34年目の御巣鷹山

34年間、ずっと空へ昇っていった人のことを思い続け、活動を続けるとはどういうことなんだろう…。そう思いながらこの4年間ずっと御巣鷹山に登らせてもらってきました。

ある日「閖上の記憶」にやってきた美谷島邦子さん。大川小学校の検証委員会では硬い表情をされていた美谷島さんは、私たちの「閖上の記憶」で上着を脱ぐように心を解かれて、しばらく滞在されました。そして、

「津波からこの早い時期に、ここまでの資料館を作るということは余りにすごい」

と評価して下さり、それからの深いお付き合いが始まりました。

4年前には丹野さんも登り、それから毎年3月11日には共に「追悼の集い」で気持ちを一つにしてくださる。だから当然のように今日も登らせて頂きました。

今年は「地球のステージ」&「閖上の記憶」&「閖中遺族会」チームはなんと総勢14人が登り、これまでの最大数でした。今年は語り部で活躍する江里ちゃん(松崎江里子さん)も登りました。

それを美谷島さんは我が事のように喜んで下さるので励みになります。もちろん日航機墜落事故のご遺族ではない私たちですが、同じ遺族として、あるいは被災者として、あるいは支援者としてつながることを受け入れてくださっています。広い気持ちだなあ、といつも思う。

今年も明ちゃんのおかげでしっかりと晴れ、すがすがしい夏の御巣鷹の尾根は多くのご遺族の気持ちが集まっていました。午後には閖上チームと海老名チームは別れましたが、今年は岐阜から翠先生が登られました。あくまで熱い高校教師です。多くの学びをされて帰っていかれました。

「人は悲しみであってもつながり合える」

美谷島さんは今年の3月11日にそう語られました。

今年はある交通事故で大切な娘さんを亡くされたご夫婦も共に登られました。こうして少しずつ「輪」が拡がっていきます。

その「輪」の想いを胸に、また来年も登らせていただこうと思います。

桑山紀彦

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