8月6日、それは決して忘れてはいけない日。
何年経っても、いつの時代に生きていたとしても、あの日広島で起きた出来事を決して忘れてはいけないのだ、そう思いながら今日を過ごしました。
そんな大事な日、今日は茨城県守谷市でのステージでした。
PTA連合会の方が毎年よんでくれています。今年は難しめの「ステージ3」。見渡すと小さな小学生が大勢います。大丈夫かなあ?最後までついてこれるかな?そんな思いがよぎりました。
でも始まってみると、みんな身じろぎもせずじっと見入っています。「紛争」や「死」をテーマにした重めの話も入っているのに、みんな真剣なんです。そして最後までしっかりと聞いてくださいました。小学生であろうと、このステージを見に来たんだという目的意思を感じ、何年も守谷市でステージをやってきた意味を感じるステージでした。よんでいただいているP連の方々にも感謝です。
最後に、「ヒロシマ篇」を上演しました。8月6日、この日に敬意を示す上でもやりたかったんです。63年前の広島の映像を見ながら、そこで頑張って生き抜いてきた人々のことを思うと涙が込み上げてきました。「忘れてはいけないんだ」そう思うばかりでした。
そして、けやき台中学校時代からずっとステージを応援してきてくれたみんなが、今日も駆けつけてくれました。中学を卒業してもう高校3年生。初めてステージに出会ってからもう何年も経つというのに、守谷でステージがある時は必ず顔を出してくれます。一時の感情で心動いたとしても、それを何年も継続して忘れずに顔を出してくれる、そんな高校生に出会えると本当に嬉しくなります。そんな彼らが、駅まで見送ってくれました。そしてその手には、即席で書いてくれたメッセージが。どんな立派な横断幕よりも嬉しくなるような、心のこもった手書きのメッセージ。そんなみんなに見送られて守谷をあとにしました。また来年も会えますように。
守谷駅の前で
生きていく中で、決して「忘れてはいけないもの」があるんだと思います。
8月6日、そんなことを思いながら山形に戻ってきました。
久しぶりにステージを見させていただきました。
といっても仙台の総会以来ですが・・・
自分たちでステージを呼ぶためには大変な労力が必要ですよね。
会場確保、集客、そして資金、どれもとても重要です。
それを毎年開催されている守谷市P連さん。本当に頭が下がります。
こうした機会を与えて下さった守谷市P連の皆様に感謝感謝です。
8月6日という日を改めて心に刻めた一日でした。
ありがとうございました。
初めて茨城におじゃまさせていただきました。
私の地球のステージとの出会いは2年前の8月8日です。
そして、9日はナガサキの原爆の日。
私事ですが、63年前のこの日は当時18歳だった今はなき父が被爆をした日です。
ヒロシマ編を見るたびにナガサキを思います。
ナガサキにいくとヒロシマを想い、
ヒロシマから世界を思います。
そして父を、母を、想います。
あの日重症の父を助けてくださった見知らぬ方のおかげで
今ある私や娘たちにつながった命に感謝します。
ヒロシマ編ができて
これまで以上に地球のステージが身近に感じられるように
なりました。
日ごろはなかなかステージが見られない九州ですが、
今年はこの10日間で4回のステージと、
ステージの主催のかたがたにお会いできます。
昨日の守谷のおとうさん、おかあさん、
地域の心あるかたがたが
すばらしい小学生や高校生たちを育ててこられたのだと、
まちづくりにかかわる大人としてお手本にさせていただこうと思って茨城をあとにしました。
思いがけずに守谷というまちと人を知る機会に感謝しています。主催のみなさまありがとうございました。
クレオ大阪での演奏に感動して、今購入したCDと本を
読み終えました。
世界の紛争と貧困・・・それでもこの地球は美しい。
私も世界中を旅して来ました。
共感すること多々あります。
地球と子供たちの笑顔を守ってゆきます。
微力ながら・・・