今日、10月31日は親父の10年目の命日でした。
10年前のこの日の朝、急変してこの世を去りました。すぐに戻りたかったのですが、ある街の中学校のステージが入っており、迷った末、しっかりとステージをやってから帰ろうと決めてその学校に臨みました。ところが、そこは大荒れの中学校でした。
全く聴く気なし。これは参ったと思い、こちらも迷ったのですが、
「今朝親父が死んでしまったけれど、みんなに逢いたくてここへ来ました。」
とコメントしたのですが、これまた全く効果なし。人の死が軽んじられ、人の心が踏みにじられる時代の始まりでした。
惨憺たる思いでステージを終え、高山の親父の元にたどり着いたのは午後も8時に近かったのですが、そこで持っていったギターで「逢いたい」を歌ったことを思い出します。明ちゃんが後ろでビデオを撮ってくれていて、それはステージ4番の「命をたどる旅路」篇の中で登場する映像になりました。
あれから10年。いくつもの学校を経験し、たとえ荒れていても「ただひたすらに」ステージを誠意を持って続ければ、やがて気づいて静かになる子どもたちに出逢い、決して壇上から怒ったり諭したりすることはなくなっていきました。
「荒れている子どもたちにも、荒れるなりの理由がある。」
「本当は聴きたいけれど、まじめに聴いてしまうといつもの自分ではなくなってしまうので、やむなく騒ぐ。」
「学校にしか居場所がなくて、そこで自分の存在を誇示するしかないから、仕方なく騒ぐ。」
いろんな子どもたちと出逢ってきました。だから今はたとえ荒れている子どもたちがいたり、ステージ最中にざわざわしている子どもたちにに出逢っても、
「お~、やっとるなあ、生きてるなあ。」
と思えるようになっていきました。親父が亡くなってからの10年。あの荒れ果てた中学校が今でも「原点」になっているわけで、その意味においてはあの親父が亡くなった日にあの荒れた中学校に会ったことは確実に意味があったように、実は思っているのです。
僕たち「地球のステージ」は、こうして「国際協力」という活動をしながらも、とても前向きに教育現場に関わる「教育活動」にシフトしていきました。だから、今にして思えば、親父の死と、あの中学校が同じ日であったこと重要な意味を感じています。
朝の5時45分にお墓参りをして、その足で小松空港へ走りました。
今日は午後から福島県の中学校でステージです。その空港へ向かう途中、人生において、こんなに「濃い」ものは見たことがないというほど鮮明な虹が出ました。
ほんとうにこれまで幾多の虹を見てきましたが、こんなに色がはっきりした虹は見たことがありませんでした。親父の声が聞こえました。
「頑張れ、お前の信じる道を進め。」
天国の親父からのメッセージでした。やはり奇跡は起きるのです。この生涯において最も美しい虹が10年目の命日に出たこと。おそらく親父は天国の世界の中で、
「進さんも10年たったから、今日は結構サービスしていいと思うよ。きれいな虹出して息子さん励ましなよ。」
といわれて、それまでせっせと貯めてきた「下界に示せるポイント」をほとんど使い果たして、この「虹」というサインを出してくれたのだと思います。おそらく親父は天国でもいい家具つくってて、結構地道にポイントためていたと思うのですが、今日でそのポイントもゼロになったように思います。それほどみごとな虹でした。
親父、また今日からポイント貯め始めて、またいつか素敵な「サイン」を示してちょうだい。待ってるよ!
桑山紀彦
虹を見ると幸せな気持ちになります。溢れるメッセージを受け取られましたね。
目の前の現象だけをとらえると、悔しさや憤りで疲れきってしまうようなことも、そこにかくされた意味を感じとると、また違った見方で前へ進めるんだと、思いました。
虹を奇跡と信じられる心~なかなか出来ることではありません。
素晴らしいことです。
だから「人の身になって考える」ことが実行できるDr・Kなのだと納得です。
とても綺麗な虹ですね。 地球のステージの明るい未来を感じます。
素敵なお父様だったんでしょうね。 お会いしたかったです。 常に見守っていてくれていると思います。
そして又、ポイントを貯めて、桑山さんが大変な時にきっと助けてくれると思いますよ。
奇跡を信じます。
桑山さま「ファティマ」ですね。
全ての人が生を受けた時から持っている「感」を研ぎ澄ますことにより、
物事をより一層、繊細に感じ取ることができるようになると思っています。
それにしても、力強い希望の虹ですね。2枚目は2つの虹でしょうか。
忙しい合間を縫っての早朝のお墓参り、お父様は嬉しく、感謝し、
今後も変わることなく見守って下さる合図と思います。