今日は一日雨でした。
東北地方も梅雨入りして、ひたすらに雨が降り続けています。
雨にぬれた閖上の街。寂しいけれど、でも少し気持ちが落ち着きます。
太平洋側の閖上は晴れる時はスコーンと青空が広がります。
だから僕たちの心のケア、心理社会的ワークショップの活動部屋の名前は「スカイルーム」なのですが、僕たちのデザイナー、京都の陶芸家上原連ちゃんのロゴが光ります。そのロゴもやっぱり基本は「青」なんです。
でも、今日の閖上はなぜかそれはそれで閖上らしく、雨だからほとんど人がいないにせよ、僕の気持ちにすっと入ってきてくれました。そもそも人がクラスというのは晴れの日もあれば雨の日もあり、山あり谷ありのはず。だから雨にしとしととぬれた閖上の街がまたなぜか愛おしく思えてくるのでした。
江里ちゃんの家はそこにありました。やっぱりいつみても頑丈な家。しばらくは傾いて倒壊が予想される家が撤去の対象なのかもしれません。撤去まで大きく開いたところにベニヤの板を張ろうかと思っています。たとえ撤去されるにしても、もう誰も侵入させたくないですから。明日江里ちゃんに会うので、相談してみます。
雨にぬれた瓦礫の中にはたくさんの「モノ」たちの記憶が静かに佇んでいます。
いつかその記憶も忘れ去られていくのでしょうか。早いうちにちゃんと語らないと、闇雲に時の中で記憶が薄れていくことになりかねない。それは最も恐れるPTSDの発病の方向性なのに、ある人は「もう話さなくなっているからそっとしておきなさい」と思っているようです。
どんなふうに話したら、そういった考え方が間違いであり、人間の個体差はあるにしてもちゃんと語っていかないといつまでも悪夢や不安、抑うつ感に苛まれることがわかってもらえるのでしょうか。
瓦礫が撤去され、語るべき「素材」をどんどん失っていっている今、それが危険なことであることを世の中にわかってもらう方法を模索しているところです。
桑山紀彦
今日の東京はTシャツ1枚だと、肌寒い一日でした。新聞では、天国の八人勝利をくれた。と、陸前高田の少年野球団の話がありました。情熱大陸では絵本作家の長谷川さんと石巻の小学生の交流の様子がうつしだせれていました。長谷川さん 広島を伝える絵本も手掛けられた様です。幼稚園で担任をしている時、クラスに同じ時期に3人の子供達に弟か妹が出来る時があり、長谷川さんのおへそのあなも読みました。
さて、今日は省吾のライブ。代々木です。宮城・岩手・福島から今日のライブにたくさんいらっしゃってたみたいです。
今日も省吾から暖かい言葉と元気を貰いました。そして、連日 内田篤人くんもテレビで見れて嬉しい私です。明日から満員電車乗り切れそうです!
地球のステージの皆さん 省吾のライブ 行きませんか?
絵本作家の長谷川義史さんと地球のステージ。
大阪在住の長谷川さん。絵本 おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん で デビューしたときから応援している絵描きさん。
ぼくがラーメンたべてるとき で絵 描かれへん と嘆かれていた時、お節介にも、地球のステージの絵はがきや資料 長倉洋海さんの写真集などを長谷川さん宅に小さな段ボールいっぱい持って行きました。
そして 描き上げられて お礼にと 絵本の中に みっちゃんを 入れてくださいました。
私は 桑山さんがテレビに出る時は メールで お知らせしています。
どこか 私の応援している お二人が つながっているようで うれしいです。
桑山さんが 悩まれているのに 能天気な文面で ごめんなさい。
慌ただしく過ぎる毎日でふと見上げた青い空に「あっ、きれいだな!」って感動して、そのまま見上げた空に見入っていまい、気が付くと心が癒されていることがありますね。紀君がいろいろな機会に書いてくれる「どんなときも空を見上げて!」という言葉は、この大空の下に自分を支えてくれる人が必ずいるから大丈夫、安心してね!っていうメッセージでしたね。イギリスやカナダやガザや東ティモールや日本中の人たちが、この大きな空で繋がっている。震災から三ヶ月以上たった今でも、被災された方々にエールを送っていてくれていますよ。明日僕は空を見上げて皆さんと繋がりますね。
記憶に残す語るべき「素材」とは、被災された人たちの予防に大事な役に立つのですね?
自分は資料館のためと勘違いして読んでいました。ひとつ勉強をさせてもらいました。
復旧作業は着々と進んでおり、勝手に焦りを感じてしまいますが行政と協同するとか、何か良い案はあるのでしょうか?
