今日は一日女の子たちと海でした。
2003年の7月、僕たちはタハニと海に行きました。イスラエル軍の厳しい包囲の中、アブ・ホーリの検問所を抜けてガザの海に行ったあの日を思い出します。厳しい空爆や占領が続く中奇跡的に開いた検問所をかいくぐっていったあのガザの海。
昨日半年ぶりに遊び行ったタハニにも言われました。
「あの夏の海のことは一生忘れない。それからどれほど家族と海に行ったかわからないけれど、あの日以上の海は、この人生の中でまだないよ。」
ありがとうタハニ。僕もあの日の海のことは忘れない。君が書いてくれた貝殻の内側の5つの言葉も忘れない。
「自由、協力、愛、安全、清潔。」
それは今も大切に思っている言葉だものね。
それから8年が過ぎて、僕たちは毎年海に行っています。
今は昨年から付き合っているサナブリ・クラブの「ユブナ地区在住」の子どもたちと毎年海に行っています。タハニたちの姿は「地球のステージ2」の「パレスチナ篇後編」として、このユブナの子どもたちは「地球のステージ5」の「ガザ危機篇2」として語られているのですが、10歳から15歳までの少女たちと海に行くのはいつもいつも感動させられることばかりです。
中でもずっと気にしているのがアッラー、13歳です。
アッラーはあの「色を塗らない絵を描いた」モハマッドの妹。家はエル・アマル学校の横で破壊がすぐ横まで及んでいた自宅に暮らす13歳の少女です。昨日は「手のひらの願い」のワークショップでベース画を描いてくれたアッラーはモハマッド同様、既にいろんな事に高い意識を持つ中学生です。この占領されているガザ地区においても、非常に賢く現にある少女です。そんなアッラーも、少しずつ大人への道を歩いています。黒いヘジャブをかぶり、年上らしくみんなをよくまとめます。ちょっといたずらっぽかった去年と比べてぐっとおとなしくなり落ち着きが出てきました。もちろん海には入ったけど、去年よりはあまり深入りせず、早めに海から上がっていました。興味が、だんだん違う方向にいっているのだと思います。でも、相変わらず外の世界への興味と関心は強く、こちらが恐れ入ることもたくさん質問してきました。英語の力もなかなかですね。
「津波は大変だった?」
「ああ、たくさん亡くなったからね。」
「ラファでもたくさん亡くなってきたよ。」
「人が亡くなるのが一番きついよな。」
「うん、人が亡くならない世界を創りたいよね。」
「そうだね、災害とか、紛争でなくならないといいね。」
「うん、本当にそう思うよ。」
アッラーに自分自身が納得できる未来が待っていますように。
着替えてきたアッラーです。
まるで映画「フィフス・エレメント」に出てきた異星人のオペラ歌手、フラバラグナのような美しさをたたえたアッラー。でも13歳です。
海に行くことの意味は、心の解放でもあります。ガザにおける日々の生活は忍耐が基本になっています。占領されているだけで、移動の自由が奪われ、チャンスが奪われ、品物は常に不足気味で・・・。すべてが耐乏の生活です。子どもたちはそれを生まれた時から受け入れながら、生活しています。でも同じ人間同士。時には心を解放して思いっきり叫びたいですよね。海に入るということは、そんな心の解放に役立ちます。
「気持ちいい~!」
「楽しい~!」
「嬉しい~!」
「しあわせ~!」
みんなで海に来てただ泳ぐだけでもこれは「非日常」。そんな非日常がもたらす心の躍動感がこの閉塞環境では大切。だから、僕たちは海に来るのです。そして彼女たちはいつも言います。
「もっと長くいてよ。出来ればずっと住んでよ~!なんで日本に帰るの~?」
すぐに心がつながってしまうんです。だから僕は帰ることを申し訳なく思う。だから通訳のアーベッドに聴きます。
「どうすればいいんだろうか・・・。」
「そりゃあ住むといいよ。」
「って、そりゃあ難しいよ。日本に仕事や生活があるんだ。」
「冗談だよ。みんなわかってるんだ。だからね、何度も何度も通ってくればいいんだよ。たった一回来て去る人もいるけど、ケイやアキコはそうじゃない。あきらめずに何度も何度も通ってくる。それでみんなが信頼して、心を許すんだよ。」
明日は男の子たちとの海です。
桑山紀彦
アッラーの写真、いいなぁ!
