二日目、男の子たちと海を見に行きました。
右端がモハマッドです
もちろんモハマッドも一緒です。昨年は「空爆されている街に、いったい何の希望があるのか。希望の象徴である“色”を僕は塗らない」とモノクロの絵を描いたモハマッド。
今年は「希望と夢」のテーマに、日本へ飛び立つ2機の飛行機と日本からのガザ支援船を描いたモハマッドです。彼も14歳の少年として海に行くことを楽しみにしていたと思います。
でも、今日モハマッドは、
「水着を忘れたから海には入れない」
といいます。以前うちのスタッフが言いました。
「水着の買えない子も多いんだよ。そんな時は必ず“忘れた”って言うけど、本当の理由は違うから気を遣ってあげてね」
モハマッドの家も経済的には大変です。
でも、次々と海に入るみんなを見ていて、やはり我慢できなくなったモハマッドは、普段着のまま海に入ってきました。
気づくといつも僕の横にいるモハマッドなので、波打ち際で話をしました。
「モハマッド、将来は何になりたいの?」
「ジャーナリストだよ」
「どうして?」
「ガザで起きていることを世界に伝えたいんだ。そして世界で起きていることをガザに伝えたいんだよ」
「そうか。モハマッドらしいね」
「うん」
「今一番願うことはなに?」
「あなたの国へ行ってみたい、ってことかな」
「どうして?」
「だってあなたは、日本からここへ来てくれているでしょ。それはだったらそのお返しに、僕があなたの国へ行って、出来る限りのことをしたいと思うからだよ」
「だから日本に行きたいの?」
「そうだよ。あなたは遠い日本からここへ来てくれている。だから僕はその代わりに海を越えて日本へ行く。それが一番の願いさ」
モハマッドはいつも恩返しを考えてくれています。
そんなモハマッドの家を訪ねました。
モハマッドと家。隣は同じワークショップで絵を描いてくれた妹のアッラーです。
なんと彼の家は私たちが支援しているエル・アマル学校のすぐ隣の家の少年だったのです。実に、隣の家まで破壊されており、モハマッドの家の直前で破壊が止まっていました。
「僕の家の周りは、ずっとずっと破壊されっぱなしだった。でもうちは残ったんだよ」
「怖くなかった?」
「ずっと震えていたよ。でもさすがに去年のガザ戦争の時はもういられなかった。だってすぐそこにどんどん爆撃がやってくるんだもの」
「どうしてたの?」
「親戚のところへ避難してた」
「戻ってきたら?」
「窓もガラスも枠もみんな吹き飛んでいた。でも家そのものは残っていたんだ」
「幸運だったね」
「うん。だからこうして生きているんだ」
たった14歳なのに、いつも命が危険にさらされてきていました。
お父さんが出てきてくれました。以前の政府の役人で警察官をしていたのですが、現政権に疎まれて今は閑職です。ほとんどすることなくひがな家にいる状態が続いています。そんなお父さんにモハマッドのことを聞いてみました。
「活発で、成績もいい自慢の息子だ。6人兄弟の長男として良くやってくれている。まあたまには行き過ぎもあって、ワシも怒るがな。しかし、世界のことを考えようとする誇らしい息子なんだ」
でも現状では、そんなモハマッドのいったいいくつの夢が叶うのでしょうか。
イスラエル軍に占領されて移動の自由はありません。
経済的にも大変で困窮しています。
同じパレスチナ人なのにハマスが嫌がらせをしてきて、日々びくびくしています。
どうかモハマッドが夢をあきらめてしまう前に状況が良くなってほしいと願うばかりです。
モハマッドに聞きました。
「君の願いを支えているものは何?」
「それは、こうやって日本人がここに来てくれて、僕たちと同じ時間を過ごしている。僕たちはちゃんと世界とつながっているという思いだよ」
モハマッドが外に出られないのであればせめて、私たちが中に通い続けること。それがまずは出来る最大限の協力だと思います。
桑山紀彦
「翼をください」のメロディーが聞こえています。自由…大切な宝。宝と感じるほど難しいことなのですね。世界に真の自由が普通に拡がりますように。桑山さん、体に気をつけて。 山しん。