医師としての自分

日曜日、久しぶりに多文化間精神医学会の総会に出向きました。

 今から20年前、先輩先生方と旗揚げしたこの学会。ずっと事務局を手弁当でやっておりましたが、今も変わらず多くの先生がそこで学びを続けられていらっしゃいました。
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 今回の特別講演はフォーククルセダーズで一世を風靡した歌手でもあり、その後まじめに精神科医をされている北山修先生。

 「イムジン川」「哀しくてやりきれない」「帰ってきた酔っ払い」など様々なヒット曲を出してきた北山修氏ですが、今は真っ白な髪の毛に独特の雰囲気を漂わせながら、医師を続けられています。

 今回のテーマは「潔いあきらめ」というタイトルでしたが、これは逆説的で、「だらだらと、しつこく生き続けることに価値がある」という内容でした。そして、

「大いにブレながら生きていこう」

 という内容も加味されていました。

「自分は歌手(表現者)なのか、医者なのか、よくわからないままに生きてきた。」

 という言葉に妙に納得しながら、それでも70歳になってなお現役で患者さんを見続けるこの北山修先生に、シンパシーを感じながらあっという間の1時間でした。

 そして、多くの医師と出会い、また「医師としての自分もしっかりしないと」と思うに至ったわけです。つまりこころのケアを担当する科学者としての医師のチカラもまたしっかりと磨いていかないといけないと自覚するには十分の学会でした。

 そしてそのまま、今回の学会の会場となった狛江に住む奥田比佐志に逢いました。実に20年ぶりくらい。彼とは山形大学医学部の同級生で、最も仲の良かった親友です。お互い18歳の時、入学式が終わってオリエンテーションの時間になって、誰も知り合いのいない医学部120人の中で小さくなっていました。しかし、偶然横に座ったのがこの奥田君で、オリエンが終わった時思い切って話しかけてみました。すると彼も特に友だちはおらず、不安に思っていたとのことで気が合いました。それから6年間、ずっと仲良くしていました。

 彼は卒業後東京女子医科大学の医局に進み、泌尿器科医となって主に腎臓の癌の専門家として手術をバリバリこなす外科医になっていきました。もちろん年賀状はずっとやりとりしてきましたが、こうして逢えたのは本当に20年ぶりくらいです。

 お互い、

「変わんないね~!」

 と自画自賛していたのを横にいる明ちゃんが笑っていました。

 こうして多くの現役医師たちに触れることで、「医師としての自分」の存在をしっかりと外側から固めてもらえたような思いになりました。自分の生きる役割を自覚することの出来た良き日曜日でした。

桑山紀彦

医師としての自分」への3件のフィードバック

  1. スケジュールいっぱいの中で、しっかりと自己の研鑽もやって時間を無駄にしない~Dr・Kさすがです>

  2. 千手観音のように生きてください!(^O^)
    どれも主で、関わり影響し合って、バランスもよく…
    ますますのご活躍をお祈り申し上げます(*^_^*)

  3. 正直に申し上げて、桑山さまのスケジュールどのように診療をし、ステージに移動しているのでしょうと不思議でした。
    でもその忙しい中で、医師としての自覚を感じられる会合に出席され、古き良き友達にもめぐり合い、ご家族共々の束の間の歓談はきっと次の仕事の励みになりますよね。
    また、北山さまの「だらだらと、しつこく生き続けることに価値が有る」なんて、今までしっかり生きていらしたからの発言でしょうか。

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