子どもたちの心

 「保育園の3歳児がうちに遊びに来たんです。いつも遊びに来る子なんですけど、びっくりしたのが、ブロック使ってビルのようなものを並べたあとに”ざば~ん、ざば~ん!”って津波の遊びをするんです。すごいな~って思って。3歳児もちゃんと見てる。そしてそれを表現しようとしているんですね。」

 あるお母さんが言いました。

「で、どうしました?」

「いや、やっぱり止めようかどうかと迷うんですけど、その子なりの表現なんだなって思って、見守ることにしました。そしたらうちの5歳児も一緒になって遊んでいました。“地震~!”って、ブロックを倒す遊びですね。」

「どうしてました?」

「見守っていたら、30分ほどして止めておやつ食べに来ました。なんだかスッキリした顔してました。」

 今子どもたちは一斉に吐き出そうとしています。それぞれの発達段階に沿ったやり方で、自分にとってフィットする方法で・・・。

 周囲の大人たちは一瞬戸惑いますが、不安を持ちつつもみんな見守ろうとしています。確かに子どもたちの個人差はあるかもしれないけど、みんな一様に表現しようとしています。

小学校5年生と一緒に箱庭に取り組みました。

 その子は朝になるとお腹が痛くなってどうしても学校に行けなくなっています。この1,2週間が一番ひどい状況です。でも、友達関係が悪いわけでもなく、学校が合わないわけでもなく、担任の先生との相性も良く、一般的に見られる「ストレス」はないように思えます。でも、最近はお腹の痛みで目がさめたり、朝の痛みで学校に行けないことが頻繁になってしまいました。

 もしやと思い箱庭に取り組みました。まずは学校とその周辺の河と道路だけ前もって桑山がつくって用意しました。

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 そして40分後、彼女はちゃんとあの日を表現してくれました。田んぼに津波が襲ってきています。木が流され、瓦礫が散乱して砂がかぶっています。クルマは道路の上で立ち往生して、隅には水没したエリアがつくられていました。そして学校の上には子どもたちが、目を覆い、しゃがんで涙を流しています。

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「これ、つくってて辛かった?」

「ううん、大丈夫。つくれて良かった。あの日ね、私も屋上から津波をみていたの。みんな飲み込まれていってあたりが海になったよ。震えが止まらなかった。そして仲良かった友達が亡くなったんだ。目から涙が止まらなかった。」

「その気持ち誰かに話した?」

「ううん、みんな口をつぐんでなるべく話さないようにしてるんだ。学校でも家でも誰もわざと話さないようにしてると思う。だから友達のお葬式に行けたときは、とってもホッとした。その友達が身近にいる気がしたんだ。」

「それからは?」

「なんか、みんながその友達のことを忘れていっている感じがして哀しいんだ。この前まで一緒にいたんだよ。私は、彼女のことを忘れたくない。」

 子どもたちは大人が想像するよりもしっかりとした気持ちで、あの日の出来事を心の中で整理しようとしているのです。それを僕たちは恐れないで引き出してあげることが大切です。

 たった1回の箱庭なのに、次の日彼女はお腹が痛くなることなく、学校に行きました。外に表現することで、前に進んでいくのが人間という生き物です。だから腫れ物に触るように接するのでなく、学校現場が積極的に子どもたちの「語り」に向き合うべき時がきているのです。

(このお話はお母さんの許可を得て、掲載させて頂きました)

桑山紀彦

子どもたちの心」への9件のフィードバック

  1. 子供は、年端がいかないから何も解らないだろうと思うのは、大人の勝手な思い込みで、すごい吸収力に驚きました。
    閉じられた心をほぐしてあげるには「必要な時に手を差しのべて付き添ってあげる」「まっさらな子供の心を、無心で受け止める」ことが肝心なことですね。
    桑山さんは「悲しいときは泣きなさい」と常々仰っていました。
    同じ主張をされる方の新聞記事・・「悲しみは忘れましょう、頑張りましょう」ではなく「悲しみを、ちゃんと悲しめる社会」にすべきである~と。

