穏やかな飛騨高山のお正月。
雪がこんなにないのも正直不安になるほどの温かいお正月です。
マイナス30度のアラスカの世界から帰ってくると心がなまってしまいそうな、そんな気持ちにもなります。
1月1日はうちのお袋が考え出し、脈々と続いている「竹割り」が行われました。1年間お袋が釣り銭などをコツコツ竹の貯金箱(これは茨城県小美玉市の長谷川さつきさん提供です)に貯め、12月31日か1月1日に一気にそれを割り、テーブルに拡がったお金を目視でいくらか言い当てるというものです。
「地球のステージ4」の「命をたどる旅路」篇の中の動画で出てくるものです。
今年は、平成5年の皇太子ご成婚記念5000円硬貨(!?)という伏兵が隠れていたのですが、またもや私、桑山紀彦が一番となりその5000円硬貨を頂きました。あとでこっそりと来年の竹割りのために竹貯金箱に戻しておこうと思っています。
そんな中、富山で脳外科医をしている従兄弟の桑山直也さんが家にやってきました。脳血管内外科手術を得意とし、日本をはじめ世界中にお弟子さんがいる脳外科のエキスパートです。ノーベル賞受賞の大隅教授にあまりに似ているので、最近は辟易としている感じでしたが、今日は久しぶりに兄の昌己、従兄弟の直也、そして紀彦が集まりました。
岐阜県立斐太高等学校の卒業生である僕たちは27回、28回、33回の卒業生。同窓会の機関誌「有斐」の第40号、1998年の号に偶然この3人の寄稿が載り不思議な感じがしましたが、18年前の自分の書いた文章を読み、久しぶりに感じることがありました。
このときに思ったことが今もぜんぜんぶれていない。ずっとこうして大きな目標を持ちながら生きてきたのだと、自分のことではありますが思いました。もしよろしければお読みください。
まだ、旧ユーゴスラビア紛争がその活動の中心でパレスチナも、東ティモールも、もちろん津波も全く関与していない時代の、桑山35歳の寄稿です。
皆様もどんなお正月をお過ごしでしょう。
今年も健康と事故のない日々でありますように。
桑山紀彦
素晴らしいお正月の過ごし方で大したものです。
とうとう咳き込みで三が日が過ぎ4日によっやくやる気が少し戻ってほぼ通常の生活状態に戻りました。
今年も大いにご活躍ください。
明けましておめでとうございます。今年も、桑山君や明子さん、優子さん、
スタッフの皆さんに、少しでも多くお会いできたら幸せです。実家のお母さんも
お元気そうで何よりです。20歳の頃からずっとぶれずに、常に前を見て進んで
いく桑山君は本当に希有な人ですね。これからも、多くの人の心を動かす活動を
続けていくに違いないと思っていますが、お体を大切に、本当に微力で恐縮して
いますが、エールを送り続けます。今年もよろしくお願いいたします。