バイロピテの危機

バイロピテ病院が危機に瀕しています。

1999年からここを続けてきたダン先生は名実共に、このクリニックの院長。この18年間ひたすら日々の診療、地元医療従事者の育成に尽くしてきました。

今はオーストラリアの団体がずっと資金的な支援をしてきたのですが、どんな諍いがあったのか詳細はわかりませんが、昨日の理事会でダンの辞任を求めてきました(どこかで聞いたような話だ…)。

ダンが辞めるのであれば資金支援は続けるが、残るのであれば資金支援は打ち切る、と。

昨日の話し合いは決裂。ダンは慰留を主張し、それに従ってオーストラリア人の理事たちは資金の打ち切りを決定しました。いつまでは支援するのか、今日明日で最終的なスケジュールが決まるとのことです。

朝の診察時からダンはいつものように振る舞っていますが、内心はとても不安なのでしょう。「日本からの支援の可能性はないだろうか…。」

珍しく弱気です。

頃合い悪く、「閖上の記憶」の支援に関して、復興庁にお願いしていた申請は今日「不採用」が通知されました。不採用通知の中に、

「審査の過程では、自治体でも震災遺構に関する取組を行っているため、団体の取組についても、市の事業として行っていく時期に来ているのではないか、といった議論がありましたので、今後、お考えいただければと思います。」

とありますが、名取市が全く動かないので民間の私たちが必死にやってきたことが理解されませんでした。

一体どうなっているのでしょうか。

「無常」の言葉がアタマを駆け巡ります。それは「無情」(=情けのないこと)ではありません。「無常」(=常ならざること。常に移り変わり、変わらないことはないということ)です。

ダンにとってのバイロピテも、私たちにとっての「閖上の記憶」もたくさんの人たちに支援されてきているのに、こういった大きい支援はばっさり切られたり、不採用となります。

私欲のためでなく、あの人のために、この社会のためにと思いながら活動を続けていても、こうして「ばっさり」です。

でも思います。僕たちを支えてくれているのは国でも自治体でも財団でもない。一人一人の皆さんの「気持ち」なのだと。だから市民活動をやっているのだと改めて自覚する思いでした。

だから補助金が落ちても、助成金がつかなくても、私たちは一人一人の人間の「厚意」や「気持ち」に支えられていることに自信を持とうと思いました。

「閖上の記憶」はある意味絶体絶命です。でも、少なくとも来年3月までは慰霊碑の社務所として頑張って運営していきます。皆様のご厚意は郵便振替となって、カード決済として続々集まってきています。新しいパンフレット「閖上の記憶~”閖上空撮~あの空を忘れないDVD付録」も売れに売れています。

ダンのバイロピテ診療所支援については、まずできることを共に模索いこうと思っていますので、ご心配なく。二重に募金をお願いしたりしませんから!

そんな中でJOCV(青年海外協力隊)の長壁さんのカウンターパートナー、セレステに逢いに行きました。

2000年1月、バイロピテ病院に初めて入った僕は、当時事務長だったセレステに支えられ、活動させてもらいました。優しいセレステは僕の担当みたいになって、いろいろと教えてくれました。それから5年間、ずっと一緒にバイロピテに関わってきたセレステ。今は保健省の高いポジションで働いています。そして長壁さんのパートナーになっていました。

こうして人と人とのつながりの中で生きてきた自分。たとえ助成金が落ちようとも、補助金が不採用になろうとも、できる限りのことをやっていく。それはお金には換算できない、大切な人と人とのつながりこそがこの世で一番価値あるものだと信じているからです。

今年は本当にきついことばかりだけれど、乗り切っていかなければなりません。ぜひ「地球のステージ」と共に、「支援とは何か」「生きるとは何か」を一緒に考えて行きましょう!

桑山紀彦

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