九州人ってすごいな、といつも思います。
被災地にいて九州人の割合って高いと思います。日本全国からいらっしゃる支援の皆さんの中で九州から人のなんと多いことか。被災地から一番離れているのにもかかわらず、です。これはやはり「離れているからこそ辛い気持ちが強くなる」ということと、土地柄なのか「お互いさまの気持ち」をちゃんと持とうとする人が多いと思います。だから時間と空間を超えて被災地で九州人を見ることが多いのだと思います。
そして九州人は自分なりの方法で被災地とつながる傾向が強いと思いました。それは実にユニークな方法だったりするのです。
例えば福岡県飯塚市の飯塚病院に勤務する田中誠先生。
我がクリニックに3月末から3週間いてくださっただけでなく、6月にも、そして今度8月にもクリニックの診療に来てくださいますが、そういった定期的に支援にいらっしゃると決めた田中先生は九州人です。そしてそんな田中先生を
「被災地支援なのだから出張扱いで行きなさい」
といってくれる院長先生もまた九州人。
青年海外協力隊OGで、北九州に住む西川美愛さんは、桑山への思いを綴った曲を創り、このブログの記事を紙芝居形式などにしながらチャリティ・ミニライヴを企画。これまで数回実践して確実に支援金を集め、今日僕に手渡してくれました。そこにはいろんな立場の人が自分の身銭の一部を削って支援金として託されていました。
そして今回の北九州のステージを実際に企画運営している服部さん。底知れぬパワーは有名ですが、その人脈の広さにおいて右に出るものはいません。
これも「服部流」。他に類を見ない実にユニークな展開で被災地の僕たちを支援してくれます。
この動きは、やはり九州独自の特化したものと僕は思うのです。
単に距離が離れているから、余計にじっとしていられない辛さが募って、独自の展開につながっているという意見もあるかもしれませんが、決してそうではないと思えてくる。相手の気持ちを自分の身に置き換えてみるという志向が強いように思えてくるのです。なぜならば、「桑山先生を休ませたくて、僕はこの病院に来ているのです。」という田中先生や、「桑山さんを想う気持ちを曲にしました。」という美愛さんの思考は、非常に現場重視型です。その現場にある困難をまず自分たちが黒子に徹することで乗り切っていこうとしている、そんな崇高な精神を九州人に感じるからです。
「たった2日なんだけど、とにかく現地に行きたい、現地を見たいので、時間ないか?」
という聴き方を九州人は決してしないように思います。それが現地の負担になるかもしれないことをちゃんと知っている。だから、
「今は受け入れる状況にないんです。」
という返事をするとすぐにそれを受け止めてくれます。 だからとっても接しやすい一つの理由になっています。もちろん美化してはいけないと思う気持ちはありますが、いつも九州人には感謝ですね。(ただ長崎県が送ってきている臨床心理士たちを除いて、というのが正直なところであり、残念ですが。その言動や発言は現地を混乱させているだけだと思います。)
ただ、いつも暖かい気持ちがあるのでやむなしですが、大きめのものを渡してくださることだけはどうかご勘弁を。九州から持って帰るのは大変なんです。だからそれはお気持ちだけで・・・。
こんな素敵な九州人、ますますいいつながりが出来ればと思って今日の公演が終わっていきました。
桑山紀彦
確かに情が深く、温和な土地柄という感じがしますが、
類は友を呼ぶ!の表れだと思いますよ。
行って良かったと思えるステージでした。先生がされている活動がよくわかりました。ユニークな発想は私も例外でないのかもしれません。今現実に東北には行けないし残念ながら時間さえありません。昨日は先生ともお話をしたかったですが時間に追われですね。でも渡すものは渡したしずっとこれから関わろうとしているわけだしいいのかなと思います。私は見えない存在でいいように思います。めだたなくていい。ただただ応援あるのみと思います。精力的に活動される桑山さんが倒れませんよう九州から応援しております。
九州のステージご苦労様。
とてもパワーもらわれて きたのですね。
昨日 私は大阪府障がい者社会参加推進センター研修会に行きました。
「東日本大震災と被災者のこころのケア」で 東北大学の 若島孔文先生のお話を聴きました。
桑山さんのブログを読んでいたので お話が よく わかりました。
熱い人で からだいっぱいで 伝えて帰られました。
たくさんの人が 踏ん張っているんだと思いました。
僕はどうも人に好かれなくて、そのせいか人との交わりも苦手である。
会話はするが、いつもギクシャクしていてぎこちないものを感じている。子どもの頃からそうであって、長じるに従ってそれは顕著になってきたように思われる。今では一人でいる方が気楽で気分も軽いのである。そのことを僕の周りにいる人も感じていて、僕に好感をもっている人は少ないと思われる。
さらに僕は、すこぶる醜男(ぶおとこ)である。桑山先生のようなイケメンでは決してない。
僕は作家ではないが(おまえなんか作家になっれこないという天の声が聞こえているが)、文章を書くのは割と好きである。そのせいで迷惑も顧みずこのようなコメントを毎日書かせて貰っているのであるが、このことは何に起因するのかと自分なりに考えてみた。
見えてきたものがある。それはストレスである。コンプレックスである。醜男だけでなくぼくには様々な肉体的欠陥を持っている。先ずはテッペン禿げ(頭の頂点に毛がない)である。胴長短足でもあるし、さらにヘルニア腰痛持ちでイボ痔である。これだけ欠点があればコンプレックスを持つなといっても無理なことである。ところが、先日救われる一言に出会うことができた。
文芸春秋八月号に松本清張の講演録が掲載されており「文章を書くものは人に好かれるべからず」とあったのを見つけほっとした次第である。
松本清張は作家について述べているのであるが、これは僕のことではないかと思い納得したのである。
清張は菊池寛を例にとり次のように講演している。
「菊池寛の文学というのは、その作られていく過程に、二つの要素があると思います。一つは、家庭が貧しかったこと。そのため、学校へ行くのに、絶えず金の苦労をしなければならなかった。この逆境が、菊池寛の文学形成に大きな要素になっていると思います。
もう一つは、醜男であったこと。女にモテなかった。このことがまた、菊池寛の文学を作り上げたーーーーー。」
そして最後にこう締めくくってた。
「あんまり人に好かれちゃあいけないんです。小説家は。特に女にモテちゃあいかんのです」。
イケメンの桑山先生とは違う僕は、これを読んでホットした次第です。
和歌山のバカなかおです
昨日(12日)北九州での緊急ステージありがとうございました。ロイホでもご一緒させていただき同じ空気感を共有で来て幸せでした。九州人は熱い!とのコメントに本当にうれしい気持ちです。名前のクミ長は、気仙沼ボランティアの際のニックネームなので、そのまま記入しました!!いただいた先生のサインに(空を見上げて!)とあり、本当に夜空を見上げて、少し太めの半月を見ながら、確かに空は一つだ!と実感。先生の歌や声が響いて来て、また涙涙でした。泣いてる場合じゃないのに!
