閖中の(当時)先生の語り

今日はあの3月11日、閖中の教諭であられた藤村先生の「語り部」でした。今は内陸の方の中学校にいらっしゃいます。
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 今日の語り部は事務局内で行われ、関係者のみの参加でしたが、その迫力はすごいものがありました。

 今まで、学校の先生という視点で「あの日」のことを語って下さった人はいなかったので、みんなとても真剣に聞き入っていました。学校の先生は自分の学校と生徒を守らなければならないという強い使命感があります。だから藤村先生の動きには無駄がなく、ただひたすらに学校と生徒たちを守ろうという意志にあふれていました。屋上の扉を開ける鍵をひっくり返った鍵箱の中から見つける下りや、屋上に殺到する人波をかき分けながらその扉を開け、屋上から見た真っ黒な津波の光景の描写には、まるで目の前にその光景がありありと見えてくるようでした。

 あの日の直後から、私たちは医療の人間として病気の皆さんを守ろうと必死でしたが、藤村先生は学校の先生として果たす役割を持っていらっしゃったのです。

 丹野さんも時折涙されながら、でも「こういう先生がちゃんといたんだ」ということである意味嬉しかったことと思います。

 質疑応答も含め、実に1時間半にわたる初めての「閖中の先生の語り」。本当に貴重でした。

 本番(?)は、10月11日(日)の午後から「閖上の記憶」で開始されます。

 午前中でいよいよ閖上中学校に、遺族会としてのお別れをしてから、午後、藤村先生の語り。たくさんの人々がこの「当時の学校の先生の語り」に耳を傾けて下さると嬉しく思っています。

桑山紀彦

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