今日ラマラのうちの事務所に行くと、朝から通訳兼コーディネーターでうちのスタッフのエリーニとカウンターパートナーNafs(ナフス)の代表、ナーセルさんが言い合っています。
エリーニ「だってこのフレーズは絶対無理だよ。ここはジャラゾーンの難民キャンプなんだよ。」
ナーセル「いや、でもこれはドクトルKがつくった架空の物語だ。子どもたちには伝わると思うよ。」
エリーニ「私は納得できない。」
ナーセル「じゃあ、いくつかの文章を削ることで、納得できるものにしていこう。」
僕が書いたシナリオ「オリーブの声」のある部分がエリーニの心に引っかかったようです。それは「共存」の文字でした。
「だって、共存を壊しているのは向こうの方なんだよ。私たちがそれを壊したんじゃない。それを今の時点で「共存が必要だ」という内容にはできないよ。
ここは世界のどこかの平和な国じゃない。日々占領されて人権を踏みつけられているパレスチナなんだよ。」
エリーニの言い分はもっともだと思いました。でも一方でだからいつまでもこの問題は解決せず、常に両者は対立したままだとも思うのです。お互いにはお互いの正義が合って、それが常につばぜり合い。一向に埋まらない互いの正義の間にできた”溝”。
攻めてきた「敵」に土地を奪われ、封鎖されて囲まれてしまったヨルダン川西岸。ガザと違ってその土地のどこにも海がないから、奇跡でも起きない限り一生海を見ることができないかも知れない子どもたち。
ガザの子どもたちはそれでも2003年7月、奇跡の夏休みに海を見に行くことができましたが、このヨルダン川西岸の子どもたちは、その土地の中に海がないので、この封鎖領域を出ていかない限り海が見られない。でもそれは非常に難しいのです。
300年の樹齢のオリーブの樹が語る内容はまさに「共存」です。でもそれは机上の空論であり、パレスチナの現実を見ていない「間違った」世界の倫理と常識なのだというエリーニの激しい意見に立ち尽くしてしまいました。
でも、良かったと思うのはその上でエリーニやナーセルさんと議論してセリフのある部分を直し、最終稿ができあがったこと。もちろんエリーニは納得したわけではありません。一つの「考え方」として試験的にこの内容で映画をつくることに賛同しただけです。
長い道のりが始まりました。
今日の子どもたちは、と言えば昨日の続きのジオラマ制作。
「私たちが住みたい理想の街」というテーマでつくられた見事なジオラマ。本当にすごい力を持った12歳の少女たちです。
サディールが言いました。
「これは私たちのパレスチナ。モスクがあって病院があり、学校、そして自由に遊べる公園がある。これが自由で平和な、私たちが望む街。」
続いて活発なマーヤが言いました。
「道路はきわめて広く便利。街にはゴミがなくとってもきれい。」
街の環境にも実は敏感です。合計、たった4時間で創り上げたとは思えない見事なジオラマが完成しました。
明日はいよいよ映画「オリーブの声」の撮影です。
色んな人の思いを載せて、クランクインです。
桑山紀彦
ミサイルが発射されても渋谷の賑わいは変わらない。
我々は対岸の火事感覚をもっと戒めなければいけませんね。