いま、僕たちが心理社会的ワークショップで取り組んでいるのは「ジオラマ制作」です。
閖上を4つの地域に分けて90cm×90cmの地図を用意します。その上に紙粘土で3月10日(津波の前の日)の自分たちの街を再現していきます。
こんなふうに書くとある大人は言うかもしれません。
「そんな事を想い出させて、いったい何になるというのか。辛いことを想い出させるだけではないのか・・・。」
と。しかし、多くのものを失った閖上の人たちが、今の時点で求めているものは何か。それは自分たちが生きてきた足跡そのものです。確かに自分たちがそこにいたという記憶と感触。それを求めています。
9月18日の閖上の芋煮会の会場で2008年の閖上の航空写真を展示した時の皆さんの反応。自分のお家を一生懸命探す姿。そして、
「この写真もらえないかな。」
という言葉。そしてそこに展示したフリーのメッセージボードには一つも恨みごともなければ、批判もなく、
「やっぱり自分はここが故郷だと確信した。」
という強いメッセージが残されていました。
この様子を受けて僕たちは子どもたちとのワークショップの中核にジオラマ制作を置きました。まずは「3月10日の僕たちの街」、続いて「3月11日の私たちの街」。それから「未来の私たちの街」
今回、「3月10日の私たちの街」をつくりながら僕たちは毎日感動し続けています。子どもたちは、
「これがつくりたかったんだ!」
という強い意志により、どんどん制作を進めていってくれます。そして大人の僕たちが感動するほどたくさんの街のアイコンをつくっていってくれるのです。
所狭しと、大切なアイコンが創られ配置されていきます。
そして創り上げられていく彼らの街は、まさに「ここに僕たちがいた」という記憶の再現であり、それが明日への自信につながっていきます。
閖上の子どもたちの多くが、
「どうして僕たちだけこんな目に遭ってしまったんだ・・・。」
と心の中で嘆いています。それは自分たちだけが多くのものを失い、それを取り返せていないから。どこを見てもあの閖上の街はなく、解体で家はどんどん失われ、更地には夏草が茂っています。これからの街の再建のビジョンはまだかたまらず、子どもたちも迷っています。その一方で世の中は急速な勢いで被災のことを忘れていっています。
しかし僕たちは知っているのです。心の中に、確実に生きてきた記憶があり、それは失っている自信を取り戻していける基礎エネルギーになることを。だから、子どもたちが創り上げようとしている「3月10日の閖上のジオラマ」は、ものすごいインパクトと感動を持って、大人を感動させていくのです。
ある子が言いました。
「これはね、お父さんが大事に乗っていたトラックだよ。」
家の何倍もの大きさで創られていたトラック。お父さんが見たら、どれほど勇気がもらえるでしょうか。
ある子は創りました。
「これはね、うちで飼っていたお魚。閖上は海の街だから家族全員でつりが大好き。それで釣ってきたメバルを飼ってたんだよ~。」
クジラほどもあるメバルがとてもリアルに創られていました。
ある子は創りました。
「これね、うちにいたヤモリ。自分で捕まえてきたんだよ!。とっても大切にしていたんだ!」
閖上中学校の校庭と同じ大きさのヤモリが2匹鎮座しています。
ある子が言いました。
「ここにおそば屋さんがあったよ。とってもおいしくて大好きだった~」
素敵な器におそばが入っていました。これも「ジオラマ制作」なのです。その子にとってここに確かにそば屋があり、それを表すアイコンは「お蕎麦」そのものなのです。そのおそば屋さんがこれを見てくれたら、
「やっぱりがんばってそば屋を復活させよう!」
と思うに違いありません。
そしてみんなが言いました。
「実はね、閖上生協の裏にはね、お地蔵さんがいたんだよ。みんなでよくお参りに行ってた。このお地蔵さんにお祈りするとね、とってもいいことが起きるんだよ~!」
閖上生協の3倍はあるお地蔵さんが創られていました。
子どもたちがつくるものの大きさは、まさにアイコン(指標)。そしてその大きさは実際の大きさではなく、その子どもたちにとっての「大切さのバロメーター」で決まります。だからお父さんのトラックは実寸の10倍は大きいし、メバルはクジラほどあるのです。そんな「実寸大とは関係ないアイコンの大きさ」
が大切。
そうして創られる閖上の街の豊かなこと、豊かなこと。これこそ、心の中で取り返していける「街」の本当の姿なのです。
鉄道模型の「ジオラマ」のように、すべてを精密に実寸比につくることが僕たちの目指すものではありません。子どもたちの生きてきた日々と記憶の中でそれぞれの「モノ」は「形」を得て、「大きさ」が決まっていくのです。その大切なものが並んだ街こそ、
「僕たちが生きてきた閖上の街なんだ!」
という強いメッセージとなって、僕たちの心に迫ってきます。
ある子どもが言いました。
「ねえ、これ名取のエアリ(イオン)モールに飾れたら、どんなに嬉しいだろうね!」
「あ、それいい、それいい!」
「大賛成!がんばってつくろうよ!」
子どもたちは大乗気です。
僕たちは、ハッとしました。
みんなでつくるこの閖上の街のジオラマ模型。それが名取のエアリ(イオン)モールに展示されて、いろんな人が見てくれる。それを子どもたちは自発的に希望してきました。
いよいよ2学期の大きなテーマが始動しました。
「大切さ」で大きさが決まったアイコンが並ぶ、3月10日、僕たちの閖上の街。来週は色塗り(彩色)が始まり、その後、田んぼや畑、道路、海の制作が加わり完成まであと6回くらいですね。11月末にはエアリモールのロビーに飾られるといいな!
