バイロピテ病院、閉鎖

4月2日(月)、東ティモールのバイロピテ診療所は19年の歴史に幕を下ろしました。

余りにあっけない、突然の幕切れでした。

前兆は昨年夏。オーストラリアの理事たちがダンに引退を求め、それをダンが蹴ったことからことが明るみに出ました。ひやひやしながらその成り行きを見守っていましたが、病院のスタッフは何事もなかった様に月曜日病院に勤務し、オーストラリアの理事たちは敗北したかに見えていました。

しかし彼らは12月までの支援を約束通り打ち切り、1月からディリ保健所のすぐ横に彼らのクリニックを建設。そこで無料診療を開始。真っ向からダンと対立してきました。スタッフは1月から全く給与が払われなくても、「きっとダンがなんとかする」と信じバイロピテ病院に勤めてきたのですがさすがに3月も支払いがないとなるともう生活がかかっています。

一人、また一人とバイロピテを去るスタッフが増えてきました。

そしてついに4月2日、バイロピテ病院は全ての患者さんを国立病院に移送し、その働きを終えました。ダンがこれからどうするのか、週末に行って確認してきたいと思います。

東ティモールは激動の中にあります。

2002年の独立から16年。色んなことが変わってきました。そして確実に緊急医療支援は終わりを告げ、ダンの役割は終了していったのだろうと想像します。いつまでも外国人の医師が無料診療を引くべきではないという意見はずっとありました。しかしダンは「まだその時ではない」と姿勢を変えませんでした。

今まさにその変革の時が来たのかも知れません。

ダンはこの苦境について全く「地球のステージ」に支援を求めてきませんでした。もちろんその支援が「難しい」ということを知っていたのかも知れませんが、それでもまだまだ自分の役割は終わっていないと思っていたら、どんなことでも頼ってみようとするはずです。しかし、今回は覚悟を決めたように自ら病院を閉じていった様子がうかがえます。

ダンも気づいていたのかも知れません。

この点はダンの盟友アイダに聞いてみたいと思います。

しかし確実なことは、この19年間ダンの存在はとても重要で、確実にこの国の医療に貢献し、その発展に寄与してきた最大の人物だという事です。2007年の国民表彰もそれを端的に表していると思います。しかし時代は次のフェーズに移ってきているかもしれないという事をダンも認めているのかも知れません。

ダンのような超エキスパートが前面に立って支援する「緊急」のフェーズが終わりを告げたということ。それをしっかりと確認してこようと思います。

それでも東ティモールは間違った方向に行こうとしているのかも知れません。

過剰な労働争議が起きており、ひ弱な経営陣は権利だけを闇雲に主張する労働者によって、共倒れしつつあるのに、労働者側はそれに気づいていない場面も多々見かけます。ほんとうにこれを「自立」と呼び、ただ賞賛するだけでいいのか、疑問が残ります。私たち外国のNGOはそんな「外からの視点」で東ティモールの人々と情報を共有し、お互い忌憚ない意見で高め合いたいと思っていますが、一方で、「東ティモールは東ティモール人の国。外国人はいらない」的な発想になりつつある危険も感じます。

私たちもこの激動する状況の中、何が本当に必要なのかを見極めながら事業を進めていきたいと思います。

まだまだ正念場が続きます。4月6日(金)の深夜に東ティモールへ飛びます。

桑山紀彦

 

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