一般の人々には見えない部分だけに心配です。
きちんと語らないと不安や抑うつ感が、、、残っていますね。
自分では以前より元気になったと思い、あえて封印している過去があります。思い出したくないのに毎日必ず苦しくなる心をなだめ、同じことはもう起きないんだと紛らしています。
話した後の嫌悪感も嫌で気が重くなります。先生に聞かれた時もやっと答えていました。
でも心に残っているもので抑うつ感があるのはわかります。
きちんと語るとは、また苦しい過去と向き合うことなのでしょうか。
日曜日、 山形の「地球のステージ」 夫と娘を連れて 見に行きました。
桑山さんの声が 優しい青空の様に 澄んだ色をしていて とても心地よかった。そしてインド、フィリピンの人々を身近に感じ、同じ地球の大地に生きている人間として、「何かしなくちゃ!」と思い胸が熱くなりました。
10才の娘は「ごみの山で暮らす子供がいたんだ…。」と ショックだった様子。
夫は 「これは… 子供達に 見せなきゃならないものだよね!」と、目を赤くして言っていました。
昨日は山口県 今日は 山形県…
「なんとタフな方だろう!」
なんだか桑山さんの体が心配。
でも、桑山さんは
日本中に 「優しい心の種」を 植えて歩いているのですね。
娘の心に芽生えたものに、水をあげ 肥料をまき、見守っていたいと思いました。
また、山形の寒河江に来て下さる際は 友人もを連れて行きます。
被災地で泥棒をしてしまうような、かわいそうなひとが一人でも減って 「皆が優しい心を持った国になりますように。」そう願いながら
私は周囲に、地道に 種を撒いて行きたいと思います。
あの大震災の日からずっと、テレビや写真、画像を通してではなく、直接、自分の足でそこへ立ち、目の前にあるものを見てあるがままに感じて、私の身体に記憶しておきたい。。と強く思ってきました。被災地の方のお気持ちや物資、ボランティアの移動の混雑など様子を伺っていましたが、被災地の方のお気持ちに少し変化があるようだと聞いて、『もう今しかない!』と週末土曜の朝、名取市を目指して出発しました。
中学生の上二人は、部活や塾があるとぶつぶついいながらも、家族五人が行けることに。
私が行き、家族へ見たり感じたこと様子を話すことはできるけど、ぜったいに、子供三人には、それぞれ自分自身で見て感じて記憶に刻んでほしいから、行くときは子供達と行くと決めていました。
午前中に車で出発して途中、休憩をとりながらで名取市へ着いたのは、午後3時くらい。
雨も降っていたこともあると思いますが、とても静かでした。東北国際病院を通りすぎて、閖上へ。
それまで車内の退屈さから、しりとりをしていた子供たちが、爪痕の残る風景に変わっていくと無言になりました。
そしていよいよ閖上に着き車から降りて
津波で流された鳥居に代わり新しい鳥居が建てられた高台へ上がり、子供たちと思わず手を合わせていました。この高さも簡単に津波はのみこんだんだね。。みんな言葉もでません。
近くのぺしゃんこのバス、そこに人々の生活と一緒に確かにあった家々の痕跡…でも、もう家の痕跡いがいの物は、すべて片付けられてなくなっていました。ものすごい、まっ平な土地の中に瓦礫を集められた山、ただ重機やトラック数台が動いている様子が今まで見たことのない空間でした。
先生が言われていた、ヘドロ臭さももうそこにはなく、きれいに片付けられているのを見て、もう少し早く来ていたら…という後悔の気持ちがあふれてきました。
一番下の子には、『海老名の街があの津波でここと同じようになったらどう思うかな?』って問いかけたら、まわりの遠くまでじっと見つめて下を向いて首をふっていました。私達はまたぜったいに来ます。。おじゃましました。。と一礼して閖上をあとにしました。
片付けられていくのと同じように、風化させてはいけないと強く感じました。
私達家族は直接、体験していませんが、この子供たちがおじいさん、おばあさんになるまで、伝えてくれると信じています。
笹かま、桃、さくらんぼ美味しくいただきました!
