ライヴで子どもたちに向き合うことの意義

おかげさまで喉は復活しました。

 ほぼ9割の復活率なので、今回は救われた思いでした。自分も医師なので、自分なりの治療方針でこの喉のトラブルといつも向き合ってきたつもりですが、正直「他の医者にかかる」と本当に良くなるんですね。他の医者に「たいしたことないね」と言われるとほっとするし、「これを飲めば良くなる」と言われると、それが自分が処方したものとたとえ同じでもなんか効き方が違うんです。やはり「病は気から」なんでしょうね。そして医者に「大丈夫ですよ」問いわれることがどれほどありがたく、また効くか、身をもって感じる思いでした。

 でもまだまだ寒いですから油断は大敵です。

 さて、今日の中学校はなかなかにエキサイティングでした。

 最初から茶化した拍手が入るし、ヒューヒュー、ピューピューもありました。
1:20-1.jpg

 けれどそれにいちいちコメントすることなく、粛々とまじめにステージをやっていけば注意などしなくても子どもたちはちゃんと気づいて、そういう冷やかしや茶化しはしなくなります。今日の中学生もその意味では、2曲目以降に冷やかしは全くなくなりました。しかし、拍手はぱらぱらで、実に一番大きい拍手は弾丸さん(赤木さん)がするものでした。

 いやしかし、今日は喉は良くなったとはいっても本調子ではないし、下手な歌聴かされて、子どもたちも素直に「こんなのに拍手しない」と決意したのかもしれないと、覚悟を決めました。

 けれど、3曲目も、4曲目も、いや最後の曲まで拍手などほとんどなく、至る所でわざわざが収まりませんでした。音響席の中西さん、優子ちゃん、赤木さんも相当我慢の限界を迎えていたようで、それも情報として得ていました。

 そこで迷ったのですが、最後にこうコメントしました。

 「みんな今日のステージ、最初の拍手にはびっくりしたよ。あれって茶化しじゃないのかな?違っていたら申し訳ないけれど、僕にはそう取れた。だからとても嫌な思いをしたよ。

 そしてその後の聴く姿勢。みんな自分の胸に手を当ててもう一回考えてみよう。今日の自分の聴く姿勢はどうだったかな?って。本当にまじめに、ちゃんと取り組めただろうか。

 みんなの町は役場と教育委員会が一生懸命みんなのことを考えてこのステージをもう8年も呼んでくれているんだ。みんなはこの町にとってはなくてはならない宝。これからの町の未来そのものだ。そんなみんなが今日本当にまじめな姿勢でいられたかどうか、これは大きな問題だと思う。

 本当に強い人は優しい人だと思う。今日、みんなは自分が優しい気持ちでいられたかどうか、もう一回問いたい。悪のりが過ぎるとそれは確実にいじめにつながる。ノリがいいのはいいことかもしれないけれど、その影で必ずきづつく人がいてそれがやがて陰湿ないじめにつながっていくことが心配だ。そのことをちゃんと伝えてから今日の公演を終わりにしたいと思うよ。

 そして是非来年も会いたいと思う。みんながいろんなことを経験して来年、どれほど成長したかを見せてほしいと思う。是非来年またここで会おう!」
1:20-2.jpg

 話の内容に「怒られた」と思った子どもたちは、シーンとしていました。だからいつも迷う。言いすぎたのではないか、と。余計なコメントをしてしまったのではないか、と。

 でも公演が終わって、教育委員会の重鎮の先生が来て下さいました。

「今日のコメントは、私は良かったと思っています。確かに最初の拍手はふざけていたと思うし、その後の聴く姿勢にも問題がありました。それを講師がきちんと指摘して、子どもたちに課題を投げかけたことに意味があると思います。

 「地球のステージ」はプロの音楽家が来て演奏するタイプのものではありません。まさに「教育の現場」をお願いしているものですから、今日のコメントはとても有意義だったと思います。

 茶化されれば嫌な思いになると言うことを、講師が壇上から伝えたことにも大きな意味がありました。この「地球のステージ」は、町が主催する「社会教育活動」で唯一のものです。子どもたちは今日、学校の外へ出てこのホールに集ったものたちです。その責任を果たさなければならないという自覚を促す発言はとても意味があったと思います。」

 ありがたかったですね。

 そして教育長にご挨拶に行きました。

「よくやって下さったと思います。苦言を呈して下さったことに感謝します。是非来年もお願いしたいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。」

 この姿勢のトップがいらっしゃる限り、この町は大丈夫だと思いました。あとは現場の先生方が事前学習や事後学習で、このステージでの出来事を使ってくださることを祈るばかりです。

 

 これだからライブとしての「地球のステージ」はやめられない。子どもたちには課題があったけれど、それがかえって有意義なステージとなったように思います。

桑山紀彦

ライヴで子どもたちに向き合うことの意義」への5件のフィードバック

  1. 私も、「ちゃんと向き合って話してくださってありがとうございます。」という思いでいっぱいです。
    私だったら…途中で怒りが爆発して、本当に伝えたい思いと違う言葉が勢いよく飛び出してしまうのかもしれない…そのことで、茶化しごまかしている気持ちを助長させてしまうのかもしれない…それじゃ、なんにもならない、と考えました。
    見て見ぬふりしない!あきらめない!ですね。本当にいろいろな出会いがあるのですね…

  2. 窮地に慌てずさすがのコメントでしたね。
    茶化した生徒はちょっぴりほろ苦いものを感じていることでしょう。
    主催側がステージの意義を解られているようなので大丈夫だと思います。
    まだまだ、ステージを届けなきゃいけない地域が沢山あると思いましょうよ!!

  3. 喉の調子が悪い中、本当にお疲れ様でした!!!
    当初、騒々しくもありましたが、こんなに中学生が集まるのだ、いいなあと思っていました。
    しかし、正直に申し上げて、このように集中できなかったステージは今までありませんでした。
    教育委員会の方達、また町役場の方達が、一生懸命に子供達のためにと手を尽くしてくださっても、
    当の本人達がそのことに気付かなければ、それはどうにもなりません。
    きっと、本当にかわいそうだったのは、周囲の大人ではなく、寝そべった状態で時間を過ごし、
    みんなに対する期待などに気付くこともできなかった中学生達でしょう。
    私は、海老中が頭にあり、比較をしていました。どうしたら海老中になれるのだろうと・・・。
    ステージのあいだじゅうずっと想うほど、多くの生徒の態度は考えられないものでした。
    桑山さまは最後に言いづらいこともきっぱりとおっしゃいました。
    私はそのことに何ら遠慮はいらないと思いました。何故ならば、皆を思いやっての言葉だからです。
    私は、来年のこの頃、また瑞穂に来て皆さんの成長した姿を確認したいと思いました。
    因みに、駅まで戻る途中、少し不安内になったところ、前方から
    「不思議な石」のように小学校の男子1名、女子3名と犬一匹が来て、道を確認すると、
    皆が帰る方角と逆の駅近くまで送っていただきました。
    私は、こんなに良い子供達に、あなた達こそ今日のステージを見てほしかったと
    皆にお話をして別れました。(時間的には見られたのにと)
    桑山さま今日の話のように上り坂があれば下り坂も・・・。明日から頑張ってください。

  4. 「少し不案内」の字が間違っていましたので訂正いたします。
    このように訂正しなくても訂正できると嬉しいですね。

  5. おはようございます。
    先日、NHKだと思いますが中学生との桑山さんとの向き合い方が放送されていました。
    今の自分にも置き換え共感して見入ってしまいました。
    自分の周りのことで一杯いっぱいの私にとっては、桑山さんの視野の広さに感銘をうけました。六〇歳に手が届こうとしているのに・・・自分て最近だめだなぁ~とつくずく思います
    成長できない自分がいます。

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *