2009年の空爆の年、ルーリーは9歳でした。
(中央が9歳のルーリー)
空爆の恐怖からのがれようと身体をつねり、そのあとが痛々しくダルウィーッシュに相談されたことを思い出します。痛みを感じることで、空爆の恐怖から逃れようとしていたルーリー。この話は当時の「ガザ戦争篇」で語っていました。
それから6年がたち、ルーリーは現在15歳。この8月28日で16歳になります。その日が高校1年生の始業式です。
(向かって右がルーリー、左はラワン(次女))
現在のルーリーは成績優秀、頭脳明晰、笑顔の美しい高校生になりました。いつも娘のように思いながらルーリーの成長を見守ってきました。いつの頃からか「医者になりたい」という夢を語るようになり、「いろんな世界で働きたい」という思いも加わって成長著しいルーリー。でも、その一方で15歳の女の子らしいところもたくさんあります。
この夏にようやくお父さんのお古の表面の割れ果てた携帯電話をもらうことができたルーリー。その携帯の中にはたくさんのお化粧道具の写真、ファッション、音楽、踊り、映画、好きなインド人俳優の写真…。まさに「いまどきの15歳」の携帯なのです。
そして長女のルスル(22歳)、次女のラワン(18歳)の影響を受けて歌と踊りが大好き。そして、
「昨日、いとこに求婚されちゃった~!」
と目を丸くして報告してくる様子など、本当にお年頃です。
そんなルーリーに聞いてみました。
「学校はどう?」
「友だちたくさんいて楽しいよ。でも勉強は多くて大変だな。」
「いじめとかはある?」
「絶対にない。入学する時も、そして始業式の時にいつも校長先生が厳しく言うんだ。人に危害を加えてはいけない。人を傷つけてはいけない。人には思いやりと優しさを持って接すること。グループ作って誰かをはじいたりしてはならない、ってね。」
「厳しく言われているんだ…。」
「うん、もしも破ったらまずは10日間の登校禁止の目に遭うんだよ。10日間も学校に行けなかったら勉強がすごく遅れちゃう。だから絶対にみんな誰かをいじめたり傷つけたりしないよ。」
「学校に行かない人っている?日本じゃ不登校って言うんだけど。」
「ない。学校は行けるだけで幸せ。行って勉強して自分の夢をかなえないとね。」
夢をかなえるために学校へ行って勉強をするんだというルーリー。でも正直に言えば子どもの頃に夢見ていたことをどれだけの人が叶えることができるでしょうか。パレスチナの失業率は8割を超えています。
それでも子どもたちは学校へ行く。
だから僕は思う。日本の子どもたちも笑顔で学校に行けるといいと。もしも行けなくなった子どもたちがたくさんいたら、なんとか手助けして学校に行けるようになるといいと。そのために自分ができることをしたいと強く願っています。
僕が国際協力と平行して行っている心療内科医としての日々。それはまさに僕たちの国ニッポンの子どもたちが楽しく学校に行けるようになるにはどうするといいのか、その思いに凝縮されつつあります。
ルーリーにも日本に来てほしいと思う。そして日本の中学生や高校生と交流が持てたら、ルーリーのためにもいいし、きっと日本の子どもたちにも刺激になるような気がします。
パレスチナと日本。同じ思いを抱きながら心の交流が盛んになるためにできることを探していきます。
桑山紀彦
個人を尊重しつつも、その一方で信賞必罰がはっきりしていますね。
個人の自由が歪になってしまって学校に行く意味が解らない子供が増え、物言う父兄に気を遣う我が国の風潮を是正できないものでしょうか?