東京が江戸と呼ばれた時代、日本の中心、江戸はパリよりもニューヨークよりも大きなメガシティであると同時にエコシティでもあった。
当時、明りとして主に使われたのが「行灯」である。時代劇で見てご存じの方もおられると思うが、障子紙に木細工で作った箱の中に油皿があり、これに和紙で作ったコヨリに火を灯して明りとしていた。油は菜種油かそれより安価なイワシ油を使っていた。明るさは蛍光灯の50分の1程度の明るさである。これが江戸の夜を照らしていた。これを現代に利用したらどうだろう。CO2も排出しないし、エネルギー問題も節電もなにもかも問題が解決する。多少の暗さは我慢すればいい。実践すれば昨今の15%の節電など取るにたらないものとなる。
これを授業で実践しようと実験を試みてみた。
「今日は、原発事故以来云われている節電について、一気に解決する方法を、この教室から発信しようと考えている」
「へえー、凄いこといいだしたで。先生、頭おかしなったのと違う」
「まともな頭してるから、こういうことを云うのだ。まあ、黙っておれのエネルギー問題解決の方策を見ろ」
「まあ、それほどいうなら、あなたの授業なのだから黙って見てるけど」
「エネルギー問題解決の糸口は江戸時代にある」
「へえ、そうなの」
「ここで、江戸時代の明りを再現する」
「へえー、面白そう。はい、はい」
「江戸の時代、主な明りは行灯であった。それは和紙をこよりにし芯とし、これに火を灯す。いまこの教室でこれを再現する。」
「行灯は、どこにあるの」
「行灯の代わりに、お盆に使う提灯を使う」
教卓の下から僕は提灯を取りだした。
「ほうー、それですか。なるほど、なるほど」
「和紙の芯の代わりにティッシュペーパーを使う」
ティッシュの箱から一枚を抜き取り、1.5cmの幅に切りクルクル丸めて芯を作った。
「菜種油は今は手に入らないので、代わりに、料理に使うサラダ油を使う」
教卓の下からサラダ油が入ったボトルを取りだした。
「今日は、教卓から何でもでてくるね」
「それはそうさ。魔法の教卓だ。では、ティッシュの芯に火を点けて提灯に刺す」
百円ライターでサラダ油で湿ったティッシュの芯に火を点けると、ボボウーと燃え上がった。さっそく提灯に刺してみた。
「おい、蛍光灯の電気を早く切ってくれ」
僕の高校は夜の定時制である。電気を切らないと明るさが分からない。生徒があわてて電気を切りに走った。
提灯は、薄明かりの中で、ゆらゆら揺れ始めた。
「おい、どうだ。江戸時代の明りは」
「こりゃあ、暗いわ。これじゃ本も読めんし、道もとてもじゃあないが危なくて歩けない」
「そうだな、ちょっと暗いな。まあ、代用品じゃあ上手くいかんみたいだな」
「先生の、試みは感心するけど、江戸時代の明るさは、いまじゃあちょっとムリ」
「ザンネン」
かくして、エネルギー問題、節電問題等々、一気に解決しようとした我が試みは、あえなく埋没したのであった。
和歌山 なかお
『夢が少しずつ少しずつ実現する・・』、本当だね、夢って諦めなければやがて実現するんだけど、物凄く一生懸命努力しても、その実現のスピードって本当にゆっくりだよね!だから、多くの人は「もういいや!」と思って途中で止めちゃうんだよね。
震災を契機に諦めない人間が増えるといいね、でも、頑張り過ぎて体を壊さない様にお願いします。
震災から3ヶ月以上がたちました。被災地の方々は大変な毎日を送ってこられ、そのうえ「みんな大変なんだから」と我慢なさって胸の内に秘められたご苦労もたくさんお有りなのではないかと思われます。
それぞれの人の「語られなかった物語」が安全な場所で、仲間と手を取り合い、「泣きながら、あるいは笑いながら語り合える場」が設けられるといいですね。
スカイルームが皆さんのお役に立てるよう願っています。
胸の内を話せるような場が皆さんの近くにありますように。
少しでも苦しい病にかかならないで済みますように。
「寝た子を起こすな」理論は絶対に間違っていると信じています。
「寝た子」は、あくまでも「寝た子」であって、「死んだ子」ではありません。
だから、「寝た子」はいつか必ず「起きる」のです。
その「起きた」とき、突然、見ず知らずの物を見せつけられても、パニックを
起こすはずです。
だからこそ、「寝る前に」正確な情報を与えておく必要があるはずです。
しかし、一方で、残る必要があるものは、放っていても残るはずです。
自然や歴史遺産、伝承などなど。
奈良の大仏さまは、1300年前に創られ、何度も焼失していますが、その度に
何度も創り直されてきました。
今回の震災を放っておくつもりはありません。
しかし、先生がご心配されているほど、私は心配していません。
28,000の犠牲を人々が忘れるとは思えませんから。
私は、歴史を、人々を信じたいと思います。