今日は帰国後、久しぶりのステージでした。
10日間近く海外にいて、帰国後は連続2日間診療してたので、2週間ぶりくらいのステージでしたが、今日は山形市の岡崎医療株式会社の55周年記念で呼んでいただけました。
2010年、開業した翌年に50周年記念で呼んでいただいたわけですから5年ぶりとなります。
2009年の開業は岡崎医療さんにずいぶんお世話になったのですが、その間津波は来るは、クリニックは????となるはで、本当に受難の日々を過ごしてきたのですが、こうして5年目にまた呼んでいただけることに感謝感謝です。
山形は「地球のステージ」発祥の地。この町で1996年1月15日に初演を迎えました。だから原点回帰はいつも山形です。今では本当に少なくなってしまった山形公演ですが、またゆっくりと増えていくといいなあ、と思いました。
そして場所はパレスグランデール。
ここも「地球のステージ」が最初事務所を置いていた懐かしい場所です。
結婚式場ですが、この大きな企業の社長の奥様、武田節子さんとともに「国際ボランティアセンター山形」を始めたのが1991年です。あっという間の24年ですね。今ではIVYという名前でNPO法人となっていますが、おそらく現在のスタッフは「地球のステージ」がその1部門であったことなど、誰も知らないでしょう。
それでも懐かしさだけで十分。
やはり人はこうして時々原点回帰しながら、今までの道のり、そしてこれからの道しるべを探していくのでしょう。時々迷ったら、山形の空気を吸いに戻ってくることが大切だと思いました。
今日は夕方になると山形も涼しい風が吹いてきて、ようやく熱波もひと段落のように感じました。皆さんの地域はいかがでしょうか。
日々映画の編集作業をコツコツやっていますが、字幕のつけ方など大いに工夫しながら、まずは11分版のダイジェストを作ってみましたが、お盆過ぎには形にしていかなければなりません。
11日から高山に帰省しますが、大型の編集機材を持ち帰っての帰省となりそうです。
さて、明日は静岡県三島市やその近隣都市の皆さんとステージ。富士山はドッカーンと微笑んでいるでしょうか。
桑山紀彦
ガザの成果ご苦労様でした。作品楽しみです。
同じ日に、70年前の戦争で人々ををその気にさせる日米のプロパガンダを怖気を感じながら信じられない思いで見ていました。
戦争状態のガザの人々と言い、公演を続ける山形の人々と言い、ステージのような人を創る活動が非常に重要だと改めて感じました。
初心を離れずに拡げる息の長い活動を継続を期待しています。
厳しい状況の中での撮影を終えられ、無事に戻ってこられてよかったです。
また、日本でのさまざまな活動も…
思いが人を動かす、じっとしていられない、ことを地球のステージの皆さんの活動で、改めて実感しています。日本も、まだまだ暑く、体力消耗します。お体に気をつけて。