  2. 今回の事は、子供たちが「死」について 学ぶ 機会になると思います。
    私の娘は 5才の時 事故にあい、自ら怪我を負い 弟も亡くしました。
    その日から、娘は 夜中に必ず 目が覚め、泣き叫び 眠れない夜が続きました。子供用の精神安定剤が必要なほどでした。
    その時に、 小児科の 細谷亮太先生が 『忘れられないおくりもの』という スーザン・バーレイ作の絵本を読んで下さいました。
    細谷先生の穏やかな口調に、ほっとして聞き入りました。主人公のあなぐまが、年老いて死んでいった時、仲間たちは あなぐまの死をやりきれないほど悲しみます。でもやがて、 あなぐまが 教えてくれた 生きる知恵や、あなぐまの優しさが 仲間たちの心に ずっと残っている事に気が付きます。「寂しくない。 いつも一緒にいる。」と思えるようになっていくのです。
    「体はなくなって見えないね。だけど先生は、魂はあると思うよ。心の中には、楽しい思い出も たくさん残ってるでしょう。」
    細谷先生の温かさに触れてから 娘も 泣かなくなりました。
    あれから 私は 何度も この絵本を読み聞かせしてきました。
    被災地の子供たちにも 読んで貰いたい本です。

  3. 「外に表現することで、前に進んでいくのが人間という生き物です。」とありました。
    子どもたちが安心して話したり、表現したりする場が必要なのですね。
    スカイルームも活用されているのでしょう。
    何より子どもときちんと向き合う姿勢が大事ですね。
    時には立ち止まって自分の本当の気持ちを確かめることは、
    忙しさに流されている私にも必要と思いました。

  4. 実際に津波を見た子どもたちは その怖さを小さな胸で受けとめているのですね。
    桑山さんと係わることができるお子さんは幸せ(ケンケン・リンリンのスカイルームはもちろんです)。
    たくさんの子どもたちの こころが 救われますように!!

  5. 私は今奈良に住んでいます。以前転勤で仙台に住んでいたことがあります。今回の震災を通して、私たちが気づかないといけないことやさせていただけることを考えていました。今の世の中で希薄になりつつある人と人とのつながり、そして今こそ必要なコミュニケーション。子どもも大人も自分の思いを表現することの大切さを痛烈に感じます。そして、その思いを表現す場所や方法、そして何より受け入れてくれる人が必要であること。遠く離れた私たちができることは、自分たちが元気であること、そしてその元気なエネルギーを一日も早い心身の復興も含めて願い祈りに変えて送らせていただくこと、義援金を送り続けること、人との関わりの大切さや困っている人に喜んで手を差し伸べていける子どもたちを育てることなどたくさんあるんだと思います。このことを自分ごととして捕らえ、いつも心に留め出来ることの精一杯をさせていただきます。今日は午後から女子大で桑山さんの地球のステージを中等教育学校の保護者として見にいかせていただきます。普段は、子どもたちに前を占領され後ろの方で拝聴しますが、今日は先生方や保護者の方中心のステージですので、前のほうでしっかり拝聴してきます。この機会をいただけたことに感謝します。

  6. 桑山さん、優子ちゃん、佐久市のステージありがとうございました。お疲れ様でした。
    つながりあい支えあうことの大切さを感じる感動的なステージでした。
    数年前にステージを主催してくださったソロプチミストの皆さんは私が退会した今でも優しい笑顔でステージに駆けつけてくださり、ソロプチつながりで4月に「地球倫理推進賞」をいただいた主催者・倫理法人会の即実践で行動するスピード感と純粋さはお見事でした。ステージが来るよ!と声をかけると遠くても仕事でくたくたでも参加してくださる来場者さん、たくさんの人たちに支えられ、ステージがあるんだとあらためて、感謝の気持ちでいっぱいになり、人は支えあって生きていけるんだと感じました。
    毎日のブログで拝見する桑山さんは、いつだって過酷な環境の中、いつだって元気なんだと思ってました。
    でも昨夜のステージで感じたのは、桑山さんも優子ちゃんも明子さんも被災者なんだっていうこと。心も体も折れそうな時はいっぱいあるんだということ。
    長身の桑山さんがとても小さく見えました。背負っているたくさんの人たちの思いを一生懸命に伝える震災篇、涙声は「僕は被災者の代弁者だよ」と受け取りました。
    日々の診療で地域の仲間と支えあい、明子さんと優子ちゃんが(時には無理難題を課す?)桑山さんと支えあい、全国の応援団や主催者さんとも支えあい、そうして皆が前を向いて進んでいけるのでしょう。
    私もこれからはもっと「応援しています」の声を表現していこうと思います。

  7. こどもだけじゃないですね。大人も吐き出せない人、たくさんいるだろうなぁ。
    それにしても人間の心ってのは本当に複雑でセンシティブなんだ…。

  8.  これまで何度も地球のステージを見てきました。
     しかし、7月9日の奈良女子大学での公演はそのいずれもとも違いました。
     震災編が付け加わっているからではありません。震災編の語りやそれに加わった音楽が、こみ上げてくる悲しみにたどたどしくなるからでもありません。
     幾多の紛争地域や震災地域で医療支援を行ってきた海外支援が(今回はイラン震災救援編、ルワンダ編、スイリランカ津波復興編)、桑山先生の透明感のある美しい歌声が、辛く苦しい物語となって聞こえて来たからです。
     これまでは、悲惨だとか云っている人々が元気に立ち上がろうとしている、その人たちに僕たちが元気を貰う。そう桑山先生は言っていました。今はそれが違うのです。元気を貰えるのは、他国での被災だから。他国での醜い紛争だから、そこから立ち上がる人々に生きる勇気を教わる。でも、今はそうではない。自分たちが被災者、この現実は大きい。だからとても元気をもらえるとはいえないのだ。そう云ってるように僕には伝わってきました。
     自ら被災して、被災するとはどういうことか、その現実を目の当たりにしているからです。今までは、支援者。今は、多くの悲劇の現場に直面している当事者という現実が、地球のステージの医療支援、国際理解というテーマを伝わりにくいものにしていました。それだけに、今回の震災、津波は言葉にはできないくらいに大きい悲劇だということができます。
     桑山先生の、辛い思いが、僕には伝わってきました。
     どうか、どうか、桑山先生、体だけは本当にご自愛ください。
     桑山先生の頑張り、踏ん張りには、多くの人が頭が下がります。こころと体をどうか休めるときは休んでくださいね。
     僕には、震災後の「地球のステージ」の公演は、桑山先生を大きく変えたものになったような気がしました。
        和歌山  中尾

  9. 心に傷を負う事は 無い方がいいです。でも それを乗り越えて 立ち上がった時 違う世界が見えてくるかもしれません。
    娘は 弟を亡くし、 怪我を負い 心にも 傷を受けましたが そのため 思いやりのある子供になっているように感じています。
    同じクラスに いじめられている お友達がいた時 「わたし、側に行って一緒に居てあげた。その子に“大丈夫”って聞いたら “気にしてない。”って言ってたけど 酷いよね!」
    と 憤慨して 話していました。
    桑山さんの 本を 読ませた時 ユーゴスラビアの戦争で 6才の時拷問を受けた為に 失語症になった アリッサ の章でじっと 動かなくなりました。
    「ハートに矢が刺さってる。」
    と呟いて、何かを感じている様子でした。
    そして
    次の日 学校で、教頭先生に「うちの小学校に 地球のステージを 呼んで下さい。」
    とお願いしたようです。結局お金が足りなくて 呼べない事になったのですが…。
    何もなく、普通にきた子供よりも感じる事が いろいろ 違うようになっているように 思います。
    被災地の子供たちも 一緒に 何かを掴んで 立ち上がっていきましょうね。

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