リサと再会

4年ぶりでインドネシア、ジャワ島のジョグジャカルタの地を踏みました。

 2006年、ジャワ島中部大震災の救援のため、僕は現地に入り心のケア「心理社会的ケア」を行っていました。結局2年目にも入り、2007年にはテロン第一小学校の6年生たちと創作曲「Ayo Bankit!(さあ、立ち上がれ!)」を完成させ、現地で打楽器の伴奏と共に音楽会を行って活動を終えてきました。
 あれから4年が過ぎ子どもたちは大きくなりました。
 僕たちがやっていた心のケアが今、ジャワ島の子どもたちにどんな効果として残っているのかそれを実際の言葉で確認したくてこの時期に、この地に降り立ちました。
 5年前、僕はリサという小学校5年生に出逢いました。
 リサは本当に物静かで目立たない生徒でした。だから目立つ子に圧倒されて、影の薄い感じが気がかりでした。しかし1年目の発表の日、大切な詩を詠むという役割を演じたリサは、それからめきめき変わっていきました。当時は音楽会だけでなく、演劇のプログラムも行っていたのですがそこでも主役級を張るくらい活発に変わっていったのです。そして2年目の創作曲つくりのときは、グループリーダーになってみんなを引っぱっていきました。そんなリサでしたが、以来なかなか連絡とれず、僕もジャワ島に戻れずの状態でした。ところが2年前、今はなくなった「ポストマン」という番組で陣内智則さんが、僕の代わりに「Ayo Bankit!」のCDとDVDを届けてくれたのです。
 その時リサは、「心のケアがとても良かった」とコメントしてくれていました。
 そんなリサに会いにこのジャワ島に降り立ったのです。
 リサはもう16歳、高校1年生になっています。バンツール市のイスラム系の高校に入学し、毎日一生懸命勉強をしています。
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 そのリサのクラスを対象に、まずは今回の津波のことを話しました。最初はピンと来ていないのか、生徒たちはざわついていました。しかし途中から真剣に聞き始めました。授業の一環として開催できたこの報告会ですが、最後の質問の時にダーリーというリサのクラスメイトが聞いてきました。
「原発のことはどうなっているのでしょうか。とても心配です。」
 彼女たちなりに、ちゃんと日本のニュースについてきています。遠く離れた北半球の(ジャワ島は南半球です)出来事にも、ちゃんと興味を持っていました。
 さて、昼からリサの家を尋ねました。
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リサの家で津波について話しました。
 いつものように元気なお母さんに出迎えられました。着替えてきたリサはやっぱり16歳らしく、ずいぶん大人っぽくなっていました。みんなの前では元々のシャイな性格が出るのかあまり発言していませんでしたが、家に帰ると、リラックスしたのかいろんなことを話してくれました。
「一緒にやった音楽会、心のケアは本当に良かったな。やっぱりみんなで表現できて心が軽くなったし、何より元気をもらえました。それでも、今も辛い夢を見ることがあります。もちろん小さな地震でも地面が揺れると、家の外に飛び出してしまいます。
 でも、気持ちが前向きになっているのは、ちゃんと心のケアをしてもらったからだと思うよ。だからいつも感謝しています。」
 壁にはちゃんと僕たちが一緒にやった音楽会の写真が今も飾られていました。
「将来はどう考えているの?」
「もちろん、必ず医者になります。」
「どうして?」
「いろんな人の役に立ちたいから。そしてちゃんと勉強して世界中のいろんなところで活動したいと思っています。それはケイ先生のようになりたいからだよ。」
 嬉しいことをいってくれるなあ、リサ。
 すると、お母さんが言いました。
「実はね、リサは中学校の首席で卒業。今もね高校で常に成績が一番なんです」
「いやだ、お母さんいわないでよ~」
 びっくりです。成績が良いとは聞いていたけど、常にトップとは。
「でもね、リサが医学部に行きたいというのはわかっているけど、さすがに国立だって医学部はお金がかかるからね。どうしようかと思っているんです。」
 お母さんがため息をつきました。
「年間でどれくらいかかるものなんだろうか・・・。」
 そう僕の友人で通訳のハーディさんに聞くとウインクして、
「調べておくよ」
 さすが、ハーディさん、こっちの気持ちがわかっています。
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リサ、16歳
「昨日リサは一生懸命、ケイ先生が来たら渡すんだって、詩を書いていたんです」
「なに!」
「でも、勉強忙しくて気付いたら寝てしまって・・・。明日には渡すって、今晩がんばるみたいです。」
「いやだお母さん、そんなことまで~」
 とリサ。明日が楽しみです。
 帰りにテロン第一小学校の校長先生に会いに行きました。
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「いや~よく来てくれたね。あのときは本当にありがとう、おかげで子どもたちはちゃんと心の傷について吐き出し、形にしていった。そのおかげで子どもたちは地震前よりも一層強くなれたと思っています。そして表現力も以前より増して豊かになったと。だから子どもたちは地震から学んで、成長してくれたと、今は思っています。」
 やはり、災害のあとの心のケアはきっちりやる必要があると確信しました。
 明日のリサの詩が、とても楽しみです。
桑山紀彦

リサと再会」への10件のフィードバック

  1. リサと一緒に写っている桑山さんの笑顔がいいですね。
    再会が叶って良かったですね。ステージで紹介されたその後の物語が続くのがうれしいです。
    心のケアも上手く行ったようですね。名取でも自信を持って取り組んでくださいね。
    リサの詩、楽しみにしています。

  2. リサさんが努力したから今のリサさんがいるんだと思いますが、桑山さんがリサさんに何か影響を与えたのは確実でしょうね。
    他の人に長期にわたって何かを残せるってすごい力だと思います(>_<)
    そんなリサさんが桑山さんにくれる詩、楽しみですね(^0^)/
    ここから私事ですいませんが、4月17日の講演には見に行けませんでしたが、5月28日には参加するのでよろしくお願いしますo(^-^)oお会いできるのを楽しみにしてます!!