映画のスチール写真みたい。
カメラがよくて、被写体がいいんですね。
腕もいい!?
子供の通う中学校で地球のステージを開催するに当たって、地球のステージ行きまくった時、ステージ2のタハニの「海はあなたの国に行けるくらい自由なんだね。」と言う言葉を聞いて涙かこぼれました。この言葉を子供達に聞かせたい。って思ったのを思いだし出します。タハニは二児の母何ですよね~!
奈良女子大学付属中等教育学校の落葉先生が7月25日から27日にかけて被災地を回られました。フィスブックに写真がアップされていますが、そこを見ていると僕のこころを打ったものがあります。
被災地の各所にポスターが掲示されています。ポスターには以下のコピ-がありました。
「ため息つかないと決めた」-瓦礫を処理しているおじさん三人と共にー
「前よりいい町にしてやる。」-瓦礫と津波で流された車の中の若者ふたりとー
「諦めるな、と帆立が言う。」-壊滅の魚村に立つ漁師の男と共にー
「続く未来に胸張れるよう。」-避難所で暮らす若夫婦が、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えてー
「夢は勝つ。かならず勝つ。」-保育所で多くの園児たちに囲まれ、保母さんふたりー
「埃も泥も、思い出にする。」-瓦礫処理で泥まみれになった青年がひとりー
「心まで壊されてたまるか。」ー倒壊した家屋の中に立った青年ー
「かわりに気づいた宝もの。」-壊れた商店街に立った町内会の人々ー
「かっ飛ばせ、俺たち。」-石巻東中学校野球部の少年たちー
奈良女子大学付属中等教育学校の落葉先生は、石巻市立住吉中学校吹奏楽部にホルンを送りました。落葉先生、あなたはええことするなあ。
ボクの和歌山県には世界遺産、高野山があります。そこの真言宗大本山金剛峰寺は、震災で被災した小中学生を高野山に招待しました。大自然の中で震災で傷ついたこころを癒してもらおうとするためです。
さすが、世界遺産、ええことするなあ。
ボクはなにもできんしな。しかたない。震災復興宝くじでも買いにいくしかないか。1枚200円だという。10枚で2000円。今から買いに行くか。それくらいしかできんなああ。アホなオレ・・・・。
和歌山 なかお
本当に気持ち良さそうですね~ ♪
心を開放してくれる海はいいですね。こちらまでウキウキします。
あのドキドキしながら検問所を通り抜けた後に海を見たときのみんなの歓声を覚えています。
つながりを持ち続けることが信頼と友情を育むんですよね。
どんな環境にあっても子どもたちは未来を見てしっかり成長していくんですね。
明ちゃんも桑山さんも子どもたちといっぱい楽しんできてくださいね。
奈良女子大附属の落葉です。
和歌山の中尾さんの文章に注釈
ホルンは私が贈った訳ではありません。学校の後援会のお金です。学校の東日本大震災支援委員会で、「義援金も大切だがピンポイントにすぐ役立つものを」という合意を得た後、石巻市立の中学校の吹奏楽部から楽器支援の要請がネットに載っていたので、贈ったのです。実際、副校長と器楽部顧問で行い、私は何もしていません。誤解なきように。
東北の海岸にあれだけの被害を与えた同じ海が、パレスチナの子どもたちをあんな素敵な笑顔にさせているんですね。自然は偉大です。
何が出来るわけではないけど、僕も「あきらめずに何度も東北に通おう」と思いました。