東ティモールに入りました。
こうして通い続けて18年が過ぎ、19年目になりました。これまで関わってきた国で一番長く活動している国です。
さて、多くの医療機材を運んだため腰を痛めた状態での入国となりましたが、保健省関係者のサインがあるレターのおかげで調べられはしたけれど多くの医療機材を持ち込むことが出来ました。カッコいいショートカットになってイメージが変わったアイダとの再会でした。
そしてバイロピテ診療所へ。
ダンは、そこで診察をしていました。東ティモールオリジナルの放送局GMNが取材に来ていましたがそれも「バイロピテ病院を救え!」という内容のもの。改めてダンの20年に及ぶ活動が人々の心の中にしっかりと「感謝」を刻み込んでいるのだと思います。
シャナナ大統領も個人的に寄付をしたりして、ギリギリだけれどバイロピテ病院は機能しており、ダン先生は患者さんを診ています。受け付けのアメリアや清掃担当のアンゴラ、運転手バルタザールは残ってものすごく安くなってしまった給与でも納得してダンと日々を歩んでいます。なんてすごい信頼関係なんでしょうか。
しかしアイダが言いました。
「とにかくこの3,4ヶ月でものすごく痩せて、ダンは常に調子が悪いんだよ。特に悪性新生物ようなものではないと思うけれど、異様な痩せ方なんだ。きっと精神的なものもあると思うよ。」
そしてダン先生が言いました。
「もう今では風前の灯火かも知れない。この病院をいつまで維持できるは自分でも分からなくなってきた。それでも毎日患者さんが来る。患者さんが来る限り、私はこの仕事を辞めない。」
変わらないダンです。でも一方で、
「”地球のステージ”でイエメンの医療支援をやらないか?あそこは今一番大変だ。医療のニーズが大きい。私は多少だけれどアラビア語もしゃべれる。是非イエメン支援をやろう!」
どこまで本気なのかは分からないけれどダンはやはり「医師」として必要とされる場所が必要なのだと思う。ここまで貫いている医師に出逢ったことはありません。今後のバイロピテ診療所のあり方は別としても、ダンのぶれない生き方にはいつも学ばされます。
でもおそらく年内には、決めなければならない日が来るように思いました。
さて、週末はバウカウやベニラレという島中部の協力隊の皆さんには会えそうです。今回は一人で来ているので、もしも可能であればディリ在住の協力隊の人と会いたいものです。ただ選択制になっている「地球のステージ」、見ていない人もいるというのが哀しい現実です。
請う連絡!
桑山紀彦