請うご期待!!
桑山紀彦
子供達も作品も愛おしいですね。7か月前の町が過去になってしまったけれど、子供達が育った町の記憶を忘れないことは、とても大切なことかもしれませんね。
私の故郷も風景は変わってしまいましたが、記憶の中に確かに残っています。住む人は減ると思いますが、それでもこの地で生活する人たちが、新しい生活を作っていくことを応援していきたいと思っています。
母は無事入院しました。ありがとうございました。
子供達が目を輝かせて、製作している様子が目に浮かぶ様です。その様子を見つめるスタッフの皆さんの嬉しそうなお顔が。 おそらく本当に展示される事になるでしょうが、被災された名取の皆さんをはじめ、見た方が元気をもらわれる事でしょう。楽しみにしています。
最近、通勤する際に“人身の文字を見る事が少ないのですが、なんだかイライラしている人を見掛ける事が多いです。
子どもたちや心が折れそうな人にとって、
心のケアを考え、このような取り組みをしてくれる
専門家が近くにいるということは、
どんなにか、心強いことでしょうか。
医師としての桑山さんの姿といい、地球のステージ、津波記念館への取り組み、心のケアといい・・・
桑山医師の心髄がわかります。
遠くから見守ることしかできませんが、いつも応援する気持ちでいます。
悪魔の兵器
「地球のステージ」で紹介される旧ユーゴスラビア紛争では、子どもたちの訴えがこころに重く残る。
先生が言う。
「君たちは、この山に入って遊ではいけないよ」
「そんなことは知ってるよ。誰も地雷の埋まった山なんかに入らないよ」
「それをしっかり守ってくれよ」
「でも先生。僕たちが山に入って遊べるのはいつになるのかな?」
「あと、五十年ぐらいかもしれないね」
「そりゃひどいよ。それなら僕なんかおじいさんになってしまうよ。子どものうちには山に入って遊べないじゃあないか」 子どもたちの悲痛な叫びである。
桑山先生はステージの上から、客席の僕たちに語りかけます。
「旧ユーゴスラビア紛争は終わりました。でも、子どもたちは山に入れません。子どもたちが山に入って山菜を採ったり、昆虫を採って遊んだりするのはいったいいつの日になるのでしょうか。旧ユーゴスラビア紛争はまだ終わっていないのです」。
今年、フェイスブックの呼びかけに始まった民主化運動はアラブ諸国に広がった。
エジプトでの革命や、リビアでの独裁政治打倒は「アラブの春」と呼ばれています。
リビアのカダフィ大佐は首都トリポリを追われリビア国内のどこかに潜伏しているといわれています。現在は反カダフィ派がリビア国内の全域を制圧し、戦闘はほぼ終了したといいいます。しかし、新聞の写真報道には、首都トリポリの高校にはうず高く積まれた地雷が写っています。その傍らで片足を吹き飛ばされた高校生が写っています。人はなぜ、このような悪魔のようなことをするのでしょうか。
戦いの末、撤退を余儀なくされれば、素直に去らないのでしょうか。地雷を埋没し、罪もない人々を殺傷するのでしょうか。悪魔の所業としか思えません。
戦いが終わっても、まだまだ、戦争が続くのは、この世に多くあることを、私たちは知らなければいけない。
和歌山 なかお
子供たちが素敵な笑顔で思い出の中の街をまた形作っている。なんと言ってよいか,胸がいっぱいで言葉が見つかりません。本当に素敵な町ですね。航空写真同様,それを見る人たちは嬉しそうに見てくれることでしょう。素敵な町を完成させて,是非エアリモールに飾ってください。
私は、副都心で生まれ育った新宿っ子です。
住よりも政と産機能を重視した新宿の変貌は激しく、小中学校はとっくの昔になく、高層ビル化で住環境と言えるものは無視され、親の逝去で実家も無くなり、跡形もなくなりました。
それでも家族が住んでいる間は、故郷という意識がかろうじて有りましたが、今は故郷が無くなったと云うのが実感です。思い出す故郷は、やはり子供のころの景色ばかりです。
子供たちに、ジオラマの試みは非常に良いチャレンジです。必ずそこに踏みとどまるバックアップになると思います。
破壊されても故郷を思う心はなくなりません。その子供たちの気持ちは故郷をもとに戻したい一心でしょう。
きっと、立派な町が再現するに違いありません。
ジオラマのアイコン、子どもだから作れる大きさですよね。
想いの大きさに合わせたサイズ、こんな素直な表現は子どもならではですね。
子どもたちが安心して語れる雰囲気を作っている桑山さん、流石ですね。
完成がますます楽しみです。