今日は静岡市清水区、興津中学校のステージでした。
なんと今年で4年目。そう「地球のステージ4」の公演です。
4番は、自分をさらけ出す内容の多い版です。
パキスタン北部震災復興篇では、ワジームという少年に「こんなものいらないね!」と差し出した風船を押し返された話。
パレスチナ篇3では、ニーメルという少年に「ここに暮らしてもいないおまえに、何がわかる」といわれた話。
自転車日本一周篇では、家族との折り合いが悪く家を飛び出して日本を一周した末に、自分の還りを静かに待っていた両親と再会するという話。
どれも、ある意味挫折の話なので、聞いてくれる生徒さんの雰囲気によって非常に語りが変わります。ざわつかれると落ち込んで語りがざらざらになっていきます。でも今日は違いました。
熱さのこもる体育館の中にベタ座りの400人近い興津中の生徒さんは、とってもよく聴いてくれました。これまでの3年間もすばらしかったけど、今日はいつにも増してすごい集中力とまっすぐな気持ちの向けようでした。だから、気持ちのこもった4番の語りが出来たと思います。
ありがとう。興津中のみんな。来年5番、呼んでもらえることを祈って・・・。
さて、我が従姉妹とは再会できました。
35年ぶり。懐かしかったです。35年の空白の年月があっても
「桑山の、紀彦です」
と言うとわかってもらえました。
でも、結論から言うと、臨終の父に会うことは難しいということでした。
「父のお酒でどれほど苦労してきたか。それでも夫に出逢い、子どもを得てここまでやってこれた。でも、最後にあったときもお酒を飲んでへべれけだった。
いったいこの人はいつ気づくのだろうと思うと、本当に哀しかった。だから、今臨終の姿を見ることはとてもショックを受けると思うし、耐えられない。
もしものことがあったら、お墓参りには行く」
納得でした。安易に再会を夢見ていた自分が情けなくなりました。人生は重いですね。どんなに謝っても許されないこともそこにはあるのでしょう。しかし考えてみれば、伯父の場合は「臨終」がすなわち「謝罪」ではありません。実際の「謝罪」は行われていないままに、月日が流れてしまっています。臨終だからといって、それがすなわち娘への謝罪でないことを知ったとき、伯父がどんな言葉を娘に向けるのか、そこはきちんと問うべきなのだと思いました。
残された時間は短いですが、僕が出来ることは一方的に従姉妹に面会を願うのではなく、臨終の伯父に向き合うことなのだと思いました。
桑山紀彦
桑山さんの思いは真奈美さんに伝わったと思います。
桑山家の方が今も真奈美さんのことを、思い続けておられたこと 心配してくれる人がいることは大きな勇気になると思います。
真奈美さんにご家族がいらして、お元気にお過ごしで本当によかった。