港屋のおばちゃんに再会!

昨日は山口県光市のステージでした。
 そして今日は広島平和公園のステージ。
 山口県と広島県が連続して公演できるとした場合、僕が考えることは何か・・・。
 それは愛媛県の佐多岬で民宿港屋を営んできた、おばちゃんに会いに行こう!と思うわけです。だって、山口県から見れば瀬戸内海のすぐ先にあるんだから。
 しかし現実は甘くないのです。山口県から松山に出ていたはずのフェリーや船は、週末高速1000円のあおりを受けて、土曜日は休航。迷った末に350キロの道のりを走って尾道~しまなみ海道を抜け、今治、松山を抜けておばちゃんの住む八幡浜に走ることになったのです。ステージ終了が20:30。撤収と「光まちづくりNPO」の皆さん(主催者)との交流を経て光市を出発したのが21:30。さて、この横V字の決死行はどうなるのでしょうか。
 漆黒の瀬戸内海の島々を抜けて、走り続けること3時間半。ついに八幡浜に入ったのです。
 そして翌朝、おばちゃんの住む「ことぶき荘」へ出かけました。
「あら~、せんせい(僕のことをおばちゃんは時にそう呼びます)、良く来たわね~。明ちゃんも一緒に!」
 全然変わってません。いや一時期よりも元気になったと思うくらいです。
 今おばちゃんは八幡浜の有料老人ホームに暮らしているのですが、建物も立派だし、部屋もきれいで使い勝手が良く、嬉しくなりました。
「おばちゃん、寂しくないのよ。全国からいろんな人がおばちゃんに連絡をくれているの。一番多く電話くれるのはつくばの飯野さんと仙台の遊佐さんだわね。それから同じ仙台の五十嵐さん、千葉の愛子さん、そして島津さんもいっぱい連絡くれるのよ。
 本当に嬉しくてね。おばちゃん、ここに住んでいても、全国のいろんな人とつながっているの。」
 部屋には桑山との写真、全国のステージの様子が映っているDVDの山。そして手紙の数々が大切にしまわれていました。
 二人の娘さんはそれぞれ松山とこの近くの町に暮らしていて、良く孫も遊びに来るようです。
 まるで、パレスチナ人のように精一杯のおもてなしの心で、「これ食べてね」「あれ食べてね」と一杯の食べ物が出てくるおばちゃんの部屋はまるで魔法の戸棚ばかりです。こうやって、おばちゃんは民宿港屋を営んでいたんです。そこへ18歳の、右も左も分からない桑山は自転車でたどり着いたのでした。
おばちゃん1987
自転車日本一周の始まり。四国一周。おばちゃん41才。
 初めての大きな旅。不安で一杯の四国一周の最高の想い出。それが民宿港屋のおばちゃんとの出逢いでした。
「旅の中で、どんなに辛いことがあっても、自分は港屋へ戻ればいいんだ」と思っていれば、全然それからの旅が怖くなくなりました。そんな人選の恩人のおばちゃんは、今70才だけど、とっても元気です。
 ステージの2番と4番でしっかりと登場する港屋のおばちゃんとの再会でした。
おばちゃん2010
久しぶりの再会、おばちゃん70才
(写真はあとでアップします)
桑山紀彦

港屋のおばちゃんに再会!」への1件のフィードバック

  1. 久しぶりに元気な「港屋のおばちゃん」にお目にかかることができたんですね。よかった~
    写真が楽しみです! 待ってますね。

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