山形でのステージは涙をこらえるのが大変

昨日は久しぶりの山形でのステージでした。

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 県立霞城学園高等学校は地球のステージが始まった年の1996年4月に開校した通信、定時制の高等学校でした。駅西口の巨大なビルで始まったその高校のことは良く覚えています。それから20年。いろんな事情を抱えた山形の高校生たちに様々な夢とチャンスを与え続けてきたと思います。その20周年行事で呼んでいただきました。

 別の学校とはいえ、同じ山形の高校を卒業した次男、亜久里くんはこの春にデッサン1枚で東北芸術工科大学に入学し、映像学科に在籍しています。2ヶ月ぶりくらいで会う亜久里くんはちゃんと大学生の姿になっており、大学を案内してくれました。夕方からはホテルのサーバントのバイトがあるからという彼は、一人の自立しようとしている若者になろうとしていました。

 そしてステージ。

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 目の前には多くの山形の高校生。何度も感極まりながら、この山形の高校生たちに希望の未来と良きチャンスがあればと願い続けながら歌っていました。

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 山形を離れ宮城に転居し、そこも離れて神奈川県に住む今、ひたすら山形が愛おしい。見るもの全てが懐かしくまた愛おしい。医学生時代に通った大学病院の近くのイタリアン「ロカーレ」のスパゲッティの多いことも全く変わりありませんでした。これ4人分?と思うくらいの量は今もそのままでした。

 道に生える雑草さえも愛おしく、山形で暮らした28年が蘇ります。

 第二の故郷のように思う山形がこんなに愛おしいと言うことは、今苦労しているのだと思う。一つのことが解決するとまた一つの問題が繰り返し襲ってくる。市民活動をやっていればそんなことはあまり前なのかも知れないけれど、それにしても日々の大変さが迫っているんでしょうね。やたらと故郷が懐かしく愛おしい。

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 それでも次男がこの山形の大学に進み、山形で学んでいることが喜びです。

 

 今米子空港に着きました。

 今日は出雲でのステージ。多くの仲間がいる島根県ですが、今日はみんなそれぞれの日曜日。時間に余裕があるのでレアな出雲を探求してみようかと思っています。

 夜遅くには海老名に戻っています。

 

桑山紀彦

山形でのステージは涙をこらえるのが大変」への1件のフィードバック

  1. 山形のこと、ご子息のこと、すべての原点がここにあり。
    そして大きく根を張り今日がある。
    しかしステージは留まることなくもっと根をのばし、人々に心の広場を広げるため走り続けることでしょう。
    でも、マグロのように泳ぎ続けるのではなくたまには「ちょっといっぷく!」も・・・。

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