海を見に行った少女たち

タハニに逢いに行きました。
たはに2010
今日のタハニ
 2004年の7月、それまでの戦闘が嘘のように静まり、みんなで「奇跡の夏休み」と後に呼ぶことになったあの夏、僕たちはガザの海に行きました。ガザ域内での移動が極度に制限されていたあの時期、もう4年も海が見られないでいたことをひっくり返そうと、少女たちと海に行く計画を立てました。
 あの日は嘘のように軍隊もおらず、僕たちは念願の海にたどり着いたのです。
 そして、当時13歳だったタハニは海を見つめて、
 「海はあなたの国に行けるくらい自由だ」
 と語った、そのタハニは今では19歳になり、もうお母さんです。
 昨年8月にも逢いに行きましたが、1月の空爆の中、被害がひどい地域に住んでいるタハニは身ごもりながらも避難生活して、6月に出産していました。
 今年はさすがに子どもも1歳になり、余裕が出てきたタハニはいつもの美しい笑顔で僕と明ちゃんを出迎えてくれました。
 日本人がまたやってきたということで、どんどん親戚縁者、隣近所が集まる中でタハニに、
「明日ね、また女の子たちと海に行くんだよ」
「へ~、いいなあ」
「でも、あの2004年の7月、みんなで海に行けたことが忘れられないね」
「もちろんだよ。あの日は、私にとって最高の1日だったもの」
 タハニがそういってくれました。
 海の向こうに自由を感じながらも、続く占領に自由はなく、空爆におびえて暮らしてきたタハニたちです。でも、一緒に海を見に行ったあの日が人生の中でも最高の1日だったなんて・・・。
 日本では、どこへでも行けて、海を見ることもただ普通に出来るのに、たった20kmしか離れていない海に行くのにも必死だった、あの日。タハニはずっと心に刻んでくれていました。
 そして今日、また少女たちと海に行きました。
 カウンターパートナーのダルウィーッシュ率いるエル・アマル教育福祉財団のユース・クラブの少女たち、総勢21人です。
桑山海に
桑山も普段着で海の中です
 みんなとっても元気。今では海を見に行く途中の路に敵対する軍隊はいないので、自由に海に行けます。でも、その海を越えて他の国には決していけません。占領されているのですから。
 そして、その海を越えてガザを支援しようとやってきたトルコの船は攻撃を受け7人が亡くなり海は血に染まったのです。
 少女たちは、僕たちの計画したこのワークショップに心から参加してくれました。
 
 子どもたちを率いるアクティベーターのマフムードさんが少女たちを誘い砂浜に、貝殻を使って大きなモスクをみんなで造りました。
「これはね、エルサレムの岩のドームだよ」
 いつも活発にしゃべるリーダー格のアッラーが教えてくれました。
「ここにはね、みんなの願いを創ったんだ。この海の風に乗ってね、空を飛びエルサレムに行くんだよ。それが、私たちの強い願いなんだ!」
 10歳~13歳の少女たちがそんなことを真剣に願うのです。そして、それは当面叶えられない願いなのです。
 次にみんなで大きな手を創りました。マフムードさんが言いました。
大きな手
大きなみんなの手
「これはみんなの手だよ。一つ一つの手が集まって大きな手になる。それが”協力”ということだ。みんなで協力していろんな困難を切り抜けていこうな!」
 「はーい!」
 大きな声が青い海と空に届いていきました。
 この素直でまっすぐな、優しい少女たちにどうか移動の自由を下さい。彼女たちはどんな邪悪な気持ちも持っていません。誰かを傷つけようなんて全く思ってもいない少女たちです。
 どうか占領を解いて、行きたいところへいける自由を下さい。
 最後にマフムードさんが言いました。
 「日本から、いつもいつも来てくれてありがとう。日本人がそこにいるということそのものが、子どもたちにとって大切な刺激であり希望でもあります。これからもずっと私たちのことを忘れないで、通ってきてほしい。そしていつか日本から子どもたちがこのパレスチナに、そしてこの子たちが日本へ行ける日が来るまで、一緒にがんばろう!」
 私たち「地球のステージ」が果たすべき役割はますます大きくなっていきます。
桑山紀彦

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