仲間たちにもこの感動を伝えたいと思います!!
ありがとうございました!、また、絶対にお逢いします!
桑山先生
昨日は北九州公演お疲れさまでした。
九州にも桑山ファンがこんなにも沢山いる事を心強く思いました。
久しぶりに先生の歌声聞けて感動です!!
公演の前に仕事場まで会いにきていただき感激しました。
今回の企画してくださった皆様に感謝・感謝です。
お話ししたい事は沢山ありましたが、また8月に名取でお会いした時のために
とっておきます。懐かしい風景、懐かしい人たちの姿を見る事ができました。
気がついたら沢山元気をもらって帰ってました。
そして、今回もまた沢山の出会いがありました。
本当にありがとうございました。
今後も体調管理に注意して頑張って下さい。
先生の代わりは誰もできないのですから。
逞しく心優しき九州人。私はそういうイメージがあります。
桑山さんが元気になれるステージで良かったです。
各地の皆さんの思いが桑山さんに、スタッフの皆さんに届きますように。
昨日は、初めて先生の事を知り、初めて公演に参加させて頂きました。写真や先生の歌を聞きながら今の自分には何が出来るのだろうと、ただひたすら考えさせて頂くものでした。今までにも、何かのボランティアがしたい気持ちはありましたが、全く何をしてよいのか解らず今まできましたが、昨日の公演で、さらにその気持ちが膨らみ私にでも出来るものをじっくり考えていきたいと思いました。これからも時々、ここに寄らせて下さい。
そして、先生、身体には本当にお気をつけ下さい。先生が倒れられると沢山の方々が困ると思います。
又、どこかで先生の歌声とお話しをおき聞きしたいと思います。
そうですね。先生のご指摘どおりかもしれませんね。
私は福岡県に住んでいます。
東北地方の方には、九州といえば、台風や大雨という印象ではないでしょうか。
ある意味、被災慣れしている感覚はあります。
特に、平成3年に発生した台風17号、19号の記憶は未だに根強く残っています。
それに、とても「田舎」なんです。いい意味でも、悪い意味でも。
だから、助け合わないと生きていけないんです。
一歩間違えると、馴れ合いになってしまう危険性は包含していますが。
そういった意味で、今回の件に対して、市民の反応は極めて迅速でした。
かえって、行政側が制止するのに苦労したくらいですから。
離れているからこそ、心配。九州の人間には今も根強く残っている基本的な感情。
九州にとって、関門海峡は縁を断ち切る、文字どおり「関門」なんです。
九州から我が子が東京に就職した。関門海峡を渡る=心配になる、なんです。
今はもう、飛行機が主要交通機関になっても、未だに関門海峡の向こう側は、別世界なんですよ。
だからこそ、遠く離れた東北地方を心配したい気持ちが強く沸き上がるんでしょうね。
個人的には、宮城県には、日本屈指の多賀城跡がありますので、その分、さらに思い入れが
強くなっているのかもしれません。
昨年の2月にも地震がありましたね。
あの日、私は多賀城にいて、その日のうちに絶対に帰らなければいけなかったのですが、
公共交通機関が完全ストップした状態で、空港に行くことができませんでした。
困り果てて、タクシーに飛び乗ったのですが、運転手さんがなんとかしてやる、って
いってくださいました。おかげで、無事、飛行機の時間に間に合うことができました。
自分自身、あせったせいで、顔も名前も覚えていないのですが、今でも、無事なのか?
心配しています。あのご恩は今でも私の大切な宝物です。
今となっては、置き忘れてきてしまった宝物になってしまいましたが・・・。
でも、あまり九州の人間を美化していただくのも・・・。
みなさんが思っているようなかっこうのいいものでもありませんよ。
九州男児がいうのですから、間違いないです(苦笑
昨日は本当に充実した時間を過ごすことができました。
外にいたので、ステージはあまりみれませんでしたが、昨日のステージは来て下さったみなさまに届いたと感じました。
ニーズを確認して、わたしにできる事をさがしていこうと改めて思いました。
やる気スイッチ、オン!!(o^^o)
これからもずっと応援しています。
ここ九州からずっと祈っています。
桑山さんの後ろには、熱き九州人が沢山ついています。