サッカー人生

 今日は雨の中、息子のサッカーの試合でした。

 自分の息子の話で恐縮ですが、高校3年生の彼にとって今日は正念場の試合でした。これに勝てば上に上がっていくし、負ければ高校生活最後の試合になります。
 折からの台風の雨で、フィールドはぐちゃぐちゃ。まるで田んぼの中でサッカーをやっているような感じでした。既に前十字靱帯を2回も切っており、2回目はあえて手術しないでそのまま県大会に臨むことを決心して、彼は部長としてこれまで踏ん張ってきました。多少脚はガクガクしますが、彼なりにフィールドに立ってきました。しかしこの泥のフィールドでは何が起きるかわかりません。ひねり方によっては膝が砕けるかもしれない状況です。
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右端が桑山翔也です。
 前半から圧されていた試合は、後半になってなかなかボールが転がらず辛そうでした。後半の中盤よりいよいよ投入となった我が息子は一生懸命ボールをおいかけ、みんなに声をかけていました。前十字靱帯を2回目に切ったとき、彼は「もうサッカーはやめる」と言っていたのですが、
「パフォーマンスが悪くてもいい。試合に出られなくてもいい。部長として最後までサッカー部のいい雰囲気をつくり、いつも後ろから声をかける人間であればいいじゃないか。
 何より1回目に靱帯を切って入院したときに君は部長に選出されたんだ。そんなみんなの信頼に応えるということだけでも十分すばらしいサッカー人生だと思うよ。」
 ということで決心して、部長を続けみんなを引っぱってきました。自分にしてみれば常に膝のことが気になって、なかなか本来のパフォーマンスは出せなかったかもしれません。それでもあきらめずサッカーを続け部長を続けてきました。
 そして、3月11日がきたのです。
「一緒に病院に行くか?」
 と何気なく問うたのですが、無言の後に、
「行ってもいいか?」
 というので、共に被災地に入っていきました。タイヤ全部を津波の水に沈めながら彼と空港の方向へ進んでいきました。そこで彼は津波の翌日の破壊された地域を目にしました。そして既に遺体となったおばあちゃんを見つけました。見開いた目を閉じてあげた後、彼はそのおばあちゃんの元にやってきて手を合わせて泣きました。おぼれて亡くなったそのおばあちゃんの姿を彼は一生忘れないでしょう。
 そして彼はめきめき変わっていき、ついに、
「サッカー部として瓦礫撤去をしたい」
 と言い、40名近い部員を伴って早い段階で名取にやってきたのです。みんなで泥だらけになりながら春代ばあちゃんの家の泥だし、赤い消防車の清掃と磨き、大友さんの田んぼの瓦礫撤去・・・。
 その後も彼は南校等学校の中で「被災地支援」の窓口となり、バレー部、合気道部、新聞部を被災地に導いてきました。高校生として出来ることをやっていったんだと思います。
 
 被災地で泥だらけになっていた彼らは、今日、サッカーのフィールドで泥だらけになりました。そして2日目の試合で敗退を期しました。
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 雨の中、3年生みんなが泣いていました。息子も泣いていました。でも、時間が来ると未だ座り込んで泣いている同級生を一人一人促して移動させていきました。最後まで部長をしている姿でした。
 この試合で力は及ばずだったかもしれません。しかし彼らは被災地に直接入り、瓦礫の山に触れ、そして泥をよけた経験者です。試合への根性も座っていました。結果的に負けたとは言え、
「いいサッカー部人生だった」
 とつくづく思える3年生でした。
 被災地の隣県人として息子は辛かったようです。何かが出来るはずなのに、何をしていいかわからなかった。でも、心の中の壁を乗り越えて、サッカー部みんなで被災地の瓦礫撤去したことは絶対に忘れないと思います。サッカーでつながったもの同士として一生の付き合いであってくれればいいと思います。
 息子たちの高校総体はこうして終わりました。でも被災地支援はまだまだ続きます。そして、ガザ地区もエジプト国境が開いてきました。イスラエル経由でなくとも入れる可能性が出てきました。ついに日本から人が入ってサッカー大会が出来る可能性が出てきました。これまで9年にわたって続けてきたサッカーをあきらめず、これからもずっと続けて被災地の子どもたちやガザ地区の子どもたちとボールを共有してほしいと願っています。
 それぞれの人生が、泥だらけになりながらも続いていきます。
桑山紀彦

サッカー人生」への13件のフィードバック

  1. 高校生最後になるかもしれない試合!緊張するんです。私の最後の試合は全国大会の常連校だったので、1セット取って引退したいと思いました。(全国1のチームだったので) かなり良い試合で後輩たちが、知らない人に「君達の先輩は凄いね。と言われました。」ときき、ちょっと嬉しかった事を覚えています。さて引退してすぐに切り替えて受験に突入!ちょっと無理だと思うので、暖かく見守ってあげてね。

  2.  ブログを読んで 長男の中学最後の試合の日を思い出してしまいました。
     小学生のときはサッカー少年だったのに 中学に入ったらテニスをするといい 当然ながらなかなか試合にもなかなか出られない息子でした。
     しかし 部活以外でもテニスの練習に励み試合にも出られるようになりました。
     最後の試合の後 息子は号泣していました。負けたことで泣いていたのではなく 今までの色んな出来事がよみがえってきたのだと思い 私まで泣けてきました。
     たくさんの友に出会い たくさんの思い出ができたでしょう。 
     高校で病気をし 色々あって高校を辞めたときも中学時代の仲間が息子を支えてくれました。
     
     桑山さんの息子さんも多くの仲間がいてよかったです。
    これからまた大変なことがあっても 仲間が必ず支えてくれますよ。なんてったって桑山ジュニアですから そのオーラはしっかり受け継いでいますよ。

  3. 翔也君初めサッカー部員さんは得難い経験と教訓を得られましたね。
    無責任な言い方ですが、目の前で地球のステージを見たわけですから・・・
    彼らは絶対に心の広い豊かな人間になります。きっと、きっと。
    桑山さん自身が導いた自分の息子の成長が実感でるなんてうらやましいです。
    ガザ地区の記事見ましたが、オバマさんの入植地からの撤退コメントの実現~期待したいです。

  4. 先生がご家族との時間を過ごせていることに、ホッとしました。
    先生も翔也さんも無理なさらないで下さい。
    それから『クローズアップ東北』再放送はしないのでしょうか?ここ名取では観れませんでした…
    (家だけ?)

  5. 桑山さんの、息子を見つめる父親の温かい眼差しを 感じ 微笑ましく 思いました。桑山さんの息子さんも お父さんの背中をいつも見つめているのでしょうね。そして 真っ直ぐ育って行かれるのでしょうね。桑山さんの息子さんには、身近に素敵なお手本がいて、幸せですね。心が荒れてしまっている中学生に、桑山さんのステージを見せたい。「かっこいい大人って、こういう人の事なんだよ!」と、子供達に見せて、感じて欲しいなぁ。と思います。

  6. 土曜日の総会でのステージコンサート、お疲れ様でした!ありがとうございました!!
    海老名から家族5人で行き拝見するつもりでしたが、中2、3生の上二人は、反抗期真っ只中で、親との外出を嫌がり断念して、小1の子と三人の参加となりました。
    先生のご親戚ルート探しのお話も普段やってみたいと思いながら自分はできない事を実現されていてスゴイ!温かなご家族で、とても興味のある内容でした。
    海外での子供達とのこと、震災後の先生の行動、ひとつひとつが私と6才の子の心にしみこんでいきました。
    3月11日から毎日欠かさず見させていただいていますが、涙がこぼれない日はありません。ずっと言葉にしてコメントすることにふみきれずやっと今日、一歩前進です。
    先生の日々の行動や言葉に毎日感動したり感銘を受けたりする中で、あの震災の日から、自分の中にごまかせない何かが生まれました。
    そう、『見て見ぬふりはできない!』です。この言葉が一番私の心を動かしました。もともと幼い昔にはあったのにいつの間にかぼやけていた、実は葛藤して苦しんでいた私でした。もう揺らぐ事はありません。。
    全てに対して、先生の愛を持って行動されていること、それが、ご自分のお子さんとの何気ない普段のやり取りや様子までも、同じ延長線上にあることを知り、いま三人の子供の親としても、ひとりの人間としてもただただ涙して感動しています。
    高校進学や将来のことについてなかなか会話が噛み合わない長男…登校拒否の長女のこと…親失格のような気持ちに陥りながら、先生がいろんな所で苦しまれ素直に吐き出して伝えてくださることで、また私も悩むときはとことん悩んでもいいんだって、そんな風に励まされる日もあります。
    ちょうど思春期の二人と、何でもそのまま吸収している小1の子がいるわが家では、先生の体験されてきた、今されていること、そしてこれからのことも通して、自分達にできること、生き方の道を少しずつ模索している途中です。とにかく、今はとくに親も子も、直接聞いて、見て、経験することが重要だと痛感しています。
    来月にまた海老名へ来ていただけると聞いて、ただの偶然ではないと思いました。私たち家族にお手伝いできることがありましたらぜひやらせてください!家族一丸となるためにも、ぜひお力になれたらと主人と千葉の帰りに話していた所です!
    2ヵ月分の長~いコメントとなりすみません。
    いつも心を寄せて応援しています!

  7.  台風接近と云われていましたが、四国付近に近づいたころ、温帯低気圧に変わりました。しかしながら、各地に大雨も降ったようです。月曜日になっても台風の残り香か、和歌山県でも強風が吹いています。自然にはかないませんが、これ以上自然の猛威が吹き荒れないよう願うのみです。
     被災地の雨はどうでしょう。
     どうか、これ以上被害がでないよう、自然の平穏を願っています。
     雨の中、サッカー大会、御苦労さまです。
        和歌山 中尾

  8. わが息子も雨の中、どろどろになりながら 走っていたなあ~と 昔を思い出しました。
    桑山さん 普通のお父さん出来て良かったですね!
    chikaさん 子育て大変ですね。
    若い時の 引きこもり経験者として 一言。
    お父さん お母さん 苦しいでしょうが、一番苦しいのは 娘さん本人。
    誰も悪くない。ただ 感受性が 強すぎるのかも・・・
    優しく見守ってあげてほしいです。
    ゆっくり雪が溶けて 必ず春が来ますよ。
    地球のステージを好きな貴方のお子さんですもの・・・
    余計なこと書いて ごめんなさい。
    東北にも これ以上自然災害がおこりませんように 祈ります。

  9. とても素敵なお話でした。息子さんが息子さんなりに考え行動された姿に頭が下がります。私よりも年齢の下の人がそのような行動されることを見るとやはり年齢は関係ないと思います。どんな人にも敬意を持って接していかないといけないと思います。気持ちが明るくなるお話が聞け心があたたかくなりました。ありがとうございました。

  10. 翔也君、サッカー部部長、お疲れ様でした。
    皆からの信頼の中、キャプテンシーを発揮してきたんですね。
    これからもどこかでサッカーを続けられるといいですね。
    桑山さんも翔也君の試合を見ることが出来て良かったですね。
    頼もしく成長していく息子の姿を見られる父親は幸せ者だと思います。
    素敵な親子に乾杯!

  11. 素晴らしいお話し、ありがとうございます。親子というより人間対人間の繋がりを感じました。
    ヨルダンの詩人カリール・ジブランの『予言者』の「子どもの章」そのものです。
    あなたの子どもは、あなたの子どもではない。
    彼らは、人生そのものの息子であり、娘である。
    彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。
    彼らはあなたとともにいるが、あなたに屈しない。
    あなたは、彼らに愛情を与えていいが、あなたの考えを与えてはいけない。
    何となれば、彼らは彼ら自身の考えを持っているからだ。
    あなたは、彼らのからだを家に入れてもいいが、
    彼らの心をあなたの家に入れてはいけない。
    何故なら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない
    夢の中で訪ねてみることもできない、あしたの家に住んでいるからだ。
    あなたは彼らのようになろうとしてもいいが、
    彼らをあなたのようにしてはいけない。
    何故なら、人生はあともどりもしなければ
    昨日とともにためらいもしないからだ
    親は弓である。
    射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼる かれの矢が速く遠くに飛んでいくように。
    射手が遠くに飛んでいった矢を愛しているのなら、
    それを飛ばした弓を愛さないことがあろうか。
    荒れている中学生に心が痛みます。
    普通の環境であっても自分の心を持て余している年頃です。尋常でない地震津波に影響を受けているのでしょう。
    私はあの世界大戦中、チェコのテレジン収容所で子どもたちが描いた絵はおとなたちが命をかけてこどもたちを人間らしく生きるために力を出したから描けたと知って、去年「テレジンの小さな画家たち詩人たち展」を北九州で開きました。
    今年も開くよう準備を進めていますが、日本にテレジンの子どもたちの絵や詩を伝えた野村路子さんは絵を描く材料を贈りましょうと呼びかけられました。
    桑山さんの呼びかけられたように、スポーツ、そして絵を描く、歌う、声を出す、それらがおとなとの関わりの中でなされることで、子どもたちは自分は大事な人間なのだと自分を愛することで何かを取り戻すかもしれません。
    カンパすることしか出来ませんが(ご挨拶状を頂きました。まだまだ大変なときにと恐縮しています)忘れないこと、祈ることを続けたいと思います。
    日々のブログ、ほんとうにありがとうございます。

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