  3. 『ポストマン』を思い出しながら読みました。
    心の傷と向き合い、どうケアするかがとても重要で、その過程が適切だったからこそ志の高い今のリサさんに成長されているのですね。
    昨日午後の4時間番組、ANN報道特番『つながろう!ニッポン』の中で4時半くらいに桑山さんや太さんが映っていましたね。テレビ局も心のケアについて丁寧に伝えてくれていたと思います。
    3月10日に向かって、さらに確かな足取りで進めますね。熱く応援しています!!

  4. ポストマンの時、大きくなった子供達が、歌詞もメロディも覚えていた事に驚いたのを思い出します。いかに大切な時間だったが伺えるなぁと思ってました。今回はナマリサ、ナマ子供達に会えて感無量!かな?
    今回の話を聞けるの楽しみにしています。閖上の子供達にも良い心のケアーになりますね。

  5. ポストマンを録画したDVDが見つかりました
    「アヨ・バンキット」(さぁ!立ち上がれ!)
    あの日 5月27日のこと
    大きな地震が僕たちを襲った
    地震はとても激しくて
    ジョグジャカルタの街を破壊したよ
    さぁ みんな
    立ち上がろう
    新しい元気を持って
    さぁ みんな
    立ち上がろう
    そして新たな希望を迎えよう
    夢を取り戻そうよ
    最後に将来の夢は?と聞いた陣内さんに
    「お医者さんになりたいです」と
    答えたリサさん
    今でも同じなんですね
    リサさんの詩が楽しみです

  6. 効果の確認が得られて本当に良かったですね。
    しかし、この時期にPlan~Do~See~Actionを実践出来た
    ことはさすがと言うか驚きです。

  7. 行ってよかったですね!
    素敵なリサさんに会えて・・・
    本当に怖かったのでしょうね。
    でも しっかりと前を向いて歩いている。
    こころのケア それも適切なケアが必要なことが より実証されましたね。
    名取でも こころのケア よろしくお願いします。

  8. リサさんに会えて、本当によかったですね。とても素敵な笑顔でした。
    心のケアって、私にはよくわからないけど、桑山さんが誠心誠意されていること、それだけで十分だと思います。結果は見えにくいものかもしれませんが、それだけで。

  9. 世界のあちこちに逢いたい人がいて、日本のあちこちに支えてくれる人がいて……桑山さん、いいなぁ!
    何年か後、リサが東北国際クリニックで内科医として働いていたら、もっといいなぁ!!そしたら、遠い島根から人間ドック受けにいくけどなぁ。
    12月の益田公演ではリサの詩に桑山さんがつけた曲を聴けるよね?

  10. GWも中日(なかび)である。テレビを付けると国会中継をやっている。GWに国会を開催するのは35年ぶりだそうである。国難ともいえるこの大災害、国会を開催するのも当然といえる。連休とはいえ地元に帰り支持者回りなどしていれば、国民の非難の声は高まるばかり。国会議員の先生方には被災者のため、汗水流してほしいものである。
     福島原発事故も大変である。報道によると、東電の女性が、国で定める年間被爆量を超える数値の被爆をしたたそうである。
     国の基準が年間5ミリシーベルト。これを超える7.5ミリシーベルトの被爆になったそうである。とりあえずは体に異状が出ない数値だそうですが、女性ながら原発事故と戦っている。偉いなあ。ただ感心するばかりである。
     なにもできない私でも、なにかできることはないかと、悪い頭であれこれ考えてみる。そこで思いついたのが我が家の節電である。
     1階から2階と部屋のあちこちを見て回る。電気を切ったりコンセントを抜いてみたが、エアコンも、今は暑くも寒くもないので切ることにした。脚立に乗り天井近くのコンセントを抜く。これで完璧と悦に入ったときである。
     「キャーーーア」と階下で悲鳴があがった。何ごとかと1階へ降りてみると、家人が飛んで私のところへやってきた。目は釣りあがっている。鬼の形相とはこのことか。
     「あんた、いったいなにしたの」
     「なにしったって、家を節電して、すこしでも電力不足に協力しようと思っただけだけど」
     「トイレの便座も切ったでしょう」
     「そうだ。蓮芳大臣がトイレの便座も切れってテレビでいってたし」
     「都市圏のはなしでしょ。我が家は和歌山の田舎です。しかも、家の中はあんたと私の二人。便座切ったらトイレできないでしょ。バカ」
     しごくお冠りである。
     状況を考えずになにもかもやってしまう。
     おれって、バカだよなあ・・・・。
     和歌山 なかお

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