今日は活動最終日。沖縄県出身の現役小学校教諭、眞喜志さんの学校を訪ねる日でした。
前日から眞喜志さんとは逢っており、その強い意志と経験豊富な自信は、話しを聞いていてとても気持ちの良いものでした。心ある先生が沖縄からこのパラグアイにきて、日々子どもたちと接しています。
今日は春分の日。子どもたちは朝からパレード用の衣装に身を包み、自転車に乗って500メートル離れた教会までパレードです。こうやってパラグアイ人は年に数回、いろんなことでお祭りを催します。子どもたちも慣れたもので要領がよくわかっており、どんどん教会に進みました。
そこで前もって校長先生に許可を頂いたドローンを飛ばしました。
子どもたちはみんな驚喜してくれました。素直でまっすぐな子どもたちです。
そして午前、午後で1クラスずつ受け持たせてもらいました。午前中は針金のワークショップ。午後からは風景構成法の時間でした。前者では人生の連続性を知り、後者では心のあり方を問いかけます。
みんなきょとんとすることもありましたが、おおむね理解してくれたようでした。でも気になったのは子どもたちの視野の狭さでした。それはパラグアイが抱える一つの問題だと思いました。つまり視野が狭く、大局に立ってものをみるという思考が身についていないということ。それが故に協力隊が入る意味は大きいと考えました。
日ごろの授業を行うマンパワーとしてではなく、アイディアを持った一つのマネージャーとして学校の中に居場所を見つけることで、子どもたちはいろんな刺激をもらっていけるものだと思います。
そんな「刺激を提供するもの」としての協力隊の存在は大きいと痛感しまたのでした。
眞喜志さんはそこに果敢にも取り組んでいます。そして先週金曜日、ある先生に強く意見したと言います。
それまではずっとこらえた来たし、たくさんのことを「パラグアイ流」だと理解して受け入れてきたと。しかし今回、孤立するかもしれないという危険を顧みず、眞喜志さんがその男性教諭に強く意見した理由はたった一つ。
「生徒のことを考えない行動に出続けているから。」
そう、これが眞喜志さんにとって絶対に譲れないところだったのです。それはもはや「パラグアイ流」でも「自分流」でもない。「人類流」であるという共通の視点に立っての行動でした。
眞喜志さんにとって一番考えなければならないこと。それは実は(当たり前だけれど、忘れてしまいがちな)子どもたちだったという原点に立ち戻ったわけです。
ともすれば最も気を遣い、心を砕いてしまうのは他ならぬ同僚の先生たちだったりします。だからいつもそのことが気になってしょうがなかったけれど、今原点に立ち返って思うのは、
「この子どもたちのために、自分はここにいる」
という視点だったわけです。
それは先に出てきた畜産隊員である渥美さんが、中々わかってくれない小規模農家のことよりも、実は家畜としての牛が一番自分にとって大切な存在であったことに気づいた瞬間と同じ「気づき」だったのだと思います。それは実は自分の思いの原点に還ることでした。
またしても、凄い人に出逢いました。
こうして協力隊はいろんなことに譲ったり、あきらめたり、失望しながらも、たった一つの「これは譲れない」というものを見つけた時、自分らしさが出せていくのだと改めて思いました。
協力隊のマインド、スピリッツは永遠です。
桑山紀彦
他国の流儀に挑む決意は相当の覚悟と勇気がいります。
相手を気遣ってことが本末転倒だと気が付かれた冷静さは凄いですね。
使命感の強さを感じます。
周りを見過ぎると足元が見えなくなります。
一番大切なのは足元ですよね。
何が一番大切なのかを知っている人は強いです。
これからの世界を変えていくかもしれない、無限の可能性をもった子供たちにとって必要な存在。
眞喜志さんは、素敵な女性ですね。
桑山さん、時差ボケは解消しましたか? 帰国するのに、また長旅のうえ、今度は日本で時差ボケですかね?
新曲「明日の国」をパラグアイレポートと共に聴けるのを楽しみにしています。
気をつけてお帰りください。
いつもブログを読んで、勉強したい!役に立ちたい!環境を整えたい!気持ちになり、行動しています。ありがとうございます。