ミャンマーの子どもたち~その1

今日は古都、バガンの郊外の農村部に入りました。

 その名はシュエ・ジーダイ村。まるでスターウォーズに出てきそうな村です。

 農家の皆さんを訪問したのですが、とにかくその敷地面積の広さにびっくり。どの農家も牛、豚、ニワトリを飼い、その糞で肥料をつくっています。この地域は乾燥地なのでトウモロコシ、豆類(特にピーナッツ)作りが盛んです。当然のこととして稲作は皆無です。水の確保が難しいのです。だから、JICAはずいぶん前からこの地域に井戸を掘り、水の供給に努めてきました。日本の皆さんの税金はこのミャンマーの乾燥地域の灌漑に役立っているのです。

 どの農家も食べ物には困らず、ほぼ自給自足の暮らしになっていましたが一番の問題点は医療でした。とにかく医者が近くにいない。離れた町の病院を受診するけれど、診察はただでも薬はほぼ自分で買うしかなくてお金がかかるとのこと。一番多い病気はやはり感染症、特に乾燥した空気が故に呼吸器感染(喘息を含む)が多い現状です。

 実は雨期になるとマラリアも見られ、死者が出ることもあるとのこと。マラリアの撲滅宣言が出せそうな東ティモールと、事情はかなり違っていました。

 さて、そんな中午前クラスが終わり、村の学校から子どもたちがお昼ご飯を自宅に食べに帰る時間になりました。1人の賢そうな少年が歩いてきたので、

「こんにちは。」

「こんにちは。」

 シャイだけど、ほほえみが美しい少年でした。

「お名前は?」

「マネー・チクワ」

「え?ちくわ?もう一回、お名前は?」

「はい、マネー・ちくわです。」

 はっきり「ちくわ」と聞こえました。思わず丸亀製麺のカウンターが脳裏に浮かんだのは明ちゃんも同じだったでしょう。

 すかさず、ガイドのテイさんが、

「マネー・チュトオン君ですよ。」

 一体どうすれば「ちゅとおん」が「ちくわ」になるのか。でも絶対に彼は「ちくわ」と名乗ったのです。(ちなみにチュトオン君の顔が白いのはミャンマーで有名な樹液でできた日焼け止め”タナカ”を塗っているからです。)

 そしてチュトオン(ちくわ)君の学校を訪問させてもらいました。

 ミャンマーは都市部では良くあるように、午前クラスと午後クラスの生徒に分けて先生不足に対応していますが、農村部では1日5時間クラスがあります。5歳で小学校1年生に上がりますから結構な英才教育のように見えますが、学校に行ってみるとたった2人の先生で1年生~5年生までを教えていました。校長先生曰く、

「うちの学校は先生4人いるんです。」

 でも、正直出てこない先生がいるわけです。どの国もよく似た課題を抱えています。そんな子どもたちに将来の夢を聴いてみました。圧倒的に多かったのが、

「医者になりたい!」

 と言うもの。それはすなわちこの地域に健康問題が大きいことを示唆しているものだと思いました。子どもたちは大人たちが何で困っているのか、毎日見ています。そしてそれを少しでも解決したくて将来の夢を決めていく。だから医者になりたい子が多いということは、それだけ病気が多いということになります。

 子どもたちはほとんどが大きな農家の出身ですから、日本的な感覚で、

「お父さんお母さんのあとを継いで、農業やりたい人~?」

 と聞いたら、みんな一斉に首を横に振りました。

「農業辛い~。」

 みんなが訴えます。思わず、

「みんな、その農業のおかげで生きていられるんじゃないのか!?」

 と突っ込みたかったけれど、飲み込みました。ついで多かったのが先生、軍人。

 ところが、あのチュトオン(ちくわ)君は、

「僕はダンサーになりたい!」

 と言うのです。思わず一同、「お~!」とどよめき、校長先生も少々びっくりした様子でした。

「どうしてダンサーになりたいの?」

「踊りが好きだから。」

「どんな踊り?」

「伝統舞踊。」

 そうだよな~。ダンサーっていうとヒップホップかと思いがちですが、そう、伝統舞踊の踊り手になりたいという夢なのです。

「お父さんやお母さんが踊り手なの?」

「いえ、違います。」

「そうか…。今踊れる?」

「・・・」

チュトオン君が固まってしまいました。そしてみるみる涙目に…。

「ごめんごめん。今度また来た時に踊ってね。」

チュトオン君は大きくうなずいてくれました。よほど「踊り手になりたい」という夢を友だちに聞かれたことがプレッシャーになったのでしょう。目が真っ赤です。

 ミャンマーの子どもたちは素直で、素朴で、そしてまだまだ内気な感じです。でも良いものをたくさん持っていると思う。他の途上国がそうであるように授業を見させてもらいましたがまさに「詰め込み型」の「丸暗記タイプ」の授業です。できれば、想像力を活かした情緒的な教育、創作性に富んだ科目を入れていくことで子どもたちの良さが伸びるだろうな~と思いました。チュトオン君のように踊り手になりたいという夢を持つ子どもがもっと増えますように。

 こうして農村に入ることで見えてきたもの。

 それは高い自給自足率。しかし病気が多いこと。教育は詰め込み型であること。

 私たちができることは実はたくさんあると思いました。

 このあと、またまたミャンマーの子どもたちとすごい出来事が起きるのですが、それはまた明日~!。まさに「恐るべしミャンマー!子どもたち、たくましすぎ!」という出来事でした。

桑山紀彦

 

ミャンマーの子どもたち~その1」への3件のフィードバック

  1. シャイな感じは東南アジア特有の人心のように思えます。
    希望が純粋で好感もてます。
    スマホやゲーム機漬けの我が国の子供の素直な夢って何でしょう?

  2. わくわくしながら読んでいます(^-^)子ども達の様子が伝わってきて嬉しいです。
    きらきらと瞳を輝かせている顔を見たい!そう思いながら、子どもたちとあれこれ語り合っている毎日です。
    『Dream~大きくなったら何になりたい?』だったかな…?その本の中の“世界の子ども達の写真”と“将来の夢”を取り上げて、話し合ったこともあります。
    そうですよね…なぜ、その仕事につきたいと考えたのか…理由を知って考えることは大きいですね。続きの報告が楽しみです。

  3. 何にでも興味のある私は、まず1枚目の写真が私の記憶にある牛と???、
    背骨の部分の形が違うように思いましたが、このような種類でしょうか?
    中村哲医師が水源確保事業などの支援活動をする以前のペシャワールと違い、
    古都バガンは、少なくとも自給自足で生活できているということはまだよい方ですよね。
    子供たちの服装も清潔な感じを受けますし、
    また、この小学校の校舎は最近建てられたものなのでしょうか?
    この校舎の写真は私の想像をはるかに超えていました。
    そして、今後、真っ先に必要とされる支援が、きっと医療関係なのでしょうね。
    「タナカ」という木はミカン科ゲッキツ属のオレンジジャスミンとか
    シルクジャスミンと同じものでしょうか?
    最後に、チュトオン(ちくわ)君の写真を見ていると、
    伝統舞踊で活躍する素質があるような気がします。再訪が楽しみですね。

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