最近、ステージが終わって夜に名取に帰ってくると、必ず閖上の街に行きます。
もちろん真っ暗で、五叉路から先はかなり勇気が必要です。ここにかつて7000人近い人たちがにぎやかに暮らしていたのに、と思うと胸が締め付けられます。
遠くにパトロールカーの赤い前照灯が光っています。主に京都府警が夜の人のいない閖上の街を守ってくれています。なぜ、時間があると夜でも閖上の街いくのか。それはいつも江里ちゃんの家を見に行くからです。
隣の家まで撤去が進んでいる。
江里ちゃんの家はもういつ解体されても不思議ではありません。連絡がなくても解体することにお母さんが同意しているので法的にはいつ解体してもいいことになっているのです。でも僕は思う、
「もしも解体されてしまったら、胸に大きな穴が空く」
と。それはもちろん江里ちゃんやお母さんの胸に・・・。でも僕の胸にも確実に穴が空くのです。もちろん1階は完全に破壊されているので、直すことも出来ないしもう撤去するしかないことはわかっているのです。でも、いざなくなってしまうと何だかんだ言っても心の支えだった「家がまだそこにある」という気持ちがなくなってしまい、心底がっかりしてしまうのではないか、と今から予測している自分がいるのです。
僕は江里ちゃんご家族と館腰小学校の避難所で知り合いました。3月末のことです。それからの3ヶ月間、僕はいつも江里ちゃんやお母さんと共に気持ちを共有してきたつもりになっています。江里ちゃんが哀しければ僕も哀しいし、江里ちゃんが幸せを感じることは、僕も幸せに思ってきました。だから家の撤去について江里ちゃんがどう思っているか、それはわからないけど、江里ちゃんが読売新聞の記事の中でも出てきた、
「一緒に泣いてくれたとき、先生も被災者だったんだということに気付きました。」
という言葉を心の支えに、共に心の旅をしてきたと思っています。あれから毎週大切なものを取り出そうと通い続けた江里ちゃんの家。もちろん玄関扉も吹き飛んでいますから、家の中を一緒に自由にまわり、大切なお皿や書類、ドラえもんの貯金箱などを集めていきました。そんな時間が重なることによって、僕は江里ちゃんと心を共有し、長い付き合いの家族のように思えているのです。だからそんなアイコン(刻印)としての家がなくなることがとても哀しいのだと思います。
江里ちゃんは、
「しょうがないんだ、もう壊すしかないんだ。」
と自分に言い聞かせてきてるけど、それでも実際に家が撤去され、更地になってしまうことで失ったものの多さに気付くと思うのです。それは僕も全く同じ。
だから僕は出来るだけ江里ちゃんの気持ちに添い、家の最後の最後の姿を目に焼き付けていきたい。今はそんな気持ちでいっぱいです。だから毎日毎日夜でも通いながら、
「あ~今日もあった良かった~」
って思っている自分がいます。それでもいつかは撤去されてしまうに違いない。
でもそれによって失われるものはあっても、逆に得ることもあるかもしれないということが心の中で少しでも確認出来たら、きっと僕たちは納得できるのかもしれません。
桑山紀彦
読売新聞のえりちゃんの言葉、なんだか胸にしみましたね。
友達が あの記事を見て、「暖かい良い記事ね。」って言ってましたよ。自宅撤去近付いて寂しいと思いますが、目に焼き付けておけると良いですね。
思い出の品々とは違い、家は生きて行くベースだから消失感は大きいでしょう。
今、桑山さんは江里ちゃんの気持ちに同化する方向でベクトルが動いていますね。
大切な山場だと思いますが、被災から立ち上がりつつある強い心の彼女は、きっとこの試練を乗り越えると信じてサポートしてあげてください。
桑山さんが悲しいと江里ちゃんは、もっと悲しいと思います。
江里ちゃんは桑山さんも被災者であることを自覚し、それでも自分を心配してくれていることで、少しずつ進んでいるように思います。
自分の家がなくなる損失感は必ずあると思います。お父様を亡くされ、大きな悲しみを心に抱え若い江里ちゃんとご家族は生きていかなければなりません。しかし心配してくれる人が存在することは、大きな支えです。
目に見える家はなくなりますが、記憶の中に家は残ります。
心に家を建てましょうと言ってくれた人の言葉を思いだしました。
これからの自分を作っていくという意味だったと私には思いましたが。
江里ちゃんご家族、被災された皆さんがお互いに支え合える日々でありますように。
「親戚」になった江里ちゃんの家も撤去されるんですね。
暮らしのすべてが思い出の彼方に行ってしまいます。
桑山さんには他人事でない想いがあるから辛いですね。
江里ちゃんと一緒に歩んでくれる桑山さんの存在は大きいと思います。
気持ちを合わせながら進むべき道を探してくださいね。
壊すということ、或いはなくなること
僕の家は和歌山県日高町とういう、農村と漁村の集落が点在する静かな町です。
近年、町行政の方針で集落排水を各戸で実施しなければならないことになりました。遅かれ早かれ、いずれ実施しなければならないことですので、この春、我が家でも下水設備の工事をすることににました。業者に連絡をすると一週間ぐらいで完成するということでした。
工事が始まり、重機やら、ブルドーザーの小型版が我が家の庭に鳴り響きだしました。庭を掘り起こしだしたのです。その間、庭に駐車していた僕の軽自動車は近くの道路へ路上駐車です。
毎日、庭の土が掘り返され、重機の音が響きます。かつて、花々が咲いていた花壇は跡形もありません。
けっして災害などではなく、集落排水工事とわかっていても、我が家の庭が面影がないほど、掘り換えされた無残な姿を見ると、分かっていても悲しくなりました。自分の気持ちに、これは単なる工事なんだと呼びかけていました。
津波であり、震災であり、そんなことで我が家を取り壊さなければいけない、或いはすべてをなくしてしまった人の気持ちを考えると、それは大変な悲しみであり、胸の苦しみは、察するにあまりあるものがあります。
僕のように、なにも被害を受けていないものでさえ、単なる工事でこんな気持ちになるのですかから・・・・。
わかやま なかお