念願の「植村直己冒険館」にいくことが出来ました。
彼の故郷、旧日高町(現在の豊岡市)にひっそりと建つその記念館は意匠を凝らした作りと、展示物の多さにおいて、日本で最も大きなものです。奥様の公子さんが関わる東京都板橋の「植村冒険館」、北海道帯広にある「氷雪の家」の2カ所は巡ったのですが、本家本元の兵庫県豊岡市の「植村直己冒険館」は初めてでした。
コープこうべ第7ブロックの皆さんが養父(やぶ)市で呼んで下さったのでいくことが出来ました。
久しぶりに触れる植村直己の足跡。
実は「世界5大大陸の最高峰を”見よう”」と思ったのは、植村直己がそれら全てを「登っていた」から。「青春を山にかけて」を愛読し、放浪時代は常に持ち歩いて諸外国を歩いていました。
植村直己に心酔して、彼のように五大大陸を目指していたわけです。ただし向こうは「登り」、こっちは「見る」というとてつもない開きがありますが…。
僕が植村直己に心酔したのは、彼の謙虚さです。どんなに偉業を成し遂げても決して威張らない。帰って偉業をなせばなすほど謙虚になっていく植村直己が大好きでした。
日本人で初めてエベレストに登ったのは植村直己ですが、実は松浦さんという隊員と二人で頂上アタックをかけ、もう登頂寸前という10メートル手前で彼は立ち止まり、
「先輩である松浦さんが最初に登頂するべきです。」
といって道を譲った話しは有名です。本当だったら目の前に「日本人初」の快挙があるのに、それを譲る植村直己が大好きでした。結局松浦さんは、
「じゃあ一緒に頂上を踏もう!」
といって二人肩を並べて同時に頂上を踏んだわけですが、
「オレがオレがオレが~!」
という人が多い中で、よくぞこんなにも謙虚になれる植村直己。まさに彼の生き様でした。
心の中に芽生えた、
「お前、北極点に立ちたいよな。」
という自分自身のつぶやきの言葉。それがアタマの中をぐるぐる回り、どうしようもなくなってついに北極点に行ってしまう。
「自分の心に嘘がつけない」
それが彼の生き様なのだと思います。
彼の歴史も足跡も全て調べ尽くしているので、冒険館では懐かしいものばかりで、解説して下さる人の内容もみ~んな、空で暗記していることばかりでしたが、やはりこうして実際の記念館を訪れると気持ちが新たになります。
困難ばかりの今年。厄払いをしなければ、と本気でみんなで話し合うほど嫌なことや困難なことが起こり続けている今、この植村直己冒険館にこられて良かった。
「人生は、あきらめないこと。」
植村直己に改めて言われた気がして、勇気をもらい冒険館をあとにしました。
そのあと、彼の生家のあった旧日高町上郷の集落に行ってきました。途中に渡る円山川。そして但馬の山々。この大自然の中に生まれ育った植村直己が世界の自然との付き合いに入っていくのがわかった気がしました。
やっぱり「閖上の記憶」~津波復興祈念資料館は重要です。こうして「集う」場所があることで人は気持ちを新たにできるからです。
桑山紀彦
原点をわ・す・れ・な・い・・今日のブログは桑山さんのぶれない信条~に相応しいものです。