万世福祉の里診療所

　それは、月に2回だけど11年間通った小さな診療所です。
　山形県米沢市。それは、今の大河ドラマ「天地人」でも有名になった山形の城下町です。その米沢市の万世町（ばんせちょう）にある一大社会福祉施設、それが「山形県手をつなぐ親の会」が主宰する精神障がいの複合施設群なのですが、その中央に小さな診療所があり、僕はそこの所長の座を11年にわたって務めさせていただきました。もちろん非常勤扱いではありますが、毎回、素敵な時間を過ごさせていただきました。

看護師の佐藤さんと・・・
　診察にいらっしゃる患者さんはみんな精神遅滞のみなさんです。でもここで働いて、どれほど世の中で言われている精神遅滞の皆さんの心が純粋か思い知らされました。人間の表面に肥厚したいくつもの社会の垢というものが一切ないみんなは、いつも笑顔が輝いていました。
　一般的には「障がい」というものを持っている人たちかも知れないけど、そのむき出しの心はいつもこちらのこころの垢をすり落としてくれます。施設内でステージもさせてもらいましたが、笑いや泣きが半端ではありません。一同のうねりとなって会場中を笑いや涙が飛び交うのです。それは人間が本来持っている心の純粋さを素直に出したら、こんなエネルギーになるのか！という教えの力を持っていました。
　だから僕はいつもこの万世福祉の里の診療が終わると心が軽くなり、帰りの道中の山道「ぶどうまつたけライン」を運転中、いくつもの曲が浮かびました。それは海外の支援活動で感じたことを素直に想いだし、これまた素直に曲にしていける気分になれたからだと思います。
　前の曲では「国境に咲く花」や「夢見る頃を過ぎても」。最近では「君に逢いたい」なども、この万世福祉の里の帰り道で曲が浮かんだものです。
　そしてもう一つ感動したのが、ここで働く職員の皆さんの心の豊かさです。
　いろんな障がいを持った皆さんと毎日接していて、さぞ疲れるかと思いきや、彼らの心はそれにもまして清らかに、そして素直に存在しています。働く人間の力、笑顔の持つパワー、優しさの持つ柔らかさをそっくりそのまま、僕の診療の時間に割いてくださいました。だから僕は元気をもらって、診療所から帰路につけてきたのです。小さな診療所だけど、そこに愛があふれている。それは今回僕が小さいけどクリニックを開こうと思った大きな原動力となりました。
　診療所で過ごすたった1時間半ほどの時間。それがこれまたたった月に2回だけであっても、医者としての自分にたくさんのことを教えてくれたのです。それも今回の11月2日の開業によって、今日最後の診療を終え、職を辞してきました。
　寂しかったです。
　人の出逢いと別れは、もうたくさん経験してきました。でもこんなにも愛おしく、別れ難い職場があったでしょうか。職員の皆さんも、利用者の皆さんもたくさん見送ってくれました。

みんながお見送りしてくれました。
　変わらないで、ずっと勤めたかったのは事実です。でも、自分にも決めたことがあるので、やむなく職を辞しましたが、その心の中に開いた穴は大きなものでした。
　人間の原風景を見せてくれた万世福祉の里診療所での診療。それは、これからも精神の障がいを持つ人々への思いやりや愛情になって、自分の中に永遠に存在し続けるよう努力していかなければなりません。それが、ここで11年間働かせてもらった皆さんへの恩返しになると思いました。
　みんなのことを精神遅滞と人は言うかも知れない。でもみんなの心はとても澄んでいる。僕はその澄んだ気持ちにいろんなことを教えられて、学ばせてもらいました。
　世に名を知られることなく生きているみんなかも知れません。でも、人間は優しくて素直であることが、実はとても大きな価値なのだということもみんなから教えてもらいました。そこに、人間の生きる大きな意味があるのだと思います。
　精神科医になってよかった。実はそういつも思っていたのは万世福祉の里診療所に行っている時だったと思います。
　米沢のステージの時は、また遊びに行きます。みんなも宮城県名取市に開くうちのクリニックに遊びにきてね。
桑山紀彦