震災いじめ

今日のステージでは閖上出身の高校3年生と共に公演という形でした。

若い人が語り部になることはとても大切で、あの津波の日、小学生だった自分の経験を語っていくことは、同世代の子どもたちに「命のこと」を伝えていく大切な可能性になると思います。だから、若い人々の語り部は、積極的に捉え応援していきたいと思います。

しかし一方で未熟なところも露呈します。それはまず「伝え方」。想いは強いけれど、それが故に自分が見えなくなりがち。独りよがりな話しの内容やスライド、映像の使い方もわかりにくくなりがちです。そんなところは経験のある大人の語り部の人たちが遠慮しないでちゃんと伝え、「批評こそ重要」と思って、多少へこむことがあっても早いうちにそういった「指導」を受け入れていくことも重要だと思いました。わかりやすくすること、気持ちが入って行きやすい内容にすることは「語り部」の方の責務だと思うからです。

今日のその若い高校生の語り部は「震災いじめを受けた」と主張し、それが話しの核心でした。でも聞いていて非常に違和感を感じました。その人は16日間の避難所生活の後、ずいぶん早いうちに山の方に住居を再建し、その地区の学校に移ったといいます。だから閖上中学校ではなく、地元の中学校に入ったのです。そこで中学校3年間、そして高校に入ってからも「閖上の被災者だから」という事でいじめを受け続けたと語りました。

しかし、転校すれば何らかの「試し行為」「はじき行為」が出るのは良くあることで、「転校生いじめ」はとてもよく見られる現象です。でもその人はそれを「閖上から来たから」という理由に帰結していました。そこに違和感を感じたのです。

取材に来ていたNHKワールドの記者さんにも聞きました。

「相手側、つまりいじめていた相手の意見は聞いたのか。」

と。すると記者さん曰く「全く聞いてはいない」という。でもその記者さんはいいました。

「本人が”閖上の被災者だからいじめられた”と主張していればそれでいいのです。」

と。ここに報道の危うさがあるのではないでしょうか。

「震災いじめ」という言葉は今では一人歩きしているように思います。いじめの案件はどんなときでも相手方の主張を聞いてからでなければ絶対に正しい判断を見失うことがほとんどです。もちろんこれはいじめを肯定しているわけではありません。いじめは絶対いけないけれど、子どもたちのやることには必ず”意味”と”理由”があり、いじめている側の主張も聞いた上で物事を判断していかないと絶対に正しい判断を失う可能性があります。

その若い高校生は確かに「閖上の被災者だからいじめられた」とみんなの前で主張しましたが、それは場合によっては違うかも知れません。彼女の性格なり行動なりを攻撃するために行われた「いじめ」だったかも知れないけれど、たまたま彼女が閖上出身で被災しているから、それが「ネタ」になったのかも知れません。

「閖上の被災者だからいじめられた」という流れと、「別件でいじめがあり、その人がたまたま閖上出身だったからそれがいじめの「刃」となった」という流れ。

どちらにしてもいじめは許されませんがマスコミが訴えたいのは圧倒的に前者のはずです。しかし、その「流れ」(=震災いじめが起きているという番組主旨)にはめ込みたくて、取材を重ねているような印象が強く心配になりました。

ちゃんといじめた方の主張も聞いた上で番組を作っていかないと、その若い高校生のためにもならないのではないか、と。

「私は震災いじめを受けたけれど、今は頑張って語り部をやっています」

という主張が繰り返されたけれど、とても違和感がありました。

「私は高校生の語り部です」

だけでも十分素晴らしく、十分価値があるのに、なせ「震災いじめを受けていた」という冠が必要なのか。それをマスコミがあおっていないか、ということがとても心配になりました。

 

いじめを受けて学校に行けなくなっている子どもたちをたくさん診ている今、自分には思うことがあります。それは、いじめている相手の主張は何なのか、それをまず聞くことも必要だという事。それは決して「いじめられる方にも原因があるんだよ」という暴力的なことをいいたいのではありません。でも子どもたちはとても素直に生きていると思うので、何らかの理由があって「いじめ」に走ります。その「理由」というものも明らかにしないと、心療内科医としても失格だといつも思います。

本当に「閖上の被災者だからいじめた」といじめた側が主張するならば、それは言語道断。番組にして社会に問うべき事だと思う。しかしそんな向こう側の言い分の検証をしないままに番組化しようとしているNHKワールドの記者さんがとても危ないと思いました。

そして何よりその若い高校生が「震災いじめを受けた自分をカミングアウトすることで自分の存在理由を明確にしようとしていること」は、できれば避けるべきなのではないかと思っています。

だって高校生が語り部をやっているだけで、十分意味のあることだと思うからです。

講演中には実際の「3年間いじめを受けた中学校」の名前も出てきていました。僕たちにとっても身近な中学校です。もしもその卒業生がこの場にいたらその人たちはどう思うだろう。でもその人たちには主張する場所はないのです。

とても悶悶とする若者の主張を聞いた1日でした。

桑山紀彦

震災いじめ」への1件のフィードバック

  1. 物事の両面性を心得るべき精神よりも、大向こう受けを狙ういやらしい狙いが
    透けて見えて嫌な感じですね。
    NHKの報道倫理基準ってどんなもんなんでしょう?

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *