中国と自分

中国は放浪時代に2度行っており、「地球のステージ」に登場する「北京のおばちゃん」に代表されるような、いろんな出逢いのあった国です。
 一人歩きしながら、一生懸命中国語を覚えましたが、発音の壁に阻まれ、よく
「ケイ・ウォー・シェ(書いて下さい)」
 とメモ帳を出し、漢字で筆談していました。
 当時はまだ外国人兌換券というものしか使えず、中国人民が使うお金と外国人が使うお金が区別されていた時代です。
 そしてぱったりと中国へは行かなくなりました。
 ところが98年、太平洋戦争当時の中国における日本軍による性的暴力被害者の皆さんに対するPTSD(心的外傷後ストレス障害)診断に誘われ、再び中国に通うことになったのです。山西省の州都太原から、クルマで3時間も山の中に入っていった村に住むおばあちゃん(大娘)たちとの面接の日々が始まりました。
 当初、「60年も経って、心の傷が残っているはずはないんじゃないか」と正直いぶかしがりながら出かけたこの調査団だったのですが、聞けば聞くほど、教科書通りのPTSD症状が揃っていて、改めて心の傷とは深く、辛いものだと確信したものです。
 その時のおばあちゃんたちの生きる姿は「地球のステージ3:国境なき大地」のオープニング、「尊きジョルザレン」のバックの映像として使い、「生存」「親子」というテロップをつけているシーンで再現されています。
 あれほどひどい目に遭い、それでも生きることを選んできたおばあちゃんたちの素顔を何とかして出したくて制作した映像です。
 そしてこの調査団に入ることで、僕はどんどん中国人が好きになっていったものです。
 国家としての「中国」はやはり違和感が強いです。先の北朝鮮のミサイル発射についての中国政府の発表もやっぱり、
「ハイハイ、やっぱり中国的発言だよね」
 と思ってしまい、あきれるばかりですが、一人一人の中国人が何を考え、何を思い、何を願っているのか、一つの例としてだけど深く知ることができて、
「僕たちの親戚のような人たちなんだなあ」
 と暖かい思いになったものです。
 
野外で授業
仮設校舎に入りきらず、外で期末テスト
 四川大震災が起きた時、みんなで何かできないか、と考えました。
 けれど聞こえてくるのは「制限」「禁止」「排除」といった言葉ばかり。
 「ハイハイ、やっぱり中国だよね」
 と思う自分がいて、いつの間にか中国の震災のことを忘れていました。
 けれど、今回江油市にある江油師範短期大学の学生さんたちと、その附属小学校と心理社会的ケアを行なうために、詰めの話し合いをしたのですが、そこへ向かうときの話です。
 いつもとは違う運転手さんだったんで江油市に入って道に迷ってしまい、やむなく3輪自転車のおじさんに道を聞いたのです。
 するとただでさえ忙しいし、日々生活で疲れているかもしれないのに、懸命に、
「おお、江油師範短期大学だな、う~んとこの道をまっすぐ行って、橋を渡ると最初の角を左に曲がるんじゃ、そんでな・・・」
 と細かく教えてくれるんです。
 その表情すべてが「善良」の文字でいっぱい。
 人間、やはり素のままだと善良なのだと実感しました。
 それが集団や国家の枠に色付けされてゆがんでいく。中国だって、世界からいろいろと言われているけど、やっぱりひとりの「中国人」としてはいい人もたくさんいるんだなあ、と改めて思ったわけです。
中国の子ども
中国の一人っ子
 1年経ってようやく始まった「心理社会的ケア」ですが、めげることもありつつも、中国人といいつながりができると良いなあ、と思っています。

中国と自分」への2件のフィードバック

  1. 一人ひとりなんですよねぇ…。「善良」な一人ひとりが集まると「大善良」、「超善良」になるはずなんだけど…。計算通りにいかないところが…。ブログで久々に「桑山節」を聞いてる感じでした。「一人ひとりに」…がんばってください。「1」が気になる今日この頃です。行橋で待ってまぁ~す!!!

  2. 私の町の大学には、実に多くのアジア特に中国からの留学生がやってきます。10年以上の間彼ら留学生たちに日本語指導と日本での暮らしのサポートのボランティアをしてきました。そうして、彼らの素直で誠実な人柄に触れるたびに、留学時代に日本の暮らしの中で少しでも多くの「世界」を感じる機会に出会ってほしいと思ってきました。その一つ一つが未来の中国、ひいては世界の変化のきっかけになるかも知れないと思うものです。これまでに出会った数十人の留学生たちが日本を大好きになって帰っていったことも新たな未来の架け橋になっていることを感じます。桑山さんと中国に、一人一人の人たちから始まる架け橋のことを感じてうれしくなりました。

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