同感しております。実際私も、親友の遺族が亡くなられて、親友の心のケアーをする事は、想像以上に大変でした。親友は、心療内科に行く事を拒んでいたので、私もどうすればいいのか戸惑ってしまいましたが、数ヶ月の間に、根気強く親友の心の闇を引き出す事がようやく少しずつですが出来るようになりました。1人の遺族を癒やす事すら大変で、自分も被災しながらの状況ですので、心療内科の方々は全国の方々が思っている以上に大変だと思います。私も本当の事を言いますと、もうこれ以上は限界です。助けたい方々は沢山おられますが、自分の精神状態がこれ以上もたないような気がします。助け合いって簡単に言えるけど、そんなに簡単な事では無いのだと実感しております。被災地でも、沿岸部には関係ない方々は、ほとんどは何事もなかったかのように生活している方々が多くみられます。悲しい事ではありますが、これも現実なのです。私の希望としては、被災地でも沿岸部には関係ない方々も含め、全国の方々の、この大震災を忘れ去られない気持ちや、支援を続けて頂きたく思っております。そして桑山先生ご自身のお身体をどうか大切になさって下さい。
R.Sさん、また全国で生活支援 心のケアに関わっていらっしゃる皆さんのお疲れは大変だと思います。
支えられている私達はどれほど感謝してもしきれません。
今皆が一度立ち止まり、休む時間が必要なのではないでしょうか。
支援されている私達は、長い苦しい時間を耐えてきた強さが無意識に身についているような気がします。
支援している皆さんは、消耗されたお力を補充されることも必要だと思います。
震災からの回復は時間がかかるかもしれません。
無理しすぎないよう、それぞれが大切な体を大事に皆で生きて行きましょう。
北釜のおかあさん、RSさん、あいさん、そして 桑山さん 生きていくのに 一番大切なことを教えてくださって ありがとう!!
そうでなくても大変なみなさんが 他の方までを 思いやる心が ダイレクトに 私のこころに 入ってきました。
ありがとう!!
『閖上小中学校遺族会発足』のグログの、子どもさんを亡くされ
「あの日から、時が止まってしまっている」
というお母さんの言葉。その苦しみの言葉に、かける言葉がみつからずにいます。どうか、いつの日か、という気持ちでいっぱいです。
北釜のお母さんの言葉、こちらが励まされるような気持ちです。
桑山さんのグログによって、こんなにすごい力のある言葉に出会えていることに、感謝します。
つい最近、ある母子家庭のおかあさんが、まだ小学生の一つ違いの兄妹を残し、病で亡くなられました。残された下の子は障害児です。
母親が退院し、また3人で暮らせるはずだったのに・・・。
お母さんはどんな想いで旅立たれたのか。
これからの二人の行く末を思うと胸が痛みます。
彼らが、これからの人生を色々な人に支えられ、
強く生きていってくれることを祈るばかりです。
私はあいさんのコメントを読んでいて、自分のコメントした内容に反省しました。お子様を亡くされて、本当は今でもお辛い気持ちや、悲しみは癒えてないはずなのに、支援者の方々に対する心遣いの気持ちを抱いて下さっている事を感じ、私は自分の心の狭さに反省しております。私は家族が亡くなった訳では無いのに、遺族の方々の心情を思ったら、弱音を言ってしまった自分が情けなく思えてなりません。あいさんのコメントで、私は逆に元気を頂きました。ありがとうございます。まだまだ悲しみや辛いお気持ちは癒えていないでしょうから、遠慮せずに、ご自分の心情を語って頂きたく思います。私はまだまだ頑張れます!今からも私に出来る事は、無理をしない程度に続けて行きたいと思いました。そして、あいさんのおっしゃるように、少しは休養が必要かな~って思いました。暖かなご気遣いありがとうございました。