今日は丹野さんのお父さんのお葬式でした。
海老名から明ちゃん、優子ちゃんと日帰りで参列してきました。
現地では名取事務所の絵莉香さん、そして「閖上の記憶」館長、小齋さん。遺族会の大川ゆかりさんがきていました。
中版丹野さんがお別れの言葉を述べられました。
涙が止まりませんでした。
長女春花さんを産んですぐに亡くしたお母さんのこと。そして生まれた公太くんのこと。孫として本当にかわいがってくれたおじいちゃん(丹野さんにとってはお父さん)。その公太くんを津波で亡くし、孫のお骨を拾わせてしまうという辛い経験をさせてしまったことを謝る丹野さん。でも、遺影用の写真を探す中で、偶然見つけた丹野さんに関する新聞記事の数々。お父さんは全て切り取って集めていたのでした。慰霊碑建立、「閖上の記憶」設立、遺族会代表としての自分、語り部としての自分…。あふれんばかりの新聞記事を切り取り、大切に保管してくれていたことを今、知った丹野さん。
たくさんの親孝行はできなかったと謝っていましたが、お父さんは孫(丹野さんにとっては子ども)を亡くしながらもきちんと向き合っていくその娘の姿を本当に誇らしく思っていたことがよくわかりました。
丹野さんの語り口調、その内容は、どうしてこんなにも人の心に響くのか。
それは本当のことを、飾らない本当の言葉で表現しているからだと思います。
行って良かった。改めて僕たちは「閖上の記憶」を守り、この語る人~丹野さんの心をずっと守っていきたい、そう思いながら聞いていました。
二十代の頃お母さんを亡くし、津波で義理のご両親と愛息公太くんを亡くし、そして今回お父さんを亡くした丹野さん。たくさんの「逝去」を経験しながら、だからこそ「生きている自分」をしっかりと表現しようとするその心に、今日も感動しまくって葬儀場をあとにしました。
近くのファミレスで5人で話したのは、やっぱり丹野さんの語り方のすごさ。その言葉の伝わり方でした。これからも丹野さんがいろんなところで「命」を伝えていけるように、僕たちも頑張ろう!そう思いながら帰路につきました。
丹野さんのお父さんが図らずも与えてくれたこの1日に感謝。
合掌。
桑山紀彦