今日の15時に羽田空港に戻ってきました。
寒かったです。台風の雨ですね。
昨日の朝、イスラエルのベングリオン空港を出るとき、また大変でした。
なぜがこの空港では出国していこうとする人たちにも厳しい質問があります。イスラエルの空港を飛び立った飛行機が空中で爆破でもされたら、プライドに関わるということなのでしょうか…。そんな質問の際に虚偽のことをしゃべるのはよくないので、まともに「ガザや西岸に入っているよ」というともう係官の顔色が変わり、重犯罪者扱いです。
日本人である我々にもこんなに過剰の反応をするのであれば、当のパレスチナのみんなにはもっとひどい風当たりを仕向けることが容易に想像できます。そこまでしてパレスチナの人々を封じ込めないと、国の安定は望めないと思っているのでしょう。哀しいことです。
この黄色の縦太のシールが貼られるともう大変。セキュリティが超上がります。今回は初めてハンドのキャリーを布でなぜてその成分を検知する機械がなぜか「赤」に代わり大騒ぎ。
はて、どこかで爆発物でも作ったのでしょうか。全然記憶がないですが係官たちは必死に国防をしなければならないので、この日本人を最高レベルで疑い始めます。
そして、
「このキャリーは持ち込めない。別送するがいいか。」
と聞いてくるので、どうぞどうぞというと、
「いや、このキャリーそのものだけでいいんだ。」
と妙なことを言ってきます。そこで中のものを全部だし、それをセキュリティ部門特製の黒い布製カバンに詰め、僕のキャリーはそのまま何回も何回もX線機械にかけられていました。哀れな骨組みだけが写るそのキャリーは、係官が必死にその角の部分やタイヤの部分に何か仕込まれていないかを探していきます(あるわけありませんが)。
ふとみれば、この特製布バックには「Bon Voyage(よい旅を!)」と書かれていました。
係官たち、彼ら彼女らも好きでやっているわけではないのでしょう。しかし、そのキャリーの通ってきた道を全て知っている僕にしてみればガザのホテルの前で転がしたときに、タイヤへ爆発物のかけらでもくっついたのかも知れません。それは確かに「ガザにいた」と言うことの証明なのでしょう。
ここまで隣人としての「パレスチナ人」を嫌悪し、排除するイスラエル人。哀しいことです。
そしてそれはどこでも同じようなことが起きるものだと思います。ミサイルを撃ち続ける隣国に対する嫌悪感も相当強くなっている私たち日本人ですが、それもまた傍で見れば、
「隣人同士のいがみ合い」
なのでしょう…。
2時間ほどかかってようやくセキュリティを抜けました。
もう何回も経験していることなので、怒りもわかずひたすらこんなことに無駄な時間をかけなければいけない係官がかわいそうに思えました。
そして羽田空港に着くと、ANAのGSさんが済まなさそうに、
「すみません、キャリーは結局飛行機には乗せられなかったようです。しかももう一つの最初から預けた荷物はなぜかイタリアに行ってしまいました。申し訳ありません…。」
いえいえ全然かまわないんですが、なぜもう一つはイタリアに行ったのか…。当局の思惑でもあるのか…。
決して平和ではない世界のいがみ合い。それをこうして体験しながら、事業はそれでも続いていきます。
桑山紀彦
お帰りなさい❣️海外支援、お疲れ様でした。新聞では伝わってこない世界情勢をおしえてくださり感謝です。確かにミサイルと国会の話題が大きく ブログを読まなければわからないことでした。モハマッド君が卒業できるよう夢が叶うよう祈り実行しますね❣️