滞在2日目

今日は1日、アーベッドに撮影技術を伝える研修の日でした。

 まず午前中にシナリオを書き、絵コンテを作成していきました。最初は外で、「閖上の記憶」を中心に考えていましたが、折からの雨で難しくなり、急遽事務所内での撮影となりました。
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 ダルウィーッシュの写真を見ている明ちゃんと桑山という筋書きですが、アーベッドなりにカット割りを考えて行きました。そして絵コンテとなると、それはシーン番号と撮影番号がついて、あとはそれに沿って撮ればいいわけです。段々撮影の過程が伝わっていきます。

 そしていよいよ撮影。
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 自分はガザでは監督だったので、俳優の役を演じてみると、いかに「同じ場所に、じっとしていて」と言われることが辛いかよくわかりました。映画撮影はみんなの役割分担によって成り立ちますが、やはりいろんな役割を演ずることで総合的なものの見方ができるようになるように思います。撮影方も時には俳優方にまわってみるといいように思います。

 夕方には「閖上の記憶」を担当する桑ちゃんが戻り、そして国際事業担当の絵梨さんがご主人と一緒に夕ご飯をつくってきてくれました。嬉しいことです。
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 そしてついに丹野さんが登場。アーベッドも、

「あ、写真の人だ」

 とよくわかっています。昨年8月のガザ戦争の時、丹野さんたちが励ましのメッセージを送りましたし、追悼の集いの時はアーベッドたちがメッセージを送ってくれています。

 自然災害と人的災害の違いはありますが、共に子どもを亡くしたもの同士としてアーベッドも丹野さんも感じるものがあったように思います。お互いが、

「意外に明るいぞ」

 と思っていたように感じました。

 

 アーベッドは昨日大川地区に入った時、その偉大な自然と人がゆっくりと暮らしている光景を見て、独りアラビア語でつぶやいていました。

 それを理解しようとしていた僕に気づいて、今アラビア語でこうつぶやいたのだと教えてくれました。

「これが平和というものか。こんなふうに戦争のない世界に初めて来た。やっぱり平和はいい。ガザの人たちにこの平和を感じてほしい。これが実は当たり前なのだ、と。そう伝えたい。余りにガザはひどすぎる。この平和を持ち帰りたいものだ。」

 恐れていたことでした。

 日本では普通にある平和。日常に溶け込んだ便利さ。それを知ってしまうことで、アーベッドが落ち込みはしないだろうかとずっと気がかりでした。

 8歳の時にインティファーダ(民族蜂起)が来て、それからはずっと戦争ばかりの日々だったアーベッドです。どんなに「日本にだって深刻な問題がたくさんあるんだ」と説明しても、戦争状態にないことは事実です。

 アーベッドがこの平和な国から、何かを得て帰ってくれるといいと思っていますが、その圧倒的な違いばかりが気になって元気をなくさないといいけれどと、気が休まりません。

でも一つの救いがありました。
 昨日、大川小学校のご遺族、佐藤敏郎先生のお宅におじゃました時に、おばあちゃんが出てきてくれて、いつものようにたくさんごちそうしてくれました。言葉は通じないかもしれないけれど、無償のお気持ちでアーベッドに接してくださったおばあちゃん。
「こっちでは、”おいしい”を、”うんめ~”って言うんだ。」
とアーベッドに日本語で教えたところ、アーベッドは
「”め~”」
と、「うん」が抜けて、まるで牛が啼くように覚えていましたが、最後におばあちゃんが、
「この腹みごとだや~!」
といってアーベッドのおなかをぽんぽん叩くのです。
そしてアーベッドが言うのです。
「大切なお孫さんを亡くされたことを考えれば、涙も枯れ果て、気持ちもおかしくなるようなことを経験されてきたに違いない。しかし、明るい笑顔を見せて心から僕と関わってくれている。
人は立ち上がり、元気を持てる生きものなのだと改めてわかった。」
そして同じことを丹野さんにも感じていたようでした。
「哀しみは消えてなくなるわけではない。しかし、人はそれでも前を向いていきく。日本人も強く生きようとしている。僕も頑張って生きていく。」
アーベッドは1を伝えると10感じることのできる、心の豊かさを持っている人物だと思いました。

 

桑山